第21話 トサカ犬
生徒総会まで、残り二日の水曜日。放送室へ早めに来た英明は、タブレットを操作する。
画面では、昨日と同じようにアプリケーションを開くことができた。
放送室のドアにノック音が響く。其方に目を向けると、鳴海詩織が扉を開き、入室する。
「さっき、大塚先生から生徒会の件、了承してくれたわ」
「そうか、良かったな。トサカヘアーだからニワトリみたくすぐ忘れたんだろ」
勿論、そんな訳はないのだが、鳴海が不安そうな声で話すから軽口を叩きたくなった。
今週だけは、誰の邪魔もさせない。
鳴海が彼の後を継いでくれたのに、英明自身が何もしないなんて出来ないのだ。
「ありがとう、ほんとに」
「まだ、その言葉は早いだろ」
鳴海が目を細めて笑う。
「えぇ、そうね」
まだ肩に力が入っている。
「それよりもオレは、緊張しいな鳴海が心配だ」
「よく言うわね。初回の放送、少し声震えてたわよ」
「マジかよっ! はずっ」
焦っている英明の表情を見て、鳴海は子供みたいに笑う。
英明としては、彼女達が落雷のあの日に助けてくれた時点で返しきれない恩がある。
この残りの人生を賭けてでも、彼女達命の恩人への借りを返すつもりだ。
「そっちの準備は大丈夫そうか?」
「えぇ、今からみんなで最終調整をするつもり」
「じゃあ、その予告はできそうだな」
「お願いするわ、広報役」
背を向けた彼女を英明はただただ見送った。
英明と徳橋の放送が影響してだろう昼休みには多くの生徒が画面に釘付けだった。十二時二十分から生徒会による公開意見会が開かれるのだ。その画面には、現生徒会長鳴海詩織が映っている。生徒会長を映し出すカメラから離れた位置で睦月はパソコンを操作していた。
「では、始めます。皆さんが一堂に集まるのは厳しいことからこのようにオンラインで開催しております。現時点で五百人ほどの視聴。広報役に就任予定の明智英明君には感謝してます」
生徒会長から直接名前を出すのは、それだけ信頼していると宣言しているようなものだ。
「早速、今回開いた目的を伝えると、このような場でのマナーについての取り扱いです」
タイムラグを画面越しで把握していた睦月は、画面に映る鳴海の唇が閉じたのを確認すると、右手でオッケーサインを作る。このパソコンやタブレットのスペックは低いため、過度なアクセス集中でサーバーがダウンする。
故に、学校側が用意した弱々しいビデオチャットアプリではなく、皆が普段使うであろう動画投稿サイトの限定公開に誘導している。この動画サイトであれば、システムトラブルが避けられるとの判断だった。現時点では数秒ほどの遅延が発生するも支障は無い程度だ。睦月に言わせれば、もっと良いスペックのタブレットを用意してくれよと思う。一番低ランクなのは予算的に仕方ないのだろうけど。
「今年度前期生徒会は、このようにして皆さんと一緒に学校を変えようと思います。ただ、そのためにはルール作りが何よりも大事です」生徒会長が睦月に向けて頷くのを確認すると、エンターキーを押す。鳴海は遅延分の時間を空けて、唇を動かした。
「はい、今全生徒に送りましたルール一覧。三項目あります。事前に先生方と議論の末に導いた最低限のルールです。幾つかの学校で作られたルールも参考にしています」
一つ、誹謗中傷をしない。
二つ、授業中は使用しない(許可がある際には使用可)。
三つ、困ったことがあれば、すぐに教師へ相談する。
「この事項に触れなければ問題なしという訳ではありません。あくまでも例示にすぎず、この三つが極めて重要として設けたもの」生徒会長はテーブルに置いていた手をそっと組む。「ご存知のとおり、私たちの高校の規則は緩いです。これは私たちの先輩方一人一人の節度ある行動の故に成り立っているものであることを忘れないでください。皆さんが常識から外れた行いをするとルールが増える。ゆえに、皆さんと皆さんの後輩が制限される訳です」
上手い言い回しであるなと、睦月は舌を巻いた。
自分たちがルールを作る場であると同時に、守る立場であると強調する。法律もこのような側面があるのだが、それを敢えて言語化させている。優秀なのが今の数分間で生徒達にもわかっただろう。
「とはいっても、これでは私たち生徒会の押し付けに過ぎませんし、枠を決めなさすぎるのは返って混乱も生みかねません」その言葉を聞くなり、睦月はパソコンを操作する。
「そこで時間の許す限りにはなりますが、ルールの件で発言したい人は今届いた通知をタップしてください。顔は自動で犬のアバターになるようにしておりますので、気兼ねなくご意見をください」
因みに、鳴海が猫アレルギーなので、猫ではなく犬にしたという経緯があった。猫を見るだけで目が痒くなるのだとか。かなりの重症である。
今、視聴者数は六百人に至る。全校生徒の半分は視聴している訳だ。いや、一つのタブレットで複数人が視聴している者も居るだろうし、その音声を耳で聴いている者も居るだろう。
学校全体が生徒会に注目している。
だがそれは、なかなか一歩を踏み出せないといった躊躇を生むのも意味した。
犬の顔になったとはいえ、自分の発言が頓珍漢ではないか気にする。ましてや、優秀な生徒が集まるウチの高校だったら尚更にし辛いかもしれない。
数分経ったあとでも、発言が出ない。
分かりきっていたことではあった。その懸念のために、睦月は一つ策を練っていた。
__まぁ、策と言っても親友に頼むって方法だけど。
英明には事前にこのような空気になった場合、若しくは『ヘルプ』と英明宛にLONEしたときに出演してもらうよう依頼していた。英明は『楽しそうだな、それ』と呑気に笑っていたが……。
睦月が放送事故になる前にLONEを英明へと送ろうとした瞬間、映像が半分に分かれ、右半分には真っ黒の画面が現れる。誰かが発言しようとしてくれているのだ。
__英明、ありがとう。
そう思っていたのだが、現れたのは、膨よかなお腹をしたトサカヘアーの犬だった。トサカヘアーがアバター補正されずに貫通しているのだ。
『あっ、あっ、聞こえてますかぁ? マイク無いですけど、大丈夫ですかぁ?』
『だいじょうぶですっって』
呆れたような英明の声が画面から聞こえてくる。今映る人物の隣にいるのだろう。
鳴海はその正体が明らかな、可愛らしい犬アバターに向けて話し始めた。
「生徒さんですか?」
『匿名希望でお願いします』
「……分かりました。IDも校内のものですから、学校の関係者に変わりませんので」追求はしない鳴海ではあったが、チャット欄では『大塚先生きたぁぁあ!』で埋められている。
「何か発言したいことがあるのでしょうか?」
『あぁ……いえ、はい』トサカの頭頂部を少しだけ触ってから続ける。『私が一番懸念しているのは、生徒間でのトラブルです。確かにルールとして誹謗中傷をしないと設けていますし、先ほど生徒会長が仰ったとおり、あいでぃー? ですか? それで、誰が発言したか識別できるのでしょう。ただそれはあくまでもネット上でのトラブル把握にすぎない。リアルでネット上の発言を契機にしたトラブルをどう対処する……しますか?』
大塚先生の質問に鳴海は顎を右手の親指と人差し指で挟み、考え始める。全校生徒が視聴しているため、早々に対処法を挙げることが求められる。だが、思いつきで出したアイデアが的外れになる場合もある。そんな難しい場面において、鳴海は口を開いた。
「確かに、私たち生徒会では手に負えないケースだと思われます」
慎重な面持ちでそう述べる鳴海に、トサカヘアーの犬アバターが『そこで』と口を挟む。
『定期的な研修を挟むのはいかがでしょうか?』
「研修?」
『えぇ。これはもう生徒だけの問題では無い。学校側や親との問題でもあります。生徒達に意識づけをするだけの教育で留まっていいものでもない。親御さんにもネットでのトラブルがあることを伝える場を設け、学校側にも動いてもらいましょう』滔々に話すトサカに、チャット欄の勢いが緩まっていく。
『ただ、先生方も忙しい。じゃあ、それをやってくれそうな先生は誰だろうって考えた所、ひとりやる気に満ち溢れた先生が名乗り出てくれました__大塚先生です』
そう言うと、チャット欄が『おおぉ!』『やってくれるのかぁっ!』『まさかすぎるっ』と埋め尽くされていく。
学校中が注目している中、これだけのことをやってくれると宣言するには意味がある。
『生徒やご家族用に配布できる映像を作成して配り、啓蒙してくれると仰ってくれました。あと、他県で活発的にICTを用いている学校へお邪魔して、トラブル対策を調査するとのことです。まぁ、何が言いたいかっていうとな__』
トサカは大空のようにでかい口を開ける。
『生徒会メンバー! 君たちは前へ突っ切れ! 転んでも私の二段腹が支えてやる!』
ぽんと、大きなお腹を叩いた。
その情熱的なエールに睦月は鳥肌ができ、胸が膨らむほどに肺へ空気がたまる。
チャット欄には、『かっけえぇ』と『笑』が流れていく。
『と、大塚先生が言ってました。では、生徒会ならびに全校生徒の皆さん、異議やご意見があればどうぞ』右手を画面へ向けて主導権を戻す。
絶句だった鳴海は、自分にマイクが向けられているのに気づき、苦笑いを浮かべる。
「おおつ__いえ、ありがとうございました。まさか大塚先生が動いてくださるとは思ってもいませんでした」大塚先生とおぼしきトサカはミュートにして、隣にいるであろう英明と談笑をしている。その笑顔はフィルター越しにでも分かるほどだ。
普段の大塚は、神経質そうに眉間を釣り上げていることが多かった。今はそんな様子もない。可愛らしい犬フィルターでよりそう見えるかもしれないが、まるで同級生と遊んでいるように幼さを滲ませている。
__そう、これが英明の凄さだ。
睦月はその現象を『英明マジック』と裏で言っていた。
睦月達が通っていた中学は可愛い女子が多いとの噂があってか、他校のヤンキー達から絡まれることも多かった。百五十人ほどの小規模校だから乗り込みやすいのもあったのだろう。
そこで英明が先頭を切った。無論、相手は暴力を振るってくるも彼は全て受け流す。仕舞いには、パンチのフォームを教え出した。そのヤンキー達も舐められていると思い、振りかぶって殴ってくるも次第に彼らは英明の言葉に耳を傾けた。その最中に英明は彼らが身につけているもの、口ぶりから相手の欲している言葉を投げかけていたのだ。
最終的には、ドラマのワンシーンのように堤防で夕陽に向かい一緒に歩いているのが睦月にも鮮明に思い出せる。
学生だけでなく目上の方、それでこそ先生方と気付けば仲良くなっている。
__見てるか、英明? お前が憧れた明智英明がいるぞ。
「大塚先生が動いてくれるのは大変心強いです。では、皆さん、大塚先生がやってくれることを先ほど列挙してくださいましたが、それについての投票を行います」鳴海生徒会長が睦月に頷くと、睦月は先ほどの題をつけた投票を全員へ送る。
『大塚先生がトラブル対策に尽力することについて、採決します』その文の下にマルとバツが表示される。表示が出されるなり勝手に二分ほどのタイマーが作動した。
「はい。結果が出たようです」
睦月は視聴者が見ている画面に結果の表示を出す。
賛成__七百八。
反対__一。
明らかな数字の差にトサカ犬は口を真一文字に伸ばす。
「おめでとうございます。賛成多数で可決されました」
『ありがとうございます。大塚先生も喜ぶと思います』
そう言うと画面を切った。
時間にして、十分以内のスピーディーさ。この手軽な感じで進むのをどう捉えるか。
もっとしっかり議論を進めるべきだとする主張もあるだろう。
だが、今回に至っては先生が明らかで且つ、信用が担保されている議題だったからこのような投票の流れに移行した。勿論、その投票結果に差が開き過ぎていれば、検討する必要がある。
そこで鳴海は、全員へ一斉にPDFを送信していた。
PDFには以下の内容が書かれている。
賛成票率がほぼ百パーセントの場合は、すぐに施行する。賛が八十パーセント以上であれば二週間の意見期間を設け、議論を重ね、施行の準備を行う。改善点を示し、目処がつき次第施行の方向へ進む。八十パーセント未満の場合は、議題は白紙へと戻す。
要するに、有効投票数の八十パーセントが最低条件なのだ。
スピード感を持って進めることは、確実に生徒会の信用につながる。
もっとも、先ほどのような圧倒的信頼を置かれている例はそうそう出てこないだろう。
英明がなぜ、大塚先生を最初に出演依頼したのか。
おそらく、鳴海生徒会長が率いるこの政策を更に興味を抱いてもらうためだろう。
生徒会長は良い意見があれば、施行すると印象付けるためなのだろう。
ここでも広報役としての自覚を忘れない。
__流石だよ、お前は。
睦月の中で甦るあの頃の英明が戻ってきた気がした。
人を天才だと思ったのは__明智英明が初めてだった。
その後にいくつか匿名で議題をあげるも、全て賛否が半々程で、流れる結果となった。だが、この誰でもフランクに生徒会へ主張する場を設けれることが出来たのは、やはり、大塚先生の影響が大きいだろう。
終了の定刻を迎えると、生徒会の生放送は終了した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます