あの二人こそ陰と陽 Ⅱ

 中学三年生の好葉は志望校の受験に落ち、帰宅後、しばらく部屋から出てこなかった。

 共に帰宅した小撫も合格を喜べる空気ではなく、同じ高校で好葉と生活を共にすることが叶わないと決まり、同じように消沈していた。

 扉越しに姿が声を掛け、一時間経ってようやく部屋から出てきた好葉だが、合わせる顔がなく、居間に着いてすぐ額をテーブルに張り付けた。

 正面に座る姿は、好葉が何か言うのを待ち続けた。

「小撫と三年も疎遠になっちゃう」

 ようやく言葉にしたのがそれだった。自分ではなく小撫にその悲しみを伝え、共に涙を流す方が絆を深められるだろうに、と姿は呆れた。

 おそらく小撫の方も不合格の好葉に、気遣いではなく、真に困ることが何かを伝えられていないと読める。

 姿は少しだけ鼻を鳴らした。この頃には互いに遠慮せず物を言える父子の仲になっていたため、未来永劫誰も問えないことでも構わず問うた。

「なぜ落ちたと思う?」

「勉強不足」

 嗚咽を堪えるような声でも拗ねているだけではない以上、付き合う義理があった。

「そうでもないだろう。小撫と長い期間、共に勉強に励んでいたではないか」

「どんどん自信がなくなっていって、分からない箇所をそのままにする癖が付いた。それが敗因だと思われます」

「であれば性格の問題だろうな。終わったから言うが、お前に勉学は向いていない。本能を尊重し、それで明るさを振りまくことができるほどだ。理屈や答えの定まったものに熱中するのが合わないのだろう」

 好葉は俯いたまま何も言い返さなかった。

 受験の苦労を知らない人の話なんて聞きたくない……わけではなく、言われた言葉の意味や裏を考えてみて、やっぱり自分の頭では答えを出せなかったのだ。

「つまり、やるだけ無駄だったってこと?」

「合格が欲しかっただけなら時間の無駄以外の何でもない」

 うつ伏せから赤い額を覗かせた好葉だが、辛辣な意見にすぐ顔を埋めた。

「だが」

 だが、不愛想だが、ただ貶すためだけに喋る彼ではないと知っているため、涙ぐむ瞳をまた上げた。

「そも、お前はどうして難関校を目指した?」

「小撫と一緒の高校が良かったから。小撫には由埜家の看板があるから、有名校に入らなくちゃいけない。由埜の女性は大天那に入る決まりがあるんだって。それなら私もそこを目指す……目指した」

「つまり初めから結果ではないということだ」

「結果だよ。小撫と高校生活を送れないんだよ? これがどういうことかお分かり? つまりね、小撫と学校の行事に取り組めないってことだよ。小撫と過ごせる時間がゴッソリ減るってことだよ。小撫の色んな格好や描写を見られなくなるってことだよ。小撫の――」

 額を付けたまま手振りで無念を踊る。

「落ち着け。遊びに行く機会もあると聞いたが」

「文化祭のこと? 一年に一回だけだよ、あんなもんは」

「帰る場所はこれまでと同じではないか」

「……どこかで、運良く受かるかもって、甘い考えがあったから落ちたんだと思う」

「話を逸らすな」

 鼻をすする音が居間に響いても時は流れる。同情する姿でもないが、夕食前だ。夕食は母家でいただくことになっていて、今晩は合格祝いの宴が予定されていた。

 それを、好葉には内緒で、結果の連絡を受けてすぐにキャンセルした以上、もう十分だった。

 最後には自力で立ち上がれる好葉だと知っているため、落ち込むたびに励ますのも余計な世話。

「お前は小撫より下の格となるが、それで小撫がお前を侮蔑すると思うか?」

「小撫はそんなことしないよ。……それはそれで良いものかもしれませ――」

「では割り切れ。受験など元よりお前には関係がないだろう。学生でいることさえもな」

「そうだけど、高校には入るよ」

「そうか。ではまず腹ごしらえだな」

 客観的に見て励まし以外の何でもないが、姿としてはあくまで労いの意だった。

 食事に関心のない姿からそんな言葉が出てくるとは意外で、好葉はハッと顔を起こした。そこにはニヤリと口角を上げた姿がいた。

 実質の娘が不合格に終わったことを愉悦と感じているわけではないはずだが、上機嫌の理由が好葉には謎だった。

「お前と小撫では勉学の才にも自頭にも差がある」

 立ち、好葉に歩み寄る姿。静かな所作だが実に満足気で、こんな彼など今まで見たことがなく、好葉は彼の緩い口元を目で追うことしかできなかった。

「小撫との差が段々と開き、失敗に終わる恐怖が大きくなるたびにお前は余裕をなくした。受験勉強中は毎日悪夢にうなされていたな。万全の状態で机に向き合うことも困難だっただろう。それはどうだ? あれもそれも、全てゴーレムのせいにするか?」

「しないよ。これは私のミス。私だけの問題だから」

 またの即答に姿は微笑み、首筋を隠すまで伸びた好葉の髪を撫でた。


「最後まで人のせいにしなかったな。期待外れの未来ばかりを悲観して、守り抜いた自らの美点を蔑ろにしているぞ。結果に結び付かなかっただけで、お前は自分と恩人たちのために良く努力した」


 撫でられるたびに肌の朱色が濃くなっていく。清い部分をまだ捨て切れていない少女を鼻で笑い、起立を促した。

「出掛けるぞ」

「え? ご飯は?」

「外食だ。店は予約してある。この前、番組でも取り上げられていただろう。電波塔十階のレストランだ」

「テレビの内容、頭に入ってたんだ……。でも、小撫の合格祝いは?」

「不合格の連絡を入れてきた際に、どうしよう、と縋ってきたのはお前だろう。それに、小撫に会えるのか?」

「会えるけど、まだ正直にはなれないと思う……」

「であれば、たまにはいいだろう。意欲的になり過ぎるな。引くのもコツだぞ」

「どういう意味?」

「明日からは小撫のために頭を使えということだ」

 姿と二人での外食なんて久々で、噂の洒落たレストランで自分が食事をしている様を想像すると急激に緊張した。

 一番の問題は姿だ。自身がテレビの俳優やモデルなどを瞬殺できる容姿だと自覚していない。並んで歩くだけであらゆる重荷を背負わされるというもの。好葉が小学生のうちは若い父親に見られていたようだが、出会った日から姿の顔には一向に皺が増えず、中学生になると街のお姉さま方から嫉妬の視線を受けるようになった。

 それでも、結果として敗北を喫しても、このように励ましてくれる彼の誘いを断るなどあり得なかった。

 大きく息を吸って、吐いて、それから「着替えてくるね」と言って居間を出る好葉だが、直前で彼に振り返った。

「ごめん」

「何がだ」

「姿の期待も裏切ったから……」

「案ずるな。将親と話していてな。小撫は受かるがお前は落ちると予想していた」

「ガッ⁉」

 崩れ落ちそうになるも、姿が既に支度を済ませていることに気付き、もういいや、と二階に上がり、最大限フォーマル寄りのファッションに身を包んだ。


 姿に励まされたおかげで、額を赤くしていた頃が嘘のように好葉はコース料理全てに目を輝かせた。

 逆に小撫は好葉が来ないことを直前で知り、母が祝いの品として贈られたブランド肉を捌き、父がデリバリーの定番メニューを片っ端から注文、住み込みの道場生たちが盛大に祝おうとする中、豪勢な料理を前に額を赤くしていた。

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