第9話

 お風呂から2人で上がって夜の9時を回る頃。


 明日は日曜だから夜更かしできるね。なんて京ちゃんは言うけれど、大体土曜の夜は9時を過ぎたら2人とも京ちゃんのベッドでのんびりしてしまう。

 のんびりと言っても寝るわけでもないし、寝かしてもらえるわけでもないんだけど。


 お風呂上がりの頭をタオルで包んで、京ちゃんの部屋に入ってドライヤーをしてもらういつもの流れ。

 至れり尽くせりで申し訳なくなるけれど、京ちゃんは長髪にしたことがないから長い髪を触るのが好きらしい。


「京ちゃんは長髪でも似合うのにね」

「時間かかるじゃん。伸ばすのはもちろん、シャンプーも乾かすのも」

「私はいつもやってるけど」


 慣れれば大したことないよ? そんなニュアンスを込めてそう言うと京ちゃんは


「飾利はしっかり女の子だからね」


 なんて自分がまるで男の人であるかのように笑う。


「たしかに、京ちゃんは王子様かも」

「はいはいお姫様、こちらへ来てくださいね」


 ベッドの上にエスコートされながらふふって笑いを2人ともが少し漏らす。

 こういう意味のないやりとりも、2人で部屋にいる時は特別な会話のように聞こえるし、きっと特別な会話をしても、それは日常の一部でしかない意味のない会話に聞こえるんだろうな。


 2人の関係が日常に溶け込んでいる。

 しかし、そんな日常の中でも気づけるひとつの違和感を京ちゃんのベッドの上にある棚に見つけた。


「……なにこれ?」


 丸い卵のような体に丸めて伸ばしただけの腕を雑につけて焼いたような陶器のような置物がヘッドボードで鎮座していたのだ。


 ハニワ……の偽物みたいな感じ

 前までこんなものはなかったはずだ。


「あぁそれ? 守り神」

「守り神?」

「小学生の頃作ったんだ。可愛いでしょ」


 可愛いのかな……? 


 ちょっと理解しがたい、物があまり多くない京ちゃんのイメージとはまた違う、トンチキというかシュールな見た目が部屋の中で違和感となって浮いている。


 私に言う可愛いとはカテゴリが違うことを願うばかりなんだけど。


「前までなかったよね?」

「この前に実家へ戻った時に見つけたから持ってきたんだ」

「へぇ……卵みたいなのによく立ってるね」

「これはね、ほら」


 京ちゃんがそんなずっしりとした置物を指で小突くとぐらりぐらりと回転して揺れる。

 それはとても不安定そうに揺れるけど重心のバランスがいいのか真っ直ぐ立ち上がって落ち着いて見せる。


「面白いでしょ、絶対立つように作ったんだ」

「凄いね」

「フラフラして立ち上がるの、飾利みたいだよね」


 ふふッと笑ってこちらを見つめる。

 自分でも納得してしまいそうになるけれど、私の場合はどっちかって言うと京ちゃんに寄りかかってるから違うような気がする。


 というか私がグラグラ揺れてるとしても揺らすのは京ちゃんじゃない?


 京ちゃんに振り回されてどうしようもなくキャパオーバーした時、京ちゃんが「ふふふ」って笑うことでちょっとしたイタズラ、私を乱して観察する”確認作業”だと気づいて少しほっとする。


 その時の私みたいってことなのかな。


 少し考えすぎ?


「慌てた時の飾利の心みたい」

「やっぱそういうことなんだ」

「ふふっどうでしょう」


 こちらの心を読んだみたいに京ちゃんは笑ってまた置物をツンと小突いた。

 ぐるんと回転しながらフラつく。


「というかなんでここなの? 前まで置いてなかったよね」

「風水? 的にそこがいいんだって」


 京ちゃんって風水とか信じるタイプなんだ。

 自分は風水自体が何かすら分かってないのに、そんなことを思った。


 揺れながらまっすぐになる置物を見つめる。

 なんかコトコトと揺れて戻る様が少し間抜けで面白い。


 ……私みたいって言われた手前、なんとも言えない気分になるけれど


「あっちょっと待ってて。ドライヤー持ってくる」

「はーい」


 京ちゃんがそう言って部屋から出ると、夜の静かさが部屋に広まる。

 そしてさっきの置物とちょうど目が合った。


「これ……私みたいかな?」


 卵形の置物の一頭身っぷりにそんな疑問が思い浮かぶ。

 というかよく見ると定規かなにかで、簡単に顔のパーツを彫ってある。


 そんな絶妙なブサイクさが可愛い。


 とはいえ女子の可愛いには「なりたい方の可愛い」と「なりたくない方の可愛い」の2つがあってこれは後者。


 なんだっけ、ハンプティ・ダンプティ? みたいな可愛さ。


「グラグラしてるかぁ……」


 京ちゃんがやっていたみたいにツンと、その置物を自分に見立てて小突いてみた。

 戻れるものなら戻ってみろ。


 そんな気持ちを込めて、何の気なしに小突いた。

 そして、血の気が引いた。


「えっ——」


 その置物は立ち上がらなかった。


 なぜならその一頭身は小突いた勢いで、グラりとしたらポロリと右腕が取れたからだ。


 両腕で絶妙な重さのバランスを保っていたからか、完全に左腕をヘッドボードにつけて片手バランスしてしまっている。

 助けを求めてるのがヒシヒシと伝わる。


 今の私と同じで。


「どうしよ」


 あーあーあーまずいまずい。そんな声が脳内で響いてる。

 人の大切なものを壊してしまう時の「やってしまった感」が、私の中でいっぱいに広がっていて背中に冷たいものが伝ってくる。


 これは髪の水滴が冷や汗か……


 なにより京ちゃんが戻ってくる前にごまかさないといけない。

 えってかこれ本当にどうしよう?



 パターン1

「いやー可愛いねこれ」

 腕を繋がったように手に持ってとりあえずやりすごす。


 京ちゃんにドライヤーをされながら?

 無理無理無理。



 パターン2

「京ちゃん! この置物が気に入ったからくれない?」

 多分京ちゃんは「あげるよ」って言うと思う。


 けどその後どうするの?



 私の家に来て腕が取れた片手バランス置物に出会ったら、きっと京ちゃんはショックを受ける。

 物に執着がないとはいえ、あの言い方だと思い入れを持たないタイプじゃない。


 「壊しちゃったんだ……」


 そんなことを言う京ちゃんの顔を想像したくない。

 楽しいお泊まりの気分だったのに、自分のちょっとした不注意でこんなことになってしまうなんて。


 我ながら無い頭を振り絞って考えたけどなかなか対応策が思いつかない。


 もう正直に謝るしかないかな。

 そんなことを思った時に扉が開く。


「おまたせー」

「あっ京ちゃんあのね……」


 開口一番で謝ろうとした瞬間


「あれっ? 置物……」


 京ちゃんは説明する前に状況を一瞬で判断して言葉にした。

 こちらが先に謝ろうとする前にそう言葉にされて一気に喉の筋肉が固まった。


「壊しちゃったんだ……」


 想像通りの言葉が出てきてしまいさらに言葉に詰まる。

 謝罪を罪悪感が追い越して喉を塞ぐ。


 眉の上がった悲しそうな表情が胸を絞める。


「あっこれね、京ちゃ……」


「これさ、小学生の時にお父さんと作った思い出の置き物なんだよね」


 遮るように続ける京ちゃんに背中から矢で射抜かれた気分になる。


「うっ、ご、ごめんなさい!」


 呆然と状況を眺める京ちゃんを見て急いで謝る。


「あー……そうかぁ……」


 くぅ……という喉から吐き出てしまっている言葉にならないため息を聞いて、私はとにかく謝る。


「ほ、本当にごめんなさい」


 私は謝るしか出来ない。


 代わりがないものを壊してしまって弁償も出来ないし、京ちゃんにかけがえのないものだからこそ、多分壊れる瞬間にその場にいなかったことがショックなんだと思う。


 やってしまった。胸が押しつぶされる。


 自分が悪くて、それでも何も出来ないことが苦しい。

 息が早まる。自分が悪いのに。

 頭で感情を噛み砕いて心の奥底に沈めようとしても、とめどなく罪悪感は心に注がれて苦しさに溺れそうになる。


 そもそもこれは自分が受ける罪みたいなもので苦しむべきだ。

 そうやって反射的に苦しさから逃げようとする自分を律する。


「いいよ。壊れちゃったものは仕方ないからさ」

「……」


 力無く笑ってこちらを見る京ちゃんに合わせる顔がなくて、目をどこにやるか困りながら、左手をついて横に倒れる置物を見る。


 そのまま死んでるみたいだった。


「ほ、本当にごめんなさい……」


 ダメだ。

 同じことしか言えない……。

 頭を上げることができなくて、なんなら罵倒してくれた方が気が楽になる。


 そんなことを思っていると


「……ふふっはははっ!」


 頭の上から京ちゃんの吹き出すような笑いが聞こえた。

 私はつい反応して顔を持ち上げて京ちゃんの顔を覗き上げる。


「……っ?」

「気にしないでいいよ。それ別に大したものじゃないから」

「えっ……?」


 顔を見てみれば、さっきの力無い笑顔と違って京ちゃんはカラリと笑った。


「でも、小さい頃に作ったんだよね? 思い出とか……」

「うーんまぁそうだけど物って壊れるもんだし別に気にしてないよ」


 京ちゃんは持っていたドライヤーを部屋のテーブルに置いて、起こされ待ちをしている置物に手を伸ばし、置物の左腕を外した。


「え……っ?」


 そんな光景につい声を漏らす。


 そうして置物を置くと、それは綺麗にバランスを取り戻した。

 私は起き上がったことに驚いたのか腕を外したことに驚いたのか、自分でも判断できなかった。


 京ちゃんはそんな私の感情を読み取ったのかこちらを見つめて口を開く。


「この置物、腕取れそうだったんだよね」

「そ、そうなの……?」


「ちょうどいいから置いとけば飾利が壊すかなって。いやぁ壊れないように突くの怖かったぁ」

「えっ!?」


 そうだったのか……。

 安心と、それに近いけど別物の感情が湧いて全身に力が入る。


「あっ! 今度は驚いたね。可愛いなぁ」

「な、なんで……」


「大切なものを不可抗力で壊しちゃった時の顔を見たかったし」


 これはあれだ。

 また京ちゃんの”確認作業”だ。


 お風呂のそれとは違って今回のは悪質なドッキリじみてる。

 本当に……本当に心臓に良くない……。


 申し訳なさと自分の無神経さに押しつぶされそうになったというのに、京ちゃんがケロリとそんなことを言って見せるから力が抜けて後ろ側に倒れそうになる。


「おっと! 早く髪乾かそう。湯冷めして風邪引いちゃうよ」


 後ろに倒れそうな私を京ちゃんが片手で支えてくれる。


「いや、ちょっと……テンション感で風邪引きそう……」


 私はヘロヘロになりそうに言う。


「その時は看病してあげるよ」

「弱ってる私の顔見たいだけでしょ」

「ふふふっ」


 全くこの子は……


 笑うだけで否定しない京ちゃんに少し呆れた気持ちをしながらも、徐々に込み上がってくる安心で気持ちは楽になる。

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