Intersecting Dreams

湊 マチ

第1話 運命の出会い

遠野空は、瓦礫の山の中で立ち尽くしていた。灰色の空から、重い霧のようなものが垂れ込めている。その下で、街の残骸が広がる。崩壊したビル、歪んだ電柱、焼け焦げた車両。それらが無秩序に積み上がり、人々の生活がかつてここにあったことをかすかに思い出させる。


「まただ……」


空は低く呟き、足元の瓦礫を蹴った。夢の中で何度も見た光景だ。彼の能力は未来を予知することができるが、それを完全に変えることはできない。この場所で何が起こるのか、どれだけの人が犠牲になるのか、空はすでに知っている。だが、それを防ぐためにここに来た。


「少しでも変えられるなら……」


彼は決意を込めて呟き、瓦礫を踏み越えた。ポケットから古びた懐中時計を取り出し、時間を確認する。残り30分。夢で見た破滅が現実となるまでの猶予だ。


街の中心部へ向かう途中、空は奇妙な感覚にとらわれた。背筋を這うような寒気と、胸の奥に響く重圧感。辺りを見回すと、瓦礫の影に一人の男が立っていた。


彼は長身で、黒い呪術服を身にまとい、長い髪を後ろで束ねていた。その佇まいからは異様な威圧感が漂い、ただの人間ではないと直感させた。男の背後には、薄く黒い霧のようなものが渦巻いている。


「……お前、誰だ?」


空は警戒心を隠さずに問いかけた。男は微かに口角を上げ、静かな声で答えた。


「俺の名前か……夏油傑だ」


その名を聞いた瞬間、空は奇妙な感覚に襲われた。聞き覚えがあるような、しかし記憶には存在しない名前。まるで夢の中でだけ会った人物のようだった。


「ここで何をしている?」と夏油が尋ねる。


「俺は、人を助けに来た。それだけだ」


空の答えに、夏油は冷たい笑みを浮かべた。その笑みは、皮肉と憐れみを込めたような複雑なものだった。


「助ける、ね。愚かしいが、嫌いじゃない」


突然、空気が変わった。遠くから呻き声のような音が響き、瓦礫の間から黒い影が蠢き出す。それは人間の形を保ちながらも歪んだ顔と体を持つ、呪霊たちだった。彼らは腐臭を放ちながら、二人に向かってゆっくりと近づいてくる。


「来たか……」


空は懐中時計を握りしめ、深く息を吸った。夏油も動かずに呪霊を見つめていたが、彼の表情には動揺の色はない。


「お前、戦えるのか?」と空が尋ねる。


「その質問、愚問だな」と夏油が答えると、彼の背後の黒い霧が動き始めた。それは形を成し、巨大な呪霊へと変貌した。


空は一瞬息を飲んだが、すぐに自分を奮い立たせた。「邪魔をするなよ」とだけ言い、呪霊たちに向かって駆け出した。


空は夢で見た記憶を頼りに動き回る。どこから呪霊が現れるのか、どの方向から攻撃が来るのかを正確に予測し、それをかわしながら動く。だが、彼の体力には限界がある。


「後ろだ!」


夏油の声が響き、空が振り返ると、巨大な触手が迫っていた。その瞬間、夏油の呪霊が触手を飲み込み、闇へと消えた。


「……助かった」


「礼はいい。その代わり、もう少し効率よく動け」


夏油は淡々と言いながら、次々と呪霊を消し去っていく。彼の動きは無駄がなく、美しいほど正確だった。一方で、空は自分の限界を感じ始めていた。


「これじゃあ、全部は防げない……!」


空の焦燥感が高まる中、夏油が静かに言った。「なら、俺に任せろ。お前はお前のできることをやれ」


その言葉に、空ははっとした。未来を変えるのは、自分一人でなくてもいいのだと。


二人の共闘によって、呪霊たちは全て消し去られた。静寂が戻り、街の瓦礫だけが残る。空は地面に腰を下ろし、息を切らしていた。


夏油も肩で息をしながら、空の隣に立った。「やるじゃないか。だが、お前、本当にただの人間か?」


空は苦笑しながら答えた。「俺は……未来を夢に見る能力を持ってる。でも、そのせいで……俺の存在は薄れていくんだ」


夏油はその言葉に目を細めた。「存在が薄れる……面白い。お前、俺と似ているな」


「似ている?」


「ああ。俺も一度、全てを失った。そして今も、失い続けている」


その言葉には、深い悲しみと諦めが込められていた。空は夏油の言葉の裏にある孤独を感じ取った。


6. 新たな旅の始まり


「お前の力、使い方次第ではまだ人を救えるかもしれない」と夏油が言う。


「俺は……それでも人を救い続ける。それしかできないから」


空の答えに、夏油は少しだけ笑った。「なら、一緒に行こうか。お前の未来を見てみたくなった」


「……なんで?」


「どうせ、俺には行く場所がない。それに、お前を見ていると退屈しなさそうだ」


空は戸惑ったが、夏油の言葉の裏にある本当の思いを感じ取り、静かに頷いた。


こうして、二人の奇妙な旅が始まった。未来を変えたい青年と、過去を抱えた呪術師が交わる瞬間だった。


共闘を終えた二人は、崩壊した街を抜け、荒野へと続く道を進んでいた。空は瓦礫の上での激闘を思い出しながら、自分の無力さを噛み締めていた。未来を夢で見て行動しても、自分一人では完全に悲劇を防ぐことができない。その悔しさが胸の中で燻っていた。


一方で、夏油は冷静な表情で前を歩いている。彼は戦いの疲労を全く見せず、どこか達観した雰囲気を漂わせていた。その背中を見つめながら、空は問いかけた。


「……なんで俺を手伝ったんだ?」


夏油は足を止めることなく答える。


「興味が湧いた。それだけだ」


「興味?」


「お前の言葉や行動に、かつての自分を見たんだよ。助けるだの守るだの、そんな綺麗事を信じて突き進んでいた頃のな」


夏油の言葉は冷たかったが、その奥には何か隠された感情があるように感じた。空はさらに問いかける。


「その頃の自分を、どう思ってるんだ?」


「……愚かだったと思うよ。理想を掲げて突き進んだ先に待っていたのは、何も守れない無力な自分と、取り返しのつかない後悔だった」


夏油は足を止め、振り返る。その瞳には深い哀しみが宿っていた。


「だから、お前のその必死さが気に入らないんだ。けど……羨ましいとも思う」


空は言葉を失った。夏油の言葉には真実が含まれているようで、彼自身の迷いを指摘されたような気がした。


やがて日が落ち、二人は荒野の中で小さな焚き火を囲むことになった。空は持っていた簡易の調理器具でスープを作り、夏油は呪霊たちが近づかないように結界を張っていた。


火の揺らめきの中、空は夏油の横顔を見つめていた。薄暗い光に照らされる彼の表情は、どこか孤独で物悲しさを感じさせる。


「夏油さんは、何かを守れなかったって言ってたけど……それは何だったんだ?」


夏油はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。


「……ある村の子供たちだよ。呪霊に襲われた村を救おうとしたが、結局俺の手では全員を守りきれなかった。それどころか、俺の存在が彼らを危険に晒したんだ」


「……」


「それ以来、俺は人を助けるという行為そのものに疑問を持ち始めた。人を守るためにはどうすればいいのか、どこまで犠牲を許せるのか――その答えを見つけられなかった俺は、逃げるようにして道を踏み外した」


夏油の声には、わずかな震えが混じっていた。それは彼がいまだにその記憶に囚われていることを示していた。


「でも、そんな俺でも誰かを助けたいと思う気持ちが完全に消えたわけじゃない。だからお前を見て……少しでも何かを変えられるかもしれないと思った」


夏油の告白に、空は胸の奥が締め付けられる思いだった。自分もまた、妹を救うために必死だったが、その過程で何を犠牲にしているのかを直視するのが怖かった。


「俺も……何も守れなかったんだ」


空は思わずそう呟いていた。夏油が視線を向ける中、彼は語り始める。


「俺は妹の詩を守りたいと思ってる。でも、そのために俺が持っている未来を夢に見る力を使い続けると、俺自身が消えてしまうらしいんだ。夢を見るたびに、人々の記憶から俺の存在が薄れていく。最近は、詩ですら俺のことを覚えていない」


夏油は驚きの表情を浮かべることもなく、ただ静かに耳を傾けていた。


「それでも……俺は妹を救いたい。それが俺の役目だと思うから。でも、本当にそれが正しいのか、わからなくなる時がある」


空の声には、迷いと恐怖が滲んでいた。夏油はしばらく考え込むようにしてから、静かに言葉を発した。


「お前が正しいかどうかなんて、誰にもわからない。ただ、自分が何を選ぶかだ。そして、その選択の結果がどんなものであっても、お前が受け入れられるかどうかだ」


「……受け入れられなかったら?」


「その時は俺が見届けてやるよ」


夏油の言葉には、不思議な優しさが含まれていた。それは、彼自身が選択の代償を誰よりも知っているからこその言葉だった。


その夜、空が眠りにつこうとした瞬間、突如として冷たい風が吹き抜けた。火が揺らめき、焚き火が消えかける。夏油がすぐに立ち上がり、周囲を見回した。


「来るぞ……」


その言葉とともに、遠くの闇の中から巨大な呪霊の気配が迫ってきた。それは、先ほどの街で戦った呪霊とは比較にならないほどの強力な存在だった。


「俺たちを追ってきたのか?」空が焦った声で言う。


「いや……これは偶然じゃない。お前の力が、やつを引き寄せている」


夏油が鋭く言い放つ。空は自分の力が災厄を呼び寄せている可能性を思い知らされ、背筋が凍る思いだった。


「動くぞ、空。ここは長く持たない」


「でも、あれを放置したら……!」


「まずは生き延びる。それから考えるんだ」


夏油の力強い言葉に、空は頷き、彼の後を追って荒野を駆け出した。二人の前に立ちはだかる新たな脅威――その先には、さらなる試練が待っていた。


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