天使の贈り物

@yasiroyura

天使の贈り物

俺の名前は悠斗。どこにでもいる平凡な大学生だ。可もなく不可もなく、それが俺の日常を象徴する言葉だ。授業をなんとなく受け、バイトもとりあえずこなす。友人もそこそこいるが、何かを目指している訳でもない。自分が何をしたいのかも、いまいち分からないまま、惰性で日々を過ごしていた。


ある夜いつものようにバイトを終え帰宅し、布団に倒れ込んだ。けれどなぜか眠れずスマホをいじっていると、気がつけば午前5時を過ぎていた。

その時不意に窓の外が眩しく光り始めた。月明かりとも違う、朝日でもない白い光が部屋に差し込んでいる。不思議に思いながら窓の方を見るとそこで信じられない光景が広がっていた。


窓の外に立っているのは、一人の少女。天使のような白い翼を持ち輝くような微笑みを浮かべている。彼女の周囲には淡い光が立ち上り柔らかな髪が風にそよいでいる。


「お届けものです!」


俺はあまりの唐突さに言葉を失い、ただ見つめるばかりだった。天使のように見えるけれど、天使なんて本当にいるわけがない。これは夢か子供のイタズラか、疲れすぎて幻覚でも見ているのか。そんなことを考えながら立ち上がり、彼女に近づいていった。


明るくはっきりとしたその声は、まるで朝の空気を切り裂くようだった。天使のように見える彼女が差し出してきたのは、透き通った小さなペットボトル。朝露に濡れたかのように、キラキラと光っている。

「え、これは……?」

戸惑いながら尋ねると、天使はにこっと笑って言った。

「あなたが必要になるものです!だからちゃんと受け取ってくださいね!」

彼女の笑顔は不思議と温かく思わずそのペットボトルを受け取ってしまった。なぜペットボトルなのかどうして自分に渡してくるのかそんな疑問が湧いてくるが、彼女の笑顔を見ていると何も言えなくなってしまう。

「じゃあまた来ますねこれからもよろしくお願いします!」

天使はそう言い残し朝日とともに消えていった。呆然と立ち尽くしていると部屋の中には静寂が戻り、朝日が部屋を満たし始めていた。


俺は半信半疑のまま、ペットボトルを手にしばらく考え込んだ。まるで夢を見たかのような気がするが、冷たいペットボトルが現実だと告げている。天使が現れるなんて信じられないけど、どこか胸が高鳴るのを感じながら、新しい一日を迎える準備を始めた。

俺は大学に向かい講義に出ていた。机の上に置かれた小さなペットボトルを見つめ、天使の「あなたに必要なものです」という言葉が頭をよぎるが、正直ピンと来ない。ただの水だし自分が特に水に困っているわけでもないのだ。

「まぁ持っていけば役に立つかもな……」

講義後、俺はキャンパスの外を歩いていた。夏の暑さが強烈で、少し歩くだけで汗が滲むような日だった。

ふと視線を上げると、ベンチで汗をだらだらと流し顔が青ざめている女性が座り込んでいた。急いで駆け寄ると彼女は細い声で「すみません……」と呟いた。

「もしかして熱中症かも」

俺は天使がくれたペットボトルを思い出した。バッグからすぐさま取り出し彼女に手渡すと、彼女は急いで水を飲み始めた。少しずつ落ち着きを取り戻していく彼女の様子に俺もほっと安堵した。

「ありがとう、本当に助かったわ……」

彼女が微笑んでくれた時なんとも言えない達成感を感じた。


次の朝、俺は珍しく早起きをした。理由は言うまでもない。窓を開けて空を見上げていると再びあの明るい声が降り注いだ。

「お届けものです!」

窓の外には笑顔を浮かべる天使が立っていた。彼女は今度は「小さなハンカチ」を差し出した。

「お届けものです!これもあなたに必要なものです」

そのハンカチを受け取り彼女の瞳を見つめた。その無垢な笑顔を前に、なぜか心がざわつく。

「これも俺が必要になるものなの?」

俺の問いかけに天使はただ笑顔でうなずくばかりだ。

「じゃ、また来ますね!」

と言い残し光と共に姿を消した。

しばらく窓の外を見つめたまま、ハンカチを見下ろした。どんな風に役立つのか予想もつかなかったが、不思議と心は満たされていた。


次の日、いつも通り大学の講義を受け午後には友人の中野と一緒に2人で冗談を言いながらキャンパスを歩いていた。すると突然中野が足を滑らせて転倒した。

「おい、大丈夫か?」

慌てて駆け寄り、中野を起こそうとする。

「痛っ……大丈夫じゃないかも」

「怪我したのか?」

中野が顔をしかめて下を見たとき、すぐに彼の足元に広がった血のにじみを見つけた。どうやら転んだ時、鋭い石で膝を擦ったようだ。

「おい、血が出てるぞ」

「うわ……マジか……」

ベンチに座らせ天使にもらったハンカチを取り出し、傷口に優しく当てる。

「ちょっと待ってろ、すぐに消毒液を持ってくる」

中野は痛みに耐えながらも、ハンカチに目を留めた。

「何でそんなもの持ってるんだ?」

俺は少し照れく、笑いながら答える。

「実は今朝天使からもらったんだよ。なんか分かんないけど使う時が来る気がして」

中野は俺の突発的な言葉に一瞬驚き、次に苦笑いを浮かべた。

「天使から?まあ俺にはよく分からんけど、助かったよ」

そのままハンカチで止血をする。ハンカチはちょうどいい大きさで傷口にぴったりとフィットしてくれた。

「ありがとうマジで」

「気にしないで大丈夫」

そう言いながら心の中でふと天使の事を思い浮かべた。あの時「これも必要なものだから」と言って渡されたハンカチが、今まさに言葉通りに役立っていた。


次の日の朝、窓際に立ち天使が再び訪れるのを待っていた。すると昨日と同じ柔らかな光が差し込んだ。目を向けると、また天使が笑顔で立っておりその手にはまた贈り物が握られている。

「お届けものです!」

天使の元気な声を聞くと自然と笑顔が零れた。

「ありがとう」

天使が差し出したのはごく普通のスマホの充電器だった。

「これも、あなたに必要なものです」

その言葉を聞きながら俺は少し不安そうにその充電器を受け取った。しかし心のどこかで「まあ、何かしら役立つだろう」と思い充電器をカバンにしまった。


翌日充電器入りのカバンを持ち大学へ向かった。そうして昼休みになり友達の中野と川崎と食堂で昼食をとることにした。

「なあ川崎、さっきから元気なくない?」

普段明るい川崎がどこかぼんやりしていた。

「最近スマホの調子が悪くてさ、すぐ充電が無くなんだよ」

川崎はため息をつきながら答えた。

「まじかースマホって命綱だもんな」

中野が笑いつつも少し気を使っているようだった。

「新しいのに買い換えるのか?」

「いや今月金欠だからさもう少し我慢しようかと思ってるけど……」

その時ふと天使からもらった充電器を思い出した。俺には不思議とこれを使えば解決するという確信があった。

「これ、使ってみるか?」

思い切って川崎に充電器を差し出した。

「え、何それ?」

川崎は少し驚いた表情を浮かべた。

「いやこれ昨日天使からもらったんだ」

「あっ!出た天使」

中野が茶化すように言う。

川崎は少し考える素振りをみせ充電器を受け取った。

「天使?まぁ試してみるか。でもこれただの充電器だよな?」

川崎はそう言って自分のスマホに充電器を差し込んだ。

すると驚くべきことに、普段30分経ってもほとんど充電が増えないことが多い川崎のスマホが、たった数分でかなりの充電を回復していった。

「うわこれすごいな今までのと全然違う!」

川崎は驚きながらスマホを手に取った。

「うわぁすげー!天使パワーじゃん」

中野は興味津々な様子で目を輝かせている。

「悠斗ありがとうな」

「うん、それあげるよ川崎が持ってた方が良い気がするし」

「えっまじで!ほんとサンキューな。でもこれほんと便利だな、マジで助かるよ」

川崎は嬉しそうに言ってスマホの画面を見ながら微笑んだ。

その後大学を終え、家に帰る途中も天使の贈り物が役立ったことを思い返し、心が軽くなっていた。

帰宅しふと窓の外に目をやる。夕方の空が薄く赤く染まっているのを見ながら、またあの天使のことを思い出した。

「次は、どんなものをくれるんだろうな…」

その時窓の外に一瞬明るい光が差し込んだような気がした。目を細めて空を見たが何も見えない。


そのまま部屋に戻って荷物を整理していると、突然チャイムが鳴った。立ち上がり玄関に向かうとそこには見覚えのある人物が立っていた。

「お届け物です!」

と天使のような笑顔を浮かべた天使が立っていた。俺は思わず驚き、息を呑んだ。

「玄関から入ってくるパターンあんの?」

すると天使の少女はにっこりと微笑んだ。

「はい今度はこれをお届けに来ました!」

手には小さな包みが握られていた。その包み受け取ると彼女は変わらぬ笑顔で「あなたにきっと必要なものですから!」と告げると、くるりと踵を返して帰ろうとした。俺は思わずその手を掴んでしまった。彼女は驚いたようにこちらを振り返る。

「あっ、えっと……家来ない?カレーあるからさ」

自分でも訳のわからない誘いだった、しかし口から出た言葉は止められない。

「……いいですよ」

彼女はあどけない笑顔を浮かべるとそのまま俺の家に上がってきた。


「……えっとじゃあ、そこで座ってて。今カレー作るから」

彼女をリビングに残しキッチンへと向かいカレーの準備を始める。料理はそれなりに得意で手際よく材料を切り分けていく。ふと気づくと背後からひょこっと天使の顔が覗き込んでいた。

「わっ、びっくりした。どうしたの?」

彼女は興味津々な様子でこちらを見つめている。

「あの……やってみてもいいですか?」

まるで子どものように目を輝かせる彼女に俺は断れるはずも無く包丁を渡した。「危ないから持ち方はこうね」と後ろに回り包丁の使い方を教えると、彼女は真剣な表情で頷いた。

「こうですか?」

慣れない手つきで人参を切り始める彼女を見ていると思わず微笑んでしまう。その姿は天使というよりただの少女のようだった。

「……あっ!」

ふいに彼女が声を上げ、見ると指先から赤い血がにじみ出ている。驚いて彼女の手首を掴むと彼女はあっけらかんと微笑んだ。

「大丈夫ですよ」

そう言った瞬間、傷口がみるみる塞がっていくのを目の当たりにし言葉を失う。

「……痛くないの?」

「天使なので、ちょっとくらいの傷ならすぐに治りますから」

「そ、そうなんだ。でも気をつけてね」

彼女のケロッとした顔に安堵しながら、カレー作りを再開した。


「ふう、できた!」

「わぁ、美味しそうですね!」

二人で作ったカレーを前に彼女は興味深げにそれを見つめている。先に一口食べると彼女もそれを真似してスプーンを口に運んだ。

「……天使って、カレー食べるの?」

「はい初めてですけど、とっても美味しいです!」

彼女はほっぺたを膨らませながらカレーを頬張りる。その姿に自然と笑みを浮かべながら彼女とのひとときを楽しんでいた。

そんな中突然チャイムが鳴る音がし、現実に引き戻される。

「おーい、悠斗遊ぼーぜ!」

ドア越しに聞こえてきたのは中野たちの声だ。まずい天使がいるなんて見られるわけにはいかない。

「えっと、、一旦押し入れの中にでも隠れてて!」

急いで指示するも間に合わず、ドアが開く音がして、二人がズカズカと部屋に入ってきた。

「おーい悠斗、居んのか?なんだよ、空いてんじゃ――」

「……あっ」

「……えっ」

中野と川崎の目が点になる。その視線の先には、天使が愛想よく微笑んで立っていた。


「天使じゃん!」

中野が興奮気味に声を上げると、俺は頭を抱えるしかなかった。

「いや、えっと、これはその……」

必死に言葉を探していると、今度は川崎が割り込んできた。

「いや、マジでありがと!この前充電器君が届けてくれたんだよね?超助かったわ!」

「あっ、俺も俺も!ハンカチ届けてくれたのって君だったよな?ほんと助かったよ!」

中野と川崎が次々と天使に向かってお礼を言い始める。天使は少し照れたように、柔らかく微笑み返している。気がつけば俺も頭を抱えていた手を降ろしていた。

「まぁこれもななんかの縁だしさ、みんなで遊ぼうぜ!」

突然の中野の提案に少し戸惑ったが、

「楽しそうですね!」

と目を輝かせていたので、断る理由もなくなってしまった。結局、中野と川崎そして俺と天使の四人でリビングに集まった。

「じゃあ、せっかくだしこのゲームやろうぜ!」

と中野がゲームを取り出す。

「これどうすればいいんですか?」

天使がコントローラーを握りしめ、困った顔で画面を見つめている。どうやらゲームは初めてらしい。

「まずはこれをこうして……あっそうそう、上手いじゃん!」

「本当ですか?嬉しいです!」

俺が天使に教えていると次第に要領を得てきたのか、笑顔を見せるようになった。その楽しげな様子に、俺も自然と顔がほころんでくる。

「おいおい、悠斗、油断してると負けるぞ!」

「やば、ほんとだ!」

ゲームは進み四人で競り合う中、天使が予想外のプレイで勝利を収めることも多く、彼女は嬉しそうに何度も歓声を上げた。

「まさか天使に負けるとはなぁ…」

中野が悔しそうに呟くと、天使はふんわりと微笑んで答えた。

「こういうの、とっても楽しいですね!」

「天使さん、なかなかやるじゃん!」

と川崎が褒めると、天使は少し照れくさそうにしていた。

「人間の世界って、こんなふうに楽しいことがいっぱいあるんですね」

その言葉に、俺たちは思わず顔を見合わせる。

「そうだな、楽しいこともたくさんあるんだ。…こうやって、友達とゲームするのも含めて」

「よし、また次もやろうぜ!次は負けないからな!」

「はい!ぜひまたお願いします!」


夜も深まり次第にゲームの熱も冷めていったころ、ふと天使が静かに呟いた。

「本当に楽しい時間をありがとうございました。私こんなふうに誰かと一緒に笑って過ごしたのは初めてです」

彼女の言葉にはどこか寂しげな響きがあった。俺たちは一瞬言葉を失ったが、中野がすぐに明るく声をあげる。

「そんなのいつだって出来るよまたやろーぜー!」

「じゃあ、そろそろお開きにするか。遅くまでありがとな悠斗」

「またな天使ちゃん。次はもっと手加減しないからな!」

「はい!こちらこそ、次もよろしくお願いします!」


2人が帰ったあとリビングには俺と天使だけが残された。静かな夜が訪れふと窓の外に目をやると、街灯に照らされた静かな町が広がっている。俺は少しだけ緊張しながらも感謝の気持ちを伝えることにした。

「今日はありがとう俺楽しかったよ。こうやって友達と天使と過ごす時間が来るなんて思ってもみなかったけど……すごくいい時間だった」

天使は少し驚いたように目を見開いた後、柔らかな笑みを浮かべた。

「私も本当に楽しかったです。悠斗さんありがとうございました。……またこうして一緒に過ごせたら嬉しいです」

「うん、もちろん」

その約束は、まるで永遠に続くかのような温かさで胸に刻まれた。


次の日、俺は彼女のことを待っていた。いつものように彼女が玄関に立つ姿を想像し自然と心が踊る。やがてチャイムが鳴り、ドアを開けるとそこにはやはり天使が立っていた。彼女は相変わらずの笑顔を浮かべ、穏やかな声で挨拶をし小さな包みを渡した。


「これが、最後のお届けものです」


「最後…?」

その言葉に鼓動が速まる。

「えっ、最後って……つまり、もう贈り物は終わりってこと?」

彼女は一瞬、言葉を飲み込むように瞳を伏せてから、静かに頷いた。

「今日でここに来るのも最後です」

その言葉が突き刺さるように響いた。昨日まで彼女の存在が当たり前になっていたせいで、まるで急に地面が抜け落ちたような気持ちだった。

「嘘だろ…だって昨日だってまた遊ぼうって言ったじゃん。約束しただろ?」

彼女は淡々と微笑みを崩さずに答える。

「ごめんなさい。でもこれが天使の役目なのです」

俺は込み上げてくる涙をどうにか堪える。彼女は笑顔を見せてはいるが、その言葉にはどうしようもない断絶が感じられた。いつの間にか俺は彼女に惹かれていた事に気づく。

「…なぁ、贈り物なんていらないよ。何も持ってこなくていいから、また来てよ。」

俺の声はどこか掠れ、頼りないものだった。しかしその思いは本物だった。

彼女は微かに瞳を揺らしながら、寂しそうに微笑む。

「悠斗さん、ありがとうございます。でも出来ないのです。それが天使の定めですから」

彼女の言葉が、まるで心を締めつけるようだった。

しばらく呆然と彼女を見つめた後、気づけば口から言葉がこぼれ出ていた。


「…俺、好きなんだよ」


天使はその言葉を聞くと、まるで時が止まったかのようにその場で凍りついた。何も言わず、驚きとも哀しみとも取れる表情でただ俺の顔をじっと見つめていた。


「……」


返事は返ってこなかった。彼女は視線を落とし、唇を噛みしめるようにして俯いた。そして何かを決意するように立ち上がり、こちらに背を向けた。

「待って、行かないで…」

俺は必死に手を伸ばすが、彼女はそれを拒むかのように一歩また一歩と後ずさりし、扉の向こうへと消えていった。


彼女が去った後、部屋には静寂だけが残された。手を伸ばしたまま立ち尽くし、告白が彼女にどれほどの重荷を与えてしまったのか──その事実が、徐々に重く胸にのしかかってくる。

「なんで…」そう呟きながら、唇をかみしめた。自分の気持ちを伝えることで、何か変わると信じていた。それが、彼女に苦しみを与えてしまうことになるなんて思ってもいなかった。

どうしようもない空虚さと後悔が心を埋め尽くす中、俺は窓辺に近づいた。夜空には、冴え冴えと輝く星が瞬いている。星々は遠くから俺を見つめているようだった。


翌日、頭は彼女のことでいっぱいだった。何をしていても、彼女の笑顔が浮かんでくる。ふとしたとき彼女が来るはずもないのに玄関のほうに視線を向けてしまう自分に苦笑がこぼれる。

しかし、その日の夜俺の期待は現実となった。寝静まった家の中でいつもなら聞こえないはずの足音が静かに玄関から響く。胸が高鳴るのを抑えきれず急いで玄関へ向かった。

扉の先には彼女が立っていた。しかしいつもの笑顔は消え去り、代わりに泣き腫らした瞳が俺を見つめている。

「…どうしたんだ?」

彼女は何も答えず、ただ震える手で包丁を差し出してきた。

「…お願い…」

彼女は泣きながら必死に声を絞り出す。

「私と一緒にいたいなら、自分を刺すか、私を刺して」

息が詰まるような衝撃が走る。彼女が天使である限り、俺の想いが決して届かない運命だと彼女自身が何よりも知っているからこその叫びだった。

俺は包丁を受け取り、深く息をついた。彼女がどれだけ苦しんでこの言葉を口にしたのか、痛いほど伝わる。しかし、彼女を失うわけにはいかなかった。

「お前を刺すわけがないだろ」

彼女を強く抱きしめ、包丁を握り直す。俺にできる唯一の決断は一つだけだった。彼女の背にそっと手を回し、その白い羽根に刃を当てる。

彼女は黙って俺の腕の中に身を委ねた。そして刃が羽根に触れるたび、体が微かに震えるのを感じた。しかし、彼女は一度も抵抗しなかった。

鋭い刃が羽根を切り裂き、彼女の運命を少しずつ変えていく。その瞬間彼女の背中から光が放たれ、視界は真っ白に染まった。目を開けた時、腕の中にいたのは、もう天使ではなかった。彼女の姿は、人間と何ら変わらぬものになっていた。

包丁を手放し彼女の顔を覗き込む。彼女は少し戸惑いながらも恥ずかしそうに微笑んだ。

「これで、私もあなたと同じですね」

「これでずっと、そばにいられる」

しばらく見つめ合いやがて彼女がそっと目を閉じた。その笑顔にはもう迷いや葛藤は一切なく、ただ穏やかな喜びで満ちていた。

それから、俺たちは二人で静かな日々を共に過ごし始めた。天使だった彼女と人間の俺。奇跡のようなこの日々が、ずっと続くことを願いながら──

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