第8話 中秋の月

 独りCaféにて飲めるエスプレッソ。テラス席にて。


 未だ九月(ながつき)といへども、この日、太陽沈みし後はやがて気温下がりけり。すみやかなること幽門の開くがごとし。人出でず。


 歩道にはみ出す椅子に坐す。風立ちぬ。舞ふチラシを靴にて踏む。見遣れば璃厭の個人展を小さき画廊にて催す知らせなり。


 拾ひて埃をきれいに払ひ、丁寧に折りたたみて卓上に載せ、砂糖壺の下に飛ばされぬやう置きたり。


「これで義理は果たしたわね。後はどうなろうと知らないわ。誠意は尽くしたもの。これ以上、わたしにはどうにもできないし。それにさ。

 彼も望んでいないわ」


 秋の日のバイオリンの長き嘆きのやう、切なき抒情、よきシャンパーニュのごとく美味し。心昂らせ、余情の旋律深きに陶酔さしむ。この恋成就する兆ししあらむとても、成就させるは余りに惜しきほど。



 飯佐之あみの影響多し。彼の女(ひと)と知り合へし事、何とも言ひ難き昂揚をぞ覺ゆ。樂しみ限りなし。スマートフォン鳴る。


「おはよう、韋眞子、元気?」

「いま8時よ、夜の。時刻はわかってると思うけど」

「それが何だって言うの? 眠くないもの、夜じゃないわ」

「何なの? ブッシュマンBosjesman」


 阿蘭陀人よりブッシュマン(藪の民)とぞ呼ばれたるは、「カラハリ砂漠の叢林に住まう自由なる人」の意なり。彼の族をサンSan人と謂ひ、阿弗利加大陸南部のカラハリ砂漠にて狩猟採集する民族なり。

 かつて彼ら「日が沈むは、我らが眠たくなるゆゑなり」とぞ言ふらし。あみはこれを以ていふなり。


「そうよ。あなたも知っているのね」

「いらない知識には事欠かないのよ」

「『日が沈むのは自分が眠くなるからだ』ってね。あゝ、素敵ね。それが自然な人間の感情だし、自然と一体になって生きる人間の感情なのよ(ブッシュマンみたいに時間が合えばね。わたしはまだまだだわ)。自然で、眞の意味で自由なのよ」

「かもね。

 わたしも自由になりたいわ。もっとね」

「え? それ以上?」

「あなたにだけは言われたくない!」

「あははは。そうよね。ねえ、これからシャンパーニュでも飲まない?」

「わたしはあなたみたいな自由人じゃないわ。勤め人なのよ」

「じゃ、金曜日ね」

「しょうがないな」

「そう言えば狩りはどうした?」

「狩り?」

「璃厭のことよ」

「あゝ・・・。ゆっくり樂しむわ」

「そうね」


 素気なく返答するなり。

 ただ1秒の沈黙ありき。あみは韋眞子の恋心の薄れしを感じ、また韋眞子はあみがさやう感じゐるを感じ取りをり。さやうあるをあみもまた知らずゐるものかは。またまた韋眞子も観ずなり。


 その夜、韋眞子、帰り独り歩めばつづ(粒々)なる星、天鵞絨のごとき天穹に眞砂のやう鏤められ、百億光年の彼方にあふれあり。あゝ、大地や海の広大なること限りなし。されども光は一秒にて全陸海を七周り半するといふ。


 とても光さへ、到るに八分超ゆる彼方の太陽は、炎球とぞ見ゆるも、地水全ての百十倍なり。一切思料を絶すれども、夜の星さらに大きかるべきものあまた、また遙か遠し。光達するに十億年を要すも珍しからずなり。


 遠き平安時代さへ千二百年。さなる二十万倍といふ歳月を想像し得るものかは。さやう想像さへかなはざる永き歳月を光さへ翔ぶべきといふ距りを想ひ画かゆるものかは。想像絶すはまさにこれにありなむ。


 あゝ、天よ。吾がまこと恋せしは汝なり。天の御中なる北極星よ、北の辰(りゅう)なる七星よ、天の川よ、あまたの星々よ、卿らなり。誰かそれを地上で理解せんや。さやうなる者、稀有なり。もしゐるとせば、地上に堕ちたる、翼折れし者のみぞ。夢にあらはれし魔族の貴公子、吾が脳裏に翻るその白き美麗。または十二枚のうるはしき翼持つ熾天使や。

 虚し、さやうなるロマンチズム。ナルシシスムにしかず。ただ時は逝くのみ。


「もうすぐ中秋ね」




 中秋の名月の候。八月十五日と書きて「なかあき」と読むぞ読む俗あるは「中秋」に由来せしとかや言ふらし。古来、春夏秋冬は正月より三ヶ月を置くごとにあり。七、八、九月は秋なり。季節には初、中、晩あり。八月は秋の眞中にて、十五日は月の眞中ゆゑ、これ「中秋」とぞ言ふ。唐土にては初、中、晩を、孟、仲、季といふ。旧暦なる四月(初夏)を孟夏と言ひ、また、中秋を仲秋と言ふはこれなり。すなはち仲秋といふは葉月を言ひ、十伍日のみを差すにあらず。


 さてこのこと陰暦にしあれば、対応せる太陽暦日は、年によりて異なるなり。壬辰の年(平成廿四年)にありては長月(九月)の卅日なりき。癸巳年には長月十九日なりき。甲午は長月八日。乙未は廿七日。丙申十五。丁酉には神無月(十月)の四日なり。戊戌は長月廿四日。己亥十參。


 その夜もまた、大日如来(摩訶毘盧遮那如来)も鎮座ましますやと見紛ふ満(まん)月(がち)輪(りん)(に近き円月)の頃なりけり。この年は秋分に近き日なれば、韋眞子、眞神にあり。


 家の縁側にをり、夜空を仰ぐ。芒を差して飾れり。鈴虫の音玲凛なり。盞を傾けぬ。清酒きよみてすみたり。名月を映す。風涼やかにしてそこはかとなく草葉を揺らしむ。囁きのごとし。皓々たる月、銀の眩きと白の眩き力を合はせ照るなりけり。清涼怜悧なること筆舌及ばず。心すがきこと、えも言はれじ。甚深精妙なりけり。星遵へて燦めきの海を渉る月なる舟、神々しき哉。マハー・ヴァイローチャナमहावैरोचनを満月輪に観想せよといふ摩訶止観の妙も此處に在りしや。


 秋とぞ言へども紅葉未だ遠き。団扇に髪を扇ぐ。柔らかき黒髪揺れそよぎたり。光の粒散るがごとくにて、すがし燦粒を流し眼にて眺め遣りしも、秋深まりぬときを待ち侘びるとは、山野の紅葉(くれなゐ)、黄葉(きいろ)に染まるを愛せばこそかくあらめ。


 まこと眞神の秋は錦繍といふに相応しき艶やなり。金襴緞子も、螺鈿施せし紫摩黄金の蒔絵も、色喪ふなり。さりとても、幽かに霞む枯淡のそこはかとなく匂ふ、何處か懐かしき日の本の国の絢爛、韋眞子、魂魅せられ、これを愛す。


 璃厭のことは何ごともなし。画廊に通ふもあの日限りなり。遅疑逡巡に非ず。獅子が肥へたる鹿を見て、貪る時機を伸ばしつつ、樂しむに似たるや。否。または贅に飽ひたる王(わう)皇(くゎう)が畸形なる精神の、歪みたる悦樂せしや。否。捉へ難くて何とは言へぬもさらさらと清みて明晰なり。秋日の天晴れの陽射しのごとくに。

 某日、某カフェにて曰く、


「なぜなら、わたしの人生がArtだからよ。当然そうなのよ。これは美だわ。

 むろん、わかるわよね、あみ」


「わかると言えば納得しないくせに」

「そうよ。まるで古代の女神のようにね。メソポタミアのウルか、ギリシアのアテネか、異教の都市の神殿に荘厳される女神のようにね。

 ギルガメッシュの王都の城壁の上に立って、自分を袖にした王を呪詛する女神イシュタルのように、よ」

「ぅふん。わたし、いつの日かギュスターヴ・モローGustave Moreauみたいな雰囲気のあるイシュタルを創ってみたい」

「モローにそんな作品あった?」

「たぶん、ないわ。イメージよ。そうなの。何だか、あたりまえのように、それが住みついちゃっているのよね。既に過去に見たことがあるみたいに。わたしね、少女時代にユイスマンス読んで以来、イメージ上のギュスターヴ・モローってのが焼き付いちゃって、頭から離れないのよねー。

 ねえ、楓が染まる頃に、あなたの故郷に行きたわ」

「むろんよ。『随神(かんながら)に神の幸(さき)はふ邦(くに)。神なる侭に神さびせす眞秀(まほ)ら』よ。いつ来ても素晴らしいわ」

「言葉の意味がわかんないよ。何語? 何て言ったの?」

「日本語よ。『神様が神様として幸運に栄える国。神様のままに振舞う素晴らしい場所』って意味よ」

「神聖な場所らしいわね」

「そうよ。あたりまえじゃん、わたしの生誕の聖地だもの」

「じゃ、美神の聖地巡礼で。睿智の杖を持って往かなきゃならないかしら?」

「わかってるわね。美こそが睿智よ。睿智が眞実を創造するからね。だからArtが生きる意味なのよ。太陽のように肯定的な人生だわ」


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