魔王さま
地下第二階層にある国家研究所は、レイが休日以外、ほぼ毎日通う仕事の取引先だ。地上で育てた研究用の花をラボに届ける。それがレイの仕事。
届け先の研究室に入る前、ガラス壁で自分の姿を念入りに確認した。ここの研究員は身だしなみに厳しい。レイと違い、ラボの人間の白衣の長さは膝丈だ。外で庭仕事をするレイは、長い白衣だと裾を踏んでしまうので短く作ってもらった。花屋でもラボへ入るには、それなりの格好をしろとクレームが入り、上は白衣、下が動きやすい伸縮性のあるデニムになった。
だらしなく少し伸びてしまった癖のある茶色の髪を適当に後ろで結んだ。最低限だが、これで文句は言われないだろう。
中に入ると、胸に抱えた沢山の花をティエという初老の博士に見せる。一瞥して顎で置き場所を指示された。どうやら手が離せないらしい。
レイは、さっきまで仕事をしていた第一階層展望室での出来事を思い出し、左腕の端末にデータを表示した。
「あの、ちょっと見てください」
「あーなんだよ」
ティエは表示されたデータに顔を近づけてまじまじと見る。面倒臭いと思っていても目を通してしまうのは研究者の性なのだろう。
「なんでしょうね。ティエさん読めますか? さっき植物園に来た女性に見せたんですけど」
「お前が見せたんじゃねーのかよ」
「相手を納得させるために適当に出したデータだから。国に持ち込んだ植物の安全性について疑問を抱かれたので」
「こりゃ、あれだ。火鍋の作り方」
ティエは再び目の前のディスプレイに視線を戻す。眉間に皺を寄せ、顎髭を触りながら研究データと睨めっこしていた。
「火鍋?」
「知らんのか。辛いんだよ。クコの実とか八角が入っててなぁー」
「クコの実って、あの赤くて可愛い? 別に辛くないですよね」
第一階層の植物園にもクコはある。低い木に薄紫色の小さい花が咲くので、観賞用として好きだった。
「そうじゃなくて。あーもう、お前がうるさいから、間違えたじゃないか!」
部屋中にビービーと不快なエラー音が鳴り響いた。ティエは集中力が切れて諦めたのか、近くの紙袋からガサガサと中身を漁り、ラムネを口の中に放り込む。疲労回復用のドラッグより、子供の食べるような菓子が一番作業に集中できるらしい。
「邪魔して、すみません、気になって」
「自分で、読めばいいじゃないか。端末のデータなんだから。AIに読ませろ」
「人の話を耳で聞いた方が楽しいじゃないですか。なんかデータって味気なくて。この国の人は言葉より機械を信じますけどね」
「私は、お前の娯楽に付き合わされたわけか」
「そうですね」
「つか、お前の名前レイだろ。中華圏の出なら、火鍋くらい食べたことあるんじゃないのか、まぁ、お前らの頃は、もう食品規制があった時代か、まだ若いし二十歳過ぎなら、そういうの気になるか」
「花屋ですよ? 気にしてるなら地上で植物育てたりしていませんって。俺はスラムの出身なので。――外から中央の施設に収容されて幸せに育って、今はこうして仕事も持てました」
「そりゃ大変だったなぁ。けど、中央の施設っていえば、あの有名な『魔王さま』がいるだろ? 私も死ぬまでに一回くらいは話してみたいんだが。育った場所なんて関係ない。彼は本物の天才だよ! カイエ博士、知ってるか?」
興奮気味に話すティエはいつもより饒舌だった。
「有名人ですからね」
「まぁ、今は、ラボにも、顔を出してないが、あの事件がなければなぁ。私は、彼を支持しているんだが世論が――」
「俺は」
言いかけて慌てて口をつぐんだ。
「カイエ博士、今はどこに居るんだろうなぁ。定期的にすばらしい研究は発表されているし、生きてはいるんだろうが、上層部は彼のメンタル面を心配している」
「はい」
「そういえば、魔王さまには、番がいたって噂が前にあったな」
「あ、ティエさん、次のラボまで、花を届けにいくので、俺、そろそろ失礼しますね」
「おぉ、お疲れ。またよろしく頼む」
レイは、そこで、ぴしゃりと無理やり話を終わらせた。
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