第27話 謎の声

パルトは絶望していた。

母と妹の死、そして、憧れていた父の死を目の当たりにして。


パルトは自戒していた。

小さくて弱くて、何も守れない自分自身に。


パルトは憤りを感じていた。

理由も言わず、突然村を、そして家族を襲ってきた目の前の男に。



だが、1番憎いのは自分自身だ。パルトは自分が憎くて仕方がなかった。弱い自分が許せない。何もできない自分が情けない。目の前で息絶えた父と妹の姿は、パルトに憎悪を与え、彼の心を貪り尽くしていく。





「さて……これでやっと帰れるよな。」



男はそう呟くと、ゆっくりとパルトのもとへ歩み寄る。その足取りは軽く、3人も殺めた後とは思えないほど軽快だった。


パルトの前に立つと、男は小さく息をついた。



「……こんなゴミを欲しがるなんて、上様もよくわからんよな。しかしまぁ、エリ様のためになるなら仕方ないよなか。」



男はぼやきつつ、渋々とした態度でしゃがみ込む。そして、パルトの顔をゆっくり覗き込んで襟に手をかけた。


だが……



「……わるな。」


「?」



男には確かに聞こえていた。目の前の小さな亜人が溢した言葉が。



(こいつ今……触るなといったよな?)



その反抗的な態度に、一瞬苛立ちを覚えて殺してしまいそうになったが、上の命令に背くことはあってはならない。この兎人の子供を連れて帰れというのが、今回の指令なのだ。男は苛立ちを堪える様に襟を掴んだ拳を握り締めると、兎人の子供をそのまま持ち上げて、もう一度顔を覗き込む。



「何か言ったかよな?」


「黙れ……」



問いかけに対して、返ってきたのは憎しみが込められた一言のみ。おそらくは絶望で体を動かす気力すらないのだろう。だが、涙が浮かぶその瞳の奥には、真っ黒な憎悪が小さく燃えている。それを見た男は、今度は少し嬉しそうに笑った。



「なるほど……良い眼をしているよな。」



わかりやすい殺意。憎悪に混じる後悔と自戒の色。そして、この兎人から感じられるひとつの波長。それらに気づいた男は、腑に落ちたように笑みを溢す。



「こういうことかよな。なら、さっさと帰るよな。」



男はそう呟くと、静かにこちらを睨むパルトの意識をいとも簡単に刈り取った。





うつろな意識とぼやけた視界。現実なのかもわからない虚無の中で、パルトは覚えている怒りを頼りにもがいていた。



(僕が……弱いからいけないんだ……)



父への憧れが強すぎて、自分自身が強くなったつもりでいたのかもしれない。だが、恐怖を目の前にした途端、体は動かず何もできなかった。これが現実だ。

父の凄さを改めて感じた。あれだけの差を見せつけられてなお、家族のために戦っていたのだから。



(あそこにもしも、僕が加わっていたら……)



もしかしたら、結果は変わっていたかもしれない。そう考えてみたが、パルトは自分の楽観さに嫌気が差した。なぜなら、それはただの妄想に過ぎないのだから。



(こんな状況なのに……僕の頭は本当にお花畑だな。でも、もっと早くに父さんから戦い方を習っておけば、誰かを守ることはできたかもしれない。)



パルトの中で、家族を殺された怒りが自分自身に対する怒りへと明確に、そして具体的に変化していく。父にただ憧れるだけで、何もしてこなかった自分。父と母に守られるだけの自分。そんな自分が許せない。今更ながら、これまでの生き方に対する後悔の波が心の中で押し寄せてきた。



(……父さんは本当に強かった。だから、僕は憧れたんだ。なのに、今まで戦い方を教えてと言えなかったのは、僕の怠慢でしかない。憧れるだけで、僕は心のどこかで自分ではその強さに届かないと諦めていたんだ。父さんになんて到底届かないって。でも、今なら本気で思える。あの強さが欲しい……。もう何もかも手遅れだけど……)



自分への怒りが後悔の波に飲み込まれる。父と母に守られ、ぬくぬくとぬるま湯に浸かっていたのは、誰でもなく自分のせいなのだから。


その感情が生み出したのは強さへの渇望……いや、それは渇望というよりは嫉妬に近かった。パルト自身はそのことを理解していないが、それは父の強さへの嫉妬となり、パルトの心の中で大きくなる。





―――ち……が……めざ……す……



 


ふと、声が聞こえた。それに気づいて閉じていた目を開けると、視界に映る景色が違うことに気づく。それにぼやけていた視界と意識が、いつのまにかはっきりとしていることにも。

驚いて顔を上げると、眼下には空が広がり、自分を担いでいた男の姿は無くなっていた。同時に、真下から強烈な風が吹きつけてきた。それはまさしく自分が落下している証拠。そのことにパルトは強い焦りを感じる。



「なっ……!なんで……落ちてるの……!?」



本能が危険信号を発している。だが、ジタバタともがいてみても、ちっぽけなパルトの力では強大な重力の力には抗えない。風の強さで体がくるりと回転し、バランスが崩れる。そのことが余計にパルトに焦りを与えた。何とか体勢を整え、体を大きく広げて落下するスピードを殺そうと試みる。だが、案の定、大した効果は得られない。まさに万事休すとはこのことだ。地面に叩きつけられたことを想像し、胃を誰かに握り締められる感覚に気分が悪くなる。



(このまま地面に叩きつけられたら……やっぱり痛いんだろうか。痛さを感じる暇はあるのかな。あれ……?でも……)



死に近づいているというのに、やけに頭がすっきりしている。その頭で冷静になり、よく周りを見回してみた。すると、眼下に広がっているのは雲海だけで、陸地はどこにも見当たらないことに気づく。


白雲が浮かぶその空は、自分の記憶にある青ではなく、薄いピンクが混じり合った神秘的で、かつ幻想的な色。そんな不思議な様相を醸し出している空間で、まるで永遠と続く空の中にひとりだけ放り込まれた様な状態に、パルトは混乱してしまう。



ーーー亜……の……子よ



引き続きジタバタとしていると、再びあの声が聞こえてくる。それは透明感のある心地の良い女性の声。だいぶ聞き取りにくいが、その声を聞いたパルトの心は、不思議と落ち着きを取り戻していった。



ーーーそ……ちから……をそ……なさ……い



「なんて言ってるの?よく聞こえないよ!」



所々にノイズが走り、上手く聞き取ることができない。もどかしくなって聞き返してみても、それに対する返事はなく、声の主は録音された音声のように、ただ一方的に言葉を投げかけてくる。



ーーーていこく……あるお……こが……ます。会い……い。



なんとか聞き取れたのは、"ちから"と"ていこく"くらいだ。しかしながら、この単語が本当に正解なのかは定かではない。それほどまでに、女性の声は聞き取りにくかった。



「帝国がなんなの!?力ってなんなのさ!ねぇ!!」



募ったもどかしさがパルトの声を大きくするが、やはり返答はなく、パルトは歯痒さを感じてしまう。仕方ないので、コミュニケーションを取るのは諦めて、女性からのメッセージを思い返してみる。が、そもそもほとんどの言葉を聞き取れていないので、彼女の意図を推測しようもなく、再びもどかしくなる。


そうしているうちに、女性の声はほとんど聞こえなくなってしまった。残されたパルトは、ただ落下を続けるだけ。



「あの声……何を伝えたかったんだろう。」



いつ終わるかもわからないこの落下劇に慣れてしまったパルトは、混乱している頭を整理しようと思考を始めようとした。


だが、物事の終わりとは唐突にやってくるものだ。



(あれ……急に眠気が……)



そう思った瞬間、パルトの意識は泡と消えた。

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