天神クロノコード ~ワンビルに眠る鍵~
湊 マチ
第1話 天神の空にそびえる新星
2025年4月24日、福岡・天神
福岡・天神の空は、この日を祝福するかのように青く晴れ渡っていた。街を歩く人々の目は、新たなランドマーク「ONE FUKUOKA BLDG.(通称:ワンビル)」に吸い寄せられている。天神の中心にそびえるその姿は、地上19階、地下4階、高さ約97メートルの堂々たる建物。鏡のように光を反射する外壁が、春の日差しを受けて眩しく輝いている。
一条沙羅(いちじょう さら)は、そのワンビルを見上げて、自然と足を止めた。
「本当にすごい……」
思わずつぶやく。その声は雑踏に消えるが、彼女の目はしっかりとビルの頂上を捉えていた。
沙羅は「福岡タイムズ」に勤める新人記者だ。今日はこのビルのグランドオープンの取材のために来ている。肩から下げたトートバッグには、ノートパソコンとボイスレコーダー、そして最近買ったばかりの革張りのノートが入っている。取材デビュー戦とも言える大仕事に、胸の奥がじんじんと高鳴っていた。
しかし、その高揚感に混じって、どこか落ち着かない気持ちがあるのも事実だ。
ワンビル――福岡の未来を象徴する建物。しかし、そこには影もある。
再開発計画にまつわる強制立ち退きや、不透明な利権争いの噂。それらは地元新聞記者の間でも囁かれていた。そして、彼女自身、ある人物の調査を続けている途中だった。
「沙羅ちゃん、ぼーっとしてる暇なんてないわよ!」
背後から聞き慣れた声が響いた。振り返ると、先輩記者の藤川真紀(ふじかわ まき)が軽やかな足取りで近づいてきた。手にはデジタルカメラを構え、すでに取材モード全開の様子だ。
「す、すみません! つい見入っちゃって」
「わかるけどね、あんまり上ばっかり見てると首が痛くなるわよ。それに、今日のワンビルは“中”が主役だから!」
藤川が笑いながら指差す方向には、ビル正面の自動ドアが見える。そこには続々と招待客や記者が吸い込まれていくようだった。沙羅は慌てて先輩の後を追いながら、自分の気持ちを切り替えた。
10時00分、ワンビル1階 セレモニーホール
会場に入った沙羅は、まずその広さと華やかさに圧倒された。天井には巨大なスクリーンが取り付けられ、ホログラムの装飾が空間を彩っている。最新のデザインが施されたステージでは、福岡市長が既にスピーチを始めていた。
「本日、ここ天神の中心に、新しい歴史の1ページが刻まれます――」
沙羅はスピーチを聞きながら、手帳にメモを走らせる。市長の言葉は耳当たりが良いものばかりだが、その内容に真新しさはない。それでも、彼女の記者魂が「何か」を探ろうとしているのか、ペンを走らせる手は止まらない。
そのとき、壇上の端に立つ男の姿が目に入った。
羽柴光成(はしば みつなり)――ワンビル建設を主導した大手デベロッパーの代表。
派手なスーツに身を包み、会場全体を支配するような雰囲気を放つ彼は、間違いなくこの場で一番目立つ存在だった。薄い笑みを浮かべたその表情には、自信と余裕が滲み出ている。しかし、沙羅はその笑顔の裏に何か冷たいものを感じていた。
編集部で聞いた噂が脳裏に浮かぶ。
「羽柴光成には裏社会との繋がりがあるらしい」
「再開発利権のために、住民の立ち退きを強引に進めたとか……」
真偽は定かではないが、羽柴にはそんな暗い影が付きまとっている。そして今、壇上で放たれる視線には、そんな噂を振り払うような異様な迫力があった。
沙羅はじっとその様子を観察しながら、唇を軽く噛む。
「こんな男に、この街を好き勝手にさせていいの?」
10時30分、突如の異変
セレモニーが終わり、沙羅は藤川と共に館内を回り始めた。ワンビルの中は、福岡の未来を象徴するような最新のテクノロジーで彩られている。広々とした吹き抜けには自然光が降り注ぎ、フロアには高級ブランドのショップやカフェが立ち並ぶ。その光景に沙羅は一瞬圧倒されつつも、カメラで写真を撮り始めた。
「沙羅ちゃん、これから目立つ場所の写真は絶対押さえておいてね。あと、館内のどこに何があるか頭に入れとくのも記者の仕事よ!」
藤川が笑いながらアドバイスを送る。沙羅は慌ててメモを取り出し、先輩の言葉をそのまま書き写した。そのときだった。
突然、館内が静まり返った。
「え……?」
あちこちで不安そうな声が聞こえる。目を向けると、館内の巨大スクリーンが真っ白に光り、次の瞬間、黒い文字が浮かび上がった。
「クロノコードを解読せよ。天神の未来はお前にかかっている。」
沙羅の呼吸が止まった。視界の隅で、藤川がスマホを握りしめながら何かを呟いているが、その言葉は沙羅の耳には届かない。ただ、その文字だけが頭の中に焼き付いていた。
「クロノコード……?」
何だそれは? 何を意味している? 沙羅の中に次々と疑問が湧き上がる。館内の人々は困惑し、ざわざわと動き始めている。だが、その混乱をよそに沙羅のスマホが突然震えた。
「……非通知?」
画面を見た瞬間、嫌な予感が背筋を這い上がった。しかし、意を決して応答ボタンを押す。
「……もしもし?」
返事はない。数秒の沈黙の後、機械的で冷たい声が響いた。
「お前が動く時だ。」
ピッ――。
通話は切れた。沙羅の手の中でスマホが静かに震えを止める。だが、館内のスクリーンにはまだあの言葉が表示され続けている。
「クロノコードを解読せよ。」
沙羅の中で記者としての本能が目を覚ました。その瞬間、彼女は直感した――この謎を追うことが、これからの自分の使命になるのだと。
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