あの二人こそ陰と陽 Ⅰ
姿を追い出して汗を拭き、バニラの香水で誤魔化してからセーラー服に着替えて居間へ。
姿が外に出たのも気にせず、おもむろにテレビの電源を点ける。エンタメを中心に今朝と昨日までのトピックスを伝える朝番組を耳で追いつつ、牛乳を一杯飲んでから朝食作りを始めた。
とはいえ炊飯器は昨夜のうちに予約済み。あと二分で鳴る電子音の後、お椀によそえばいいだけ。
味噌汁は豆腐と油揚げを一口大に切り、冷凍のカットほうれん草と合わせて片手鍋に落とすのみ。
おかずは、三日ごとに搬送されてくる冷凍物を湯煎する。今朝は大根と人参のナムルと鯖の塩焼きだった。何となく目玉焼きを足し、それらを取り分ければ完成するため、朝食の準備など急げば十分で終わる。
ただ、味噌汁の濃さは気にする必要があった。
スプーンで味を調整していると、新聞を片手に持つ姿が現れ、椅子に腰掛けた。テレビには無関心で、新聞の番組表も見ない。この街と外側の出来事を集めたインクの文字を追っている。
手伝ってほしい、と思うこともない。これだけ裕福な由埜道場というのに、新聞は将親と共有で、彼が気になる紙面をザっと読んだら、外に出て姿に渡すルーティンとなっており、二人の付き合いに口を挟む気もなかった。
仁能姿が真に何者かを、未だに誰も知らない。
共同生活を初めて間もない頃、食事はいらないだの、居室もいらないだのと抜かし、まだ小学一年生だった好葉に世間体を説かれていたほどで、一般から逸脱した生涯を送ってきたのだろう、という印象のみで在り様が象られている。
だからこそ、冷然な姿が世の中への知識を蓄えていくことに意欲的なのが面白く、滅多に笑わず冗談にも乗らない彼でも、父代わりとしての温かさを思うことができた。
胴着とは別で、同じく由埜道場伝統の、深緑色の着物に身を包む姿。将親の普段着と同じもの。
姿の服装といえばこれか、出会った時のキャソックに似た白いコート。それと都市部へ赴く際の、すれ違う異性全てを釘付けにするチェスターコートに限られる。
街のお姉さま方から妬みの視線を浴びるため、同行は最小限にしてきた好葉だが、色々と思うところはあれ、姿のことは嫌いではなかった。
表の人々には健全な女子高校生の風を装い、裏では親の仇を殺すために妄念を育む復讐者。そんな自分を将親たちより早く理解してくれた彼の、果てしない水面のような器量が縋りやすかったからだと、好葉は愛を忘れて結論付けた。
「おまたせー」
「ありがとう」
好葉が食卓を彩り、姿が新聞を背に置き、朝食が始まる。
「あっ、文化祭、今月末だから。二日目の午後ね」
「そうか」
会話は少ないが、気まずさもない。素早く平らげる姿の存在や、朝番組を流し見するだけの静かな時は心落ち着く。
昨日の、場合によっては死に至る戦いも、朝食を迎える前の長い暗闇も、好葉にはありふれた日常で、改めて言葉にするほどの刺激はない。
しかし、麦茶で口を直す姿の発した言葉は、これまでの日常にはなかったもので、思わず姿の長いまつ毛を凝視することとなる。
「昨日の敵もゴーレムではなくゴーレスだったようだな」
「うん。頭と手が光を放って硬質化したけど、全身じゃないし、依頼を受けた時から違うと思ってたよ」
「手強かったか?」
「うーん……手強かったし、悪になるしかなかっただけで、悪ではなかったみたい」
「そうか」
好葉は首を傾げたまま味噌汁のお椀に口を付けた。
「今のお前には薄い相手だろう。ゴーレスを退治する者は他にもいるが、お前と小撫はこの街で上位の強さを誇るまでとなった。お前の敵はゴーレムだからな。ゴーレスなどでは時間稼ぎにしかならん」
「……なに、急に」
珍しい。なくはないが、正面から称賛してくる姿に怪訝を表した。
「お前たちが昨日受けた任務はついでのようなものでな。ゴーレスの集団がこの街のあらゆる暗部に居を構えている、という情報を他でもなくゴーレスの一味から吐き出すことに成功した」
「何で姿がそんなこと知ってんの」
「具体的にどこかは、お前が今日の学業を終えた頃に分かるはずだ。小撫と共に鎮圧に向かってくれ、と将親から言伝を頼まれた」
味噌汁を飲み干す好葉。テレビには新型スマートフォンのコマーシャルが流れている。
「望むところだけど、二人で行っていいの?」
「言われずとも気付いているはずだが、昨今、ゴーレスの動きが激しい。数が増える一方、と言うのが正しいか。表立って暴走される前に制圧できている以上、まだ有利と言えるがな。理性とこだわりを以て独自に動く、既存のゴーレスの方が減ってきている。お前たちに対処してもらうのも数多く潜む集団の一つに過ぎん」
「ふぅん。結構多忙なんだ、お互いに」
「ゴーレスは理性ある狂人だ。それぞれが表舞台で表現しては裁かれる理想を解放し、捕まって催眠を受けるまで止まることができない。自ら止まれば爆発する定めだからな。連中は爆弾そのものであり、機関とは爆弾処理班だ。しくじれば大衆を巻き込み、これまでの隠蔽努力が水の泡となる」
連勝続きで有頂天になっている頃と思い釘を刺す姿だが、いつもなら気にもせず調子に乗るところ、好葉のしけた様子に、昨日の戦いで何かを感じたのだと察した。
テレビ画面が呑気なリズムを奏でても、二人の間には何も奏でられなかった。姿は好葉を見つめたが、好葉はテレビに視線を逃した。
放課後、任務に当たってもらうという、いつもの話なのだが、何故か空気が苦しい。
「……姿はゴーレムがどこにいるか知ってるの?」
「知らん」
「やることは変わらないけど、敵の動きが変わってきたって話でしょ? ゴーレムが単に特別な個体ってわけじゃなくて、ゴーレスたちの親玉か何かであるのなら、危険度の高い任務に臨むほど尻尾が見えてくるかもしれない。いいよ、やるよ」
「小撫にも伝えておけ」
「将親さんがもう伝えてるんじゃないの?」
「簡単には行かないことをだ」
「そうなの? 数が多いだけなら、私より小撫の方が得意と思うけど」
姿は眼鏡の橋を上げ、落胆したように眉も上げた。対面の好葉には嫌な仕草だった。
「お前は好きにすればいいが、小撫はお前に付き合っているだけだ。相性以前に断る権利がある」
「……小撫は断らないよ。大丈夫、私が守るから。……ごちそうさま」
食器を重ねて台所へ運ぶところ、「お前にはもう何も守れん」と、思わぬ言葉を受けて好葉は全てを床に落としそうになった。殺すつもりで拳を振るう男たちの迫力にも瞬きしない格闘少女が、たった一言で動揺したのだ。
「どういう意味?」
「自覚があるだろう。復讐者が、自らを愛してくれる相手を、自らもまた愛し抜くなど不可能に決まっている。小撫はお前と共に戦えることを喜びとし、お前もまた小撫と共に在ることで安らぎを得ているようだが、お前が時折見せる悪鬼の相貌は清楚な乙女にとっての癌に他ならない。何よりお前は――」
「分かってる!」
食器を揺らして説教を遮った。
テレビから聞こえる女子アナウンサーやお笑い芸人の軽快なやり取りが狂気としてひっくり返るほど、ここは重たい。
「全部終わってから謝るつもりだから。小撫にも、ご両親にも、みんなにも。……姿にも」
「不安があるならやめろ。過去より未来のある事柄で苦しむ方が限りある生涯としては正しい」
「やめない。ゴーレスは倒す。ゴーレムは必ず殺す。私も、まだ爆発してないから」
停止したスリッパが再生し、食器を洗い場に置いた。
何てこともない物音が好葉の頭を痛くする。十年の付き合いから、姿が追い打ちをかけてくることを予測できてしまい、その警鐘とも思えた。
「お前は明日のある人々の安らぎを奪っている。向こうも大概だがな。
では、亡くなった者は? 復讐を終えて、それで両親の無念は晴れるのか?」
「そういう問答は将親さんと何回もやった。二人の無念を晴らすため、私が納得するためよ」
「親不孝者」
「復讐を終えた後にも、時間は沢山ある」
「そのような浅慮がだ」
姿は蛇口を捻ることさえできなくなった好葉に近付き、「支度しなさい」と言って洗い場を引き受けた。
床を見ながら居間を去る好葉は、「お前、今日爆発するぞ」と告げる白亜を無視した。
脱衣所の洗面台に立ち、歯を磨き、髪を見直す。毛先の跳ねはもう諦めたが、小撫ほどでなくとも艶が出るよう入念に髪を梳かした。
長く洗面台の鏡を見つめていたのに自分の顔には無関心だったから、居間の姿に何も言わず、ローファーを履き、玄関の戸を開き、待っていた小撫に「おはよう小撫!」と言えた。
小撫もいつも通り挨拶を返すつもりでいた。
しかし、晴天のもと、今日最初の風を浴びる少女とは思えないほど、今にも死んでしまいそうな悲壮に顔中を支配されていた好葉に怖れを感じて喉が枯れた。
小撫の仰天を正面から受けた好葉も、自分が思っている以上に取り返しがつかないところまで進んでしまったのだと実感した。
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