ギャングシティ・オンザドラム
織部
第1話 ギャングの街
アパートの扉を、どんどんと叩く音で、俺は目覚めた。
昨日、贔屓の野球チームが珍しく隣国のチームに勝った祝勝会を一人でやり、酒に飲まれて寝落ちしてしまったらしい。
TVはつけっぱなしで、くだらないソープオペラが流れている。ソファは俺の体の跡を残し、部屋には酔いの残り香が漂っていた。
「いるんだろう、起きろ、事件だ!」
不快に響く端正な声の主はマクマホン。この街で最も敏腕とされる判事で、俺の大学時代の「知り合い」だ。かつて、奴が唯一叶わなかった男が俺――アシュ
私立探偵をやっているが、まあ、基本暇だ。
「わかった。ちょっと待ってくれ」
頭が割れるように痛い。机の上に放り出した酒瓶に手を伸ばしたが、当然空っぽ。仕方なく、扉の鍵を開けて奴を中に入れると、バスルームに駆け込んだ。
「事件のあらましだが――」
部屋に入るや否や、こちらの都合もお構いなしに話し始めるマクマホンを無視して、冷たい水で顔を叩くようにして目を覚ます。シャワーを止め、タオル一枚でリビングに戻ると、奴がロキにドッグフードを与えていた。
「まだ、こんな体に悪い物を食べさせているのか?」
ロキ――あいつが残していった唯一の形見の犬。賢くて我慢強い奴で、餌の在り処を知っていても俺を起こさないし、文句も言わない。
「ああ、それがロキには合ってる」
適当に返して視線をそらすと、マクマホンの鼻で笑う声が聞こえた。
部屋のベルが鳴り、ピザのデリバリーが到着したらしい。頼んだ覚えがないが。
「間違いだよな」
「いや、俺が頼んだ」
「何だって! マクマホン、払っといてくれ!」下着とシャツを探して、洗濯かごを漁る。
「現金なんて、ここ何年も持ってないぞ」
「まじかよ! どうせ知ってるだろう? 俺の小銭入れの場所」
仕方なく、俺が支払うことにした。
マクマホンはソファのクッションのファスナーを開け、隠しポケットを漁って小銭を見つけると、デリバリーに渡した。
珍しい人間の配達員が、緊張をしながらも「まいど」と声を出して帰っていく。
「何だって、ネットの自動支払い店にしなかったんだ?」
「この店の方が美味いからな」
「違いない」この街一のピザだから、世界一だ。
この街は、かつて世界一だった大国の一部だ。あの大国は数十年前に三つに分裂した。東部と西部の民主国、中部の共和国、
そして中立の共和民主国に。俺たちが住むこの街は民主国に属しているが、周りを共和国と共和民主国に囲まれて孤立している。
高い壁に閉ざされたこの国で、国境を超えられる唯一の道は、共和民主国に繋がる道路だけだ。一応、空港や湖はあるが……
俺は、空の上も水の上も怖い。
民主国は機械化を極限まで推し進めた技術国家だが、それゆえに人間社会もまた機械のように分断された。
一部の支配階級――マクマホンのような――と、ロボットが担えない仕事を押し付けられる労働階級に。俺は、そのどちらにも収まりきらない存在として生きている。
「それで、事件ってのは何だ?」
俺が皮肉を込めて尋ねると、マクマホンはピザを広げながら静かに語り出した。
「富豪の娘が攫われた。しかも国のデータベースに載っていない。警察も動けない状況だ」
「それは……私生児って事だろう」
「そうだ。だが、必ず保護しろとの上層部からの強い命令だ」
民主国の管理システムは完全だ。国民の行動、体調、会話のすべてが、体内に埋め込まれたチップによって監視されている。
だが、支配層――マクマホンのような連中は、その監視されない権利を持っている。
「その富豪の政治力じゃないのか?」
「いや、それは無い。誘拐犯はギャングらしい」
奴の声には、どこか試すような響きがあった。
「ギャング絡みの理由はどこに?」
「証拠が残されている。事件の解明がお前の仕事だ」
俺はその話を聞きながら、目の前に差し出されたタブレットを受け取る。それは契約書の内容を示すもので、開くとすぐに大量のテキストが並んでいる。
「業務契約書だ。内容を読んでサインしてくれ」
「無事に救い出せば、報酬が振り込まれるってわけか?」
「その通り。手付けのギャランティは振り込んである」
俺は、暗い目でタブレットを覗き込みながらサインを始める。
「秘密保持契約も送ってある」
「わかってるよ」ついでにサインする。
「じゃあ、まとまったら、後で詳細な資料を送る」
「了解だ。なぜいつも、同じ話をしに来る?」
全ての書類に目を通すと、契約完了のメッセージが表示された。
「うまいピザを喰いにきてるだけだ。これでお前も俺の仕事に就いたってことだ。どう進めるかは、お前に任せるが、報告はかかすなよ!」
「ああ」今夜のナイターを楽しむことはできなくなってしまった。
「そうだ、ご馳走様」マクマホンがにやりと笑う。隠れていた警備兵やドローンが奴とともに去っていった。
やはり、いけすかない奴だ。
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