第23話 ラスト


「英明くん、ふぁいとぉ!」

 甲高い声が朝の陽射しに負けず、校門で叫ばれる。


 叫ぶ黒沼の描いてくれたキャンバスを英明が持ち、イーゼルへそっと下ろす。校門から昇降口までに通づる道のいちばん手前に、設置した。


 美術室からここまでは流石に持つことが出来ないので、台車に乗せ黒沼が押してくれた。もっとも、女子が怪我をするのは嫌なので、英明が持ち上げて設置する役を買って出た。そこまで重くはなく、足腰に負担が掛からなかったので問題ない。


 英明の笑った顔がデカデカと描かれ、右端に『広報役、明智英明をよろしくお願いします』


 という文が綴られている。その文は達筆の徳橋が書道したという。


 絵へと視線を移す。


 自分の顔をここまでリアルに描かれるのは少し気恥ずかしいほどだ。


 美しい滑らかな表面が太陽に照らされ、さらに芸術さを増幅させた。英明の顔が夕日に照らされているのだろう小麦色を使い、後頭部は巧く影を表現している。おもいっきり笑い、唇から白く輝く歯を出す。若干上向きの素晴らしい構図だ。


「うん、いい出来」腕を組んで満足そうに黒沼が頷く。

 この子が一人で描いたのかと、英明はしみじみ思う。


「まぁ、胸より上だけなのが残念だけど」英明を上から下へと舐めるように見てきた。

「きゃっ、へんたいっ!」英明は胸の前で、腕をバッテンにする。


 なおも、筋肉魔の異名を持つ黒沼はじじじと、見つめてくるので、少々長くバッテンを続けた。本気で恥ずかしくなった始末である。


 暫しそんなやり取りを続けていると、桜の花びらがちらちらとキャンバスへ降(ふ)ってきた。


「間に合って良かった」

 優しく呟く彼女に英明は話しかける。


「このために、こもって描いてくれてたのか?」

 後ろでねじれた髪の毛を左肩へと乗せて、撫でながら答えた。

「前回の生徒会選挙で間に合わなかったから、今回は絶対完成させたくて。みんな英明くんのために力を貸していたのに、わたしは何も出来なくて……それが後悔だった」


「……黒沼」


 結果として生徒会選挙は、明智英明の僅差で勝利を収めた。それが尚更、彼女としては自分の力がなくても勝ったことに少しだけ悶々としたものを抱えていたのだろう。無論、勝って嬉しい筈なのに自分だけが蚊帳の外と感じたのかもしれない。


 彼女達の中でも、あまり積極的に発言や行動に移すタイプではない。

 ゆえに、絵で注目を集めたかったのだろう。


「筋肉の質感に時間をかけすぎてたばかりに」手を額に当てて、項垂れ始めた黒沼。

「おいっ、オレの感動を返せ」


 想像力豊かな英明にとっては、その光景を想像すると胸が苦しくなったので涙腺が緩んだのだが、すぐ引っ込めた。


「でも、わたしの努力不足なんだけどね」ちろっと小さな舌を出す。

「……」


「光の加減、奥行き、人体構造の理解。甘かった。自分の絵とプロの絵を比べると吐き気がするほどに気持ち悪かった。一度完成させて、同じ構図の絵をスマホで調べて見比べると圧倒的に自分のレベルが低くて何度も描き直す間に、気づけば英明くんは生徒会長になってた」


 彼女がどういう思いで夜遅くまで筆を握っていたのか、その思いを知り、胸が熱くなる。


「英明くんの普段をみんなにみせたかった。どっちの英明くんも笑う時が__一番魅力的だから。今回は、豪快に笑う絵だけど。もっとたくさんのバリエーションで英明くんは笑う。クスクスだったり、少しムカっとするくらい鼻で笑ったり、目を細めて笑ったり、それに__お腹を抑えて笑ったり」


 黒沼は口角を緩めて微笑む。最後の笑い方をするのは、今の英明ではなく、前の英明だ。


「英明くんは見ていて飽きないよ」

「褒めてるんだよ……な?」

 黒沼は英明へ向き直ると、ニカっと可愛らしく笑う。

「表情豊かなモデルは、美術部の財産。……媚を売っとかないと」

「裏の声ダダ漏れだぞ」


 そうこうしていると、学生達がやってくる頃合いになったので、英明は鞄から襷を取り出す。この二週間にも満たない期間で掛けた襷は少しの汚れと折り目がついている。


 __しっかり洗うからさ、もう少し頑張ってくれ。

 斜めに体へとかけ、一度咳払いをする。


「よぉ〜し、いっちょ」右手の拳を左の掌にぶつける。「みんなに広報役明智英明の魂の訴えを聞いてもらうか」


「今日でラストだからね。わたしも頑張るよ」

「大声で頼むな。さっきみたいに」

「意地悪」


 そこからふたりは、今日の七限目に開かれる生徒総会での明智英明就任のために、声掛けをした。後に起こる惨事など予想しないほどに彼らの声は天を衝いた。



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