第18話 疾風
第18話 疾風
コルディア司国とマレウスフィカレム帝国の境には大きな森が広がっている。この森は、はるか昔より人を近寄らせることなく独自の生態系を築き上げ、今では野生の魔物たちが数多く跋扈しているまさに魔窟と呼ぶに相応しい森である。
その名をアイビオリスの森。
深淵の悪魔を意味するその森では、人が生きることは困難を極め、一度踏み入れば悪魔に誘われる。そう恐れられている。
だが、そんな環境にも屈することなく進化を遂げた種族がいる。人ならざる獣の姿をした彼らを、人は亜人族と呼んだ。彼らはこの森でコミュニティを形成し、人と相入れることなく今も人知れず生きている。
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「父さん!また仕事!?」
長い耳をパタパタと揺らしながら嬉しそうな顔を浮かべて、小さな兎人族の男の子は父のもとに駆けつけた。
この少年の名は、パルト=ボーノ。
アイビオリスの森の奥深くにある兎人族の集落に住んでいる9歳の兎の少年。彼は父の仕事に誇りを持っており、いつも父の活躍する姿を想像しては、まるで自分ごとのように嬉しそうに飛び跳ねていた。
そんな息子に対して、父ラビトは優しく微笑みかける。
「そうだな。今回も父さんがたーんと稼いできてやるからな!」
拳を握ってそう告げる父を見て、パルトはより一層笑みを深める。
「うん!今回の任務は何だろうね!でっかい魔物の討伐かなぁ!それともやっぱり魔族をやっつける仕事かな!」
「今回は魔物の群れの討伐らしいぞ。何でもコルディア司国の国境付近にガルディアの群れが出たそうだ。奴らは近くの村を襲っては家畜や人族で腹を満たしているらしく、見兼ねたコルディア司国がギルドに依頼を出したみたいだぞ。」
それを聞いたパルトは、少し強張った表情で喉を鳴らした。ガルディアというのは、狼型の魔物のことだ。奴らは基本的に群れで行動し、狩りの時はリーダー格の個体が群れに指示を出して獲物を襲う。その連携力は大型の魔物すら翻弄すると言われ、アイビオリスの森の中でもかなり厄介な存在。亜人族は全体的に魔物よりも格上ではあるが、ガルディア相手に大人でさえ遅れをとることもあるし、子供が襲われることだってよくある話。特に兎人族はガルディアに狙われやすく、彼らにとっては天敵とも言える存在だった。
「ガ……ガルディアかぁ。でも、父さんなら簡単にやっつけちゃうよね!」
自身の不安を無理やり拭うように父へ尋ねるパルト。そんな彼の心情を見抜いているラビトは大きく笑った。
「ハッハッハッ!なんだパルト。怖いのか?」
「ち……違うよ!怖くなんかないって!」
父の指摘に焦るパルト。その様子が可笑しくてラビトは笑い続ける。パルトが頬を膨らましながら父に文句を言っていると、今度は家の奥から母サウがやってきた。
「あなた。からかってはかわいそうでしょう。パルトはまだ9歳で、村の外のことを知らないんだから。」
「ハハハ……すまんすまん。相変わらずパルトは優しいからな。母さんに怒られてしまった。」
「もう……2人ともいつも子供扱いして。」
そうパルトが頬を膨らませると、父も母も笑う。いつもと同じ他愛のない日常がそこにはあった。
パルトは今の環境にとても満足している。強くてカッコいい父と厳しくも優しい母。それにうるさくて憎たらしいけど可愛い兄妹たちも大好きだ。森での生活は過酷なもので決して豊かとは言えない。アイビオリスの森の土地自体は肥沃で果実や野菜などの作物をはじめ、家畜もよく育つ。だが、魔物の脅威がついて回る。そういう意味で、パルトたちの家族だけでなく、兎人族を含めた亜人族全体の暮らしは決して楽なものではない。
それでも、パルトは家族に囲まれて生きていることがとても幸せであった。
「じゃあ、行ってくる。」
「あなた、気をつけて。」
「あぁ。今回はいい稼ぎになりそうだから、帰りに街で何か美味しいものを買ってこようと思う。」
ラビトの言葉に妻のサウは優しい笑みを浮かべた。彼女に微笑み返したラビトは、美味しいものと聞いて喜ぶパルトへと向き直る。
「兄妹たちを頼むぞ。お兄ちゃん!」
突然、父にそう言われたパルトはなんだか背中がこそばゆい感じがしたが、父から頼まれたことには全力で応えたい。そう思って力強く頷いた。ラビトもそれに頷き返すと、笑顔で家を後にした。
そうして、パルトはこの日もいつものように父の背を見送った。
〜
床を軋ませて歩く大きな足。その持ち主は冒険者たちで賑わうロビーでその足を止めた。
「皆、集まってくれ!」
野太い声が広い部屋にそう響くと、その声に反応した者たちがぞろぞろと集まり始め、人だかりができていく。
「ひぃ……ふぅ……みぃ……よぉし!全員集まったな。それじゃ、今回の依頼内容を説明する。ヒルダ!」
大きな体躯、傷だらけの腕、そして隻眼。まさに歴戦の戦士を思わせる男の名はバルダス。このギルドのギルド長を務める男。そして、バルダスに呼ばれた美しいその女性は受付嬢ヒルダ。彼女はバルダスの前まで来ると、コホンと咳払いを一つして手元にある依頼書を読み上げていく。
「今回の依頼はコルディア司国からのものです。内容は魔物の討伐。アイビオリスの森との境にある集落がガルディアの群れに襲われたとのことです。このまま放っておくと被害が拡大しかねないと判断したコルディアの上層部が、ギルドへ討伐を要請してきた。そういう顛末です。」
「……ということだ。」
バルダスがそう告げると、人だかりの中に小さな喧騒が湧き上がった。
「ガルディアか。まじかよ……」
「厄介な奴らよな。」
「俺、ガルディア討伐は初めてかも。」
様々な感想が小さく湧き上がっては消えていく。それを無表情のままバルダスは見つめていたが、ふと人だかりの後ろの方で挙げられているフワフワな手を見つけてニヤリと笑う。
「よう、疾風!何か質問か?」
その言葉がまるで滝を割るように人だかりを二つに分けていくその先に、兎人族の男が立っていた。
彼を見るや否や、周りの冒険者たちの何人かがざわつき始める。中には明らかにわかりやすく舌打ちをする者や、わざと聞こえるような声の大きさで罵倒する者もいるが、大半の冒険者は彼を見知っているような態度で、口を開かずに彼の言葉を待っている。
「群れとは言ったが、ガルディアのみか?」
「コルディアからの報告ではそうなっています。」
「なら、群れの大きさは?」
「確認できているのは全部で20体ほどのようです。」
「20体……ちなみにリーダー格の個体の色は?」
「茶色と報告されています。」
ヒルダからそこまで聞くと、疾風と呼ばれた兎人族の男は右手を顎に添えて何かを考え始めた。パタパタと耳を動かし、ブツブツと何かを思考している彼をバルダスとヒルダを初め、周りの冒険者たちも静かに見守っている。だが、痺れを切らした冒険者の1人が声を荒げて前に出た。
「お前亜人族だろうが!しゃしゃり出てくんじゃねぇよ!」
男は相当イラついているようで、兎人族の男に近づくとその胸ぐらを掴んで睨みつけた。周りの冒険者たちはそんな2人に好奇の目を向けているが、兎人族の男は特に焦る様子もなく冷静に受け応える。
「……ん?あぁ、すまん。だが、魔物討伐において情報は重要なんだ。特に自分や仲間の命を守るためには……」
「あ゙ぁ゙っ!?」
態度もそうだが、どうやらその冒険者にとってある言葉が一番気に食わなかったらしい。彼の中で何かが切れる音が聞こえ、罵倒と同時に拳を兎人族の男へと向ける。
「仲間?ここにてめぇらの仲間はいねぇだろうが!この薄汚ねぇ亜人の兎野郎が!」
一瞬、男の拳が兎人族の男の顔を捉えたかに思われたが、その拳は空を切る。そして、気づけばその彼の体は宙を舞い、そのまま後方へと吹き飛ばされた。テーブルとイスに体を叩きつけられてそのまま沈む男。対して、何事もなかったような素振りで手をはたく兎人族。冒険者たちの中にはそんな2人の様子を見て、ため息をつく者や小さく笑う者もいるが、それらは全てバルダスの笑い声に掻き消された。
「ぐわぁっはっはっは!!ラビト、相変わらずだなぁ!」
「いや……笑ってないで止めろよ。」
兎人族の男は大きくため息をつく。それを見てバルダスはさらに大きく笑うのだった。
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