第31話

 その夜、夢を見た。


 小さい頃から飾利に出会うまでの夢。


 普段から飾利のことばかり考えてるのに、なんで小さい頃のことまでセットで夢に出てくるんだと怒りたくなる。


 もしかしたらこの関係の終わりを感じた走馬灯に近いものなのかもしれない。


「お母さん……」


 母を思い出す。


「人に優しくありなさい」


 そう伝えられて育ってきた。


 別に優しくすることが嫌だったわけじゃないけど、親にそう言われると少しストレスに感じる。

 自分の中にほんの少しだけある嗜虐心みたいなものは、多分だけどそのストレスが飾利に出会って爆発したものだと思う。


「お父さんみたいになってはいけないわよ」


 父、紗柄理億さがらりおくは複数の会社を経営していて国内外問わず飛び回っている。


 飛び回ると言ってもドラッグストアや医薬系のグループ会社の社長や会長や、他の企業の経営顧問をしている人というのが何をしてるのかは正直分からない。


 お祖父様について回ってるとも言ってたような。


 まぁ思い出せないことはさておいて、父は私が小さい頃から帝王学やその他経営論、マネジメントの話なんかを所謂おばあちゃんの豆知識のように教えてくれた。

 小さい頃の株の運用の練習とかも含め私は色々と教わっていたし、経営とかに興味があったら参考になる本なんかを教えてくれた。


 いろんなことを知っていて成功してる。


 賢くて尊敬できる「王様みたいな人」なんて私は父のことを思っていた。

 しかし母は違った。女だった私は母に入れこまれることになる。

 彼女は父の交際関係を酷く毛嫌いしていて、私を近づけたくなかったみたい。


 英雄や経営者は色を好むのか、父には愛人が何人かいる。

 父は子供にも優しいし仕事は出来るし本当に理想的な人物だったけれど、そこだけが唯一の欠点。


 いや紗柄の男性というのがそもそも色好きみたいで、お祖父様もそんなだと母に聞いたことがある。


「若い頃はあんなに誠実で優しい王子様みたいな人だったのに……今じゃ他の女と……」


 娘である私にはあまり現実味がなくて「もしかしたら知らない兄妹までいるかもしれない」なんて軽く思えるかもしれないが、妻である母はそんな軽い認識ではいられない。


 父とは恋愛結婚だったからか、その事実をひどく嫌っていたのだ。


 しかしお金のある家に嫁げたのだからと必死に受け入れ、日常や父の関係する嫌なことは全部私に吐き出した。


「あの人は悪魔だよ。人の想いを笑顔で踏みにじる。そんな人になってはダメだからね」


 悪魔が無辜の民を洗脳するように語りかける。


 父は愛に冷めてるわけじゃない。

 父は母のことも愛している。

 ただ少しだけダラしがないだけだ。


 私は母のことを話す時の父の笑顔を知っている。


 馴れ初めを私に話した時のロマンチックで照れ臭そうな表情は今でも忘れない。


 そんなに好きなら愛人を作るなと思うけど、それでも夫婦関係は続いている。


 夫婦仲は険悪にはならなかったものの、母が心の引き出しに押し込めた感情というのは全て私に投げつけられる。


「私はこんなに愛しているのに」

「理億さんみたいに口先だけの人になってはいけない」

「あなたは若い頃の理億さんにそっくり」

「人の気持ちが分かる優しい子になってね」

「虫も殺せないくらい優しく、あんな父親のようにならず、好きな人に脇目もふらず愛を注いで……」


 そんな言葉をかけられ続けた。


 気持ちは分からなくもなかったけど、母の理想の王子様のようなものを演じるのは

心が苦しい。


 表面上では仲のいいフリをして、大好きな父への侮辱と理想という重圧を私にかける悪魔のような母にはいくら娘でも付き合いきれない。


「理億さんがダメでもあなたがいれば……」


 父といる時は表面上穏やかに隠しているが、確実に母は病んでいる。


 2人でいるときは父のように優しくしなければ癇癪を起こしかねないし、優しくするたびに過去の父の幻想を追うように悪化していく。


 父の若い頃を踏襲する品行方正な振る舞いをして母のご機嫌を伺う日々。

 いつ変な愛を向けられるのかと怯えてはいたが、なんとかやっていた。


 ただやっぱり限界はある。


 母じゃなくて紗柄京、私の限界だ。


「理億さん、おかえりなさい」


 中学にあがり父の名前で私を呼びはじめた時、もうこちらがついていけなかった。

 私は紗柄京で、綺麗な関係を気付いていた頃の紗柄理億じゃない。


 父に求めていたモノを取り戻そうとしても私からは取り戻せないのに。


 それが息苦しくなって高校入学と同時に実家を出た。


 飾利にも話したように資産運用の練習で高校生の手には余るほどのお金も持っていたし、通う予定だった高校の近くに父の別宅があったからそれを間借りしている。


 母のいない生活、縛られることのない生活は楽しい。


 母に強制された品行方正さは簡単には自分から抜けなかったけど、母がいないだけで心は軽かった。


 お母さんの重圧があったから私は誰にでも優しくいられるんだと、今なら母に感謝出来るほどに心に余裕がある。


 そんな中で1人の女の子に出会った。


 七星飾利、2年で同じクラスになった女の子。


 1年の頃に綺麗な子だって男子から名前は聞いたことがあったけど、同じクラスになってみると、ハッチャケがちな私たちのグループとは違って、物静かなグループでいつも穏やかに澄ました顔で話している。


 確かに綺麗で穏やかだけど、表情に乏しくて笑ってるのか怒ってるのか分からない子なのが印象的。


「七星さんはミステリアスで高嶺の花って感じだけど、紗柄はとっつきやすいから行きやすいよな」


 そんな男子の下世話な会話を聞いたからか、私はあの子が最初は好きじゃなかった。


 七星飾利は、ただ大人しく達観したような雰囲気を出している。

 穏やかで淑やか、顔立ちも綺麗で言葉数も多い訳じゃない。


 簡単に言うとミステリアス。それだけだ。


 頭も良い訳じゃないし、運動が特別得意なじゃない。むしろ勉強も運動も不得意。

 何も出来ないくせに大人ぶってクールなフリをしているのが気に障る。


 最初はそんなイメージだった。


 しかしそんな私のイメージは一気に打ち破られる。

 雨の日に友達と別れて、自宅マンションへの帰路、交差点で1人の女の子がずぶ濡れで道端に膝をつき項垂れていた。


 私は彼女が濡れないよう後ろから傘に入れ、膝をついたその視線の先を覗き見る。

 死んだ野良猫だ。


 しきりに降る雨の中、頭から血を流している猫を傘も差さず膝をついて見ている。


「ごめんね」


 私はそう呟いて手を伸ばしている彼女の腕を掴んで引き止めた。


「ダメだよ。汚れちゃう」


 そうやって声をかけるとずぶ濡れの彼女はこちらを向く。


 ————七星飾利だった。


 いつも穏やかで淑やかな彼女が、下瞼を真っ赤に腫らして、今にも壊れてしまいそうな力の抜けた表情でこちらを見上げた。


 その表情はクラスで見ていた彼女のものとは思えずついつい口を開く。


「君は同じクラスの……?」

「紗柄さん……?」


 そう彼女が呟いた瞬間、彼女の眼から涙が溢れた。


 クラスで見る穏やかで凪のような表情だったけれど、涙が一筋流れるだけで彼女の感情がこちらに突き刺さる。


 それは真っ白な画用紙にアクリルの絵の具をまとめてブチ撒けたように、私の目にはとても鮮烈に映った。


「泣いてる……?」

「泣いてない、これは……雨だよ」

「傘差してるのに?」


 大人ぶった印象がある飾利の、そうやって無理のある隠し方をしている様子がとても可愛くてつい笑ってしまう。


「ウチ、近いからおいでよ。着替えないと風邪ひいちゃうし」


 その後に話してみると彼女は別にクールやミステリアスを気取っているわけでもなく、感情を表に出すことが苦手ですぐ冷静になってしまうらしい。


 それは本当みたいで、猫の死体を目の前にして泣いていたのにもう落ち着いていた。


 あの泣き顔は見れないのかな。

 もう一度見たいな。可愛かったな。

 そんな欲求が心の奥から湧いてくる。


「じゃあ君のせいで死んだんだね。あの猫」


 好奇心半分で、精神的に少し追い込みをかけてみた。


 そんな鞭のような言葉で苦しそうにしている彼女に、飴として受け入れる様子を見せたら彼女は全力で泣いた。


 学校では聞いたことのないような大きな声で、心の優しい子供みたいに「ごめんなさい」と猫に謝りながら泣いた。


 彼女がそんな風に泣いている姿や表情が、とても愛おしかった。

 そして一通り涙を受け止めた上で


「……ねぇ、私と付き合わない?」


 目を赤くしている目の前の女の子と一緒にいたくて、私は想いをそのまま口にする。


 彼女は「えっ?」と困惑した様子だったけれど私は感じたままに言葉にして伝えた。


「女同士で変かもしれないけどさ、私は飾利に一目惚れした。私の前なら泣きなかったら泣いていいし、笑いたかったら笑って、怒りたかったら怒ればいい……」


 真っ赤な目でまっすぐこちらを見つめるその視線を、私は真剣に見つめ返す。


「苦手なら感情を出せるようにしてあげる。上手くできなくても私の前なら好きに感情を出していい。というか出してほしいんだ。あなたの顔も、実は豊かな感情も独り占めしたい……! 飾利の今の感情も表情も、可愛くて素敵なんだよ」


 迷う様子を見せていたけれど、飾利は少しの間を置いてOKしてくれた。


「感情を共有できる相手がいるのは……良いかもね」


 そんなことを言いながら普段見るよりも柔らかく笑う彼女をまた抱きしめる。

 可愛くて歪な、愛しく守りたくなる女の子の素直な泣き顔に私の欲求は振り切れた。


 彼女の感情はとても美しくて、人間的で素敵だった。


 笑顔も泣き顔も怒った顔も、全部見たい。


 その上で彼女には私を求めて欲しい、2人でドロドロの感情の沼に浸かりたい。

 その為にいじめたい。彼女を曇らせてグチャグチャにしたい。


 でも嫌わないでほしい。


 私からしたら取るに足らない歪みを重く捉えてしまう彼女の愛おしさを確認したい。

 それでも嫌いにならないことを確かめたい。


 そんな”確認作業”が紗柄京から七星飾利への愛情表現だった。


 「……夢か」


 まるでスライドショーだ。

 小さい頃から今までを一瞬に凝縮して経験したかのような重さが身体にのしかかる。


「ふぅ」


 息を吐いて額に手の甲を当て、思考を整える。


 忘れない出会い。


 あの時の出会いと飾利の表情が忘れられなくて愛の”確認作業”だとか言って、彼女を貶めていた。


 それが問題だったんだ。


 だからきっとすれ違って、私側の欲求が強くなって、今更引っ込めたところで意味がなくて戻れない。


 あぁ、だからこそだ。


 リセットするために、最初に立ち返るために私は勇気を出して謝ろう。

 ベッドから体を起こして私はスマホで時間を確認する。


 7時7分。七星飾利という文字列が後ろにくっついて空目する。

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