㉗入村
電車を降りて、昼食を取り、バス停へと向かう。バスを一本逃すと次のバスがしばらく来ないという大惨事になるため、余裕を持って食事を終わらせた。
そのまましばらくバスに揺られる。
「おえっ……なんかゆらゆらするよぉ。飲みすぎたかも……」
「このあたりは道が舗装されてないですからね」
口元を抑えながら遠くを眺めるちかりさんに向かって伊原が適当に言葉を返す。
あまりに適当な返事すぎるだろ。仕方がなかったので僕が変わりにツッコミを入れた。
「飲み過ぎですよ。あと吐かないでくださいね」
「人生って儚いよね……」
「ですね。吐かないでいてくれたら僕は文句ないです」
伊原が「あまりに適当な返事すぎるだろ」という顔で僕の方を見た。
ちかりさんが吐くよりも早くバスが目的地について、僕たち三人だけがバスから降りる。
というか、バスに乗っていたのがそもそも僕たちだけだった。
「あー! 空気が美味しいね!」
伊原が大きく伸びをして弾けるような笑顔で振り返った。赤みがかった髪の毛が揺れる。
「伊原ちゃん、ここの空気なんか酸っぱいよ」
「それ胃液漏れてます」
「おえっ」
ちかりさんはいつもにましてふらふらとした足取りで、完全に山道で酔ったみたいだった。
見かねた僕たちはバス停のベンチで少しだけ休憩をする。ちかりさんの顔色が少し良くなってきたところで、集落のある方へと歩き出した。
「本当になにもないね」
「車がないと生活できないなぁ」
舗装されていない道は開けていて、ぽつんぽつんと大きな家が立っている。畑だか田んぼだか空き地だかよくわからない場所の横を通りながら、まずは親戚の家に向かう。
親戚の家に厄介になるつもりはなく、夜までには駅に戻って、そこのホテルで一晩過ごす予定だった。ただしノーヒントでこの広大な地域を歩き回るわけにも行かず、かなでちゃんに繋がるヒントを探すためにはまず僕が遊んだことのあるエリアを探索しようと話していた。
「なるほどね〜」
「なにがなるほどなんですか?」
「裏公園のときだよ〜」
だよ〜、と言われても。
「めぐみくん、純粋培養桜塚市民のわりに、昔の人しかやらないような遊びについて詳しかったじゃない。あれ、ここで遊んでたってことなんだね〜」
「あ」
今さらながら繋がった。
確かにそうだ。僕は遊んだ記憶がないにもかかわらずなぜかかごめかごめなどの昔の遊びを知っていた。それはきっと、かなでちゃんと遊んでいたからだ。
僕はそこに関する記憶がすっぽりと抜け落ちているのだけれど、遊んだという経験は残っているのでルールは頭に入っていたんだろう。
そんなことを話しながら、なんとなく見覚えがあるようなないような景色の中を進んで行くと、向こうの方からおばあちゃんと呼ぶにはもう少し若い女性が歩いてきた。
人が住んでいることに少しだけ感動していると、彼女はすれ違いざまに足を止めて僕の顔をじっと見た。
「……」
こんな村に遊びに来る若者の集団は珍しいのだろうか。珍しいんだろうなあ。などと考えていると、女性が首を捻りながら「もしかして」と呟いた。
「春香ちゃんのところのお子さん……?」
「……えっ」
春香ちゃんという聞き馴染みのない言葉に戸惑ってから、それが自分の母親を指す固有名詞だということに気が付いた。
「あ、そうです。柊木春香の息子の柊木恵です!」
「あああ、やっぱり! めぐみくん! 大きくなって。最後に会ったのいつだっけ? まだあなたこんなに小さかったころじゃない?」
女性は親指と人差し指を三センチくらい話して「こんなに」を表現した。
そんなに小さい瞬間は生後の人間にはない!
「もしかしてメグの親戚?」
「そうみたい。正直顔は覚えてないんだけど、確かにどことなくお母さんに似てるかも」
ぼそぼそと伊原と会話をする。ちかりさんは酒瓶を後ろ手で隠して姿勢を正していた。
「どうしたのよ~。言ってくれれば準備したのに! あれ、もしかして春香ちゃんから連絡あったのかしら。忘れてた?」
「あ、いえ。今日はこっそり来たので本当にお構いなく」
「そう?」
「なんならお母さんにも今日内緒で遊びに来たので、秘密にしてもらえると助かります」
僕が少しだけはにかんで頭を下げると、おばさんも笑いながら人差し指を立てて唇に当てた。「内緒ね、わかった」そしてそのまま伊原とちかりさんの方に目をやった。
「お二人は? めぐみくんのお友だち?」
「そうです。いつもお世話になってます。恵くんの同級生の伊原華乃と申します」
「天原ちかりです」
「かのちゃんとちかりちゃん。二人とも可愛らしいわね~」
「あはは」「えへへ」
伊原が笑いながら一歩引いて、こっそりと耳打ちをしてきた。
「せっかくだからかなでちゃんのこと聞いてみたらどう?」
僕は数瞬考えて首を縦に振った。
「実はですね。今日はちょっとした目的がありまして」
「目的もなくこんなところ来ないでしょあっはっは」
村の自虐ネタは触れないに限る。
「ちょっと言いにくいんですけど――僕が来てた頃に仲良かった女の子がいたの、覚えてますか……?」
僕は覚えていないので少しフェアじゃない聞き方になってしまった。
しかしおばさんはそれを知る由もないので「かなでちゃんね。覚えているわよ」と大きく頷いた。
伊原と一瞬視線を交差させた。「お墓参りに来たことにするのがいいんじゃない」と小声でアドバイスを受ける。
「実は――今日はお墓参りに来たんです」
「……そう。あれからもう十年くらい前になるのかしらね」
彼女は少しだけ遠い目をして微笑んだ。
「お墓はこの先を真っすぐ歩いていけばわかるわ。行ってあげて」
「ありがとうございます」
「お昼は食べた? 夕方また会える?」
「…………お昼は食べました。ごめんなさい、帰りのバスが決まっているので約束はできないです」
そう言うとおばさんは残念そうな顔をして「また来てね、次は春香ちゃんと一緒に」と言った。
僕たちはお礼を言って、お墓の方に歩き出した。
おばさんの言った通り、しばらく歩き続けると小さな墓場が見えてきた。
「ところで、小さい子ってお墓に名前入ってるのかな。見たらわかるのかな」
道中で伊原が心配していたけれど、ひとつひとつお墓を見ていくと『松原家の墓』の側に『奏』とと書かれた墓石を見つけた。
「これだ」
僕たちがそれの前で足を止めた瞬間――
――世界が一瞬、暗転した。
すぐに世界が色を取り戻して、僕らは顔を見合わせた。
場所は変わらず墓場。しかし、どことなく雰囲気が違う。
裏公園の時に覚えたような、同じ場所にいないような違和感。
経験則からすぐに何かに巻き込まれたことを理解した。
身構えてあたりを見渡す。
遠くで子どもが走っていた。
さっきまでいなかったはずの子どもがふたり。
少年と少女が追いかけっこをしている。
「ね、メグ……」
「僕も思った」
「おねえさんも……」
僕たちは再び顔を見合わせて、僕が代表して口に出した。
「あれ、僕じゃない?」
少年は、幼少期の僕に見えた。
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