7 腕相撲と「逃足」
でもファサラスハルトに行くにはレシュの抜け穴を通らねばならない。それならば頑張って稼ぐ一択だ。
その間にラケル姫は乱暴されたりしないだろうか。そう思って胸がうっと苦しくなる。
宿屋の主人はすっかり満腹して出ていった。それから少しして、いろいろな客が食事にきた。うまいうまいとカイルのつくった料理を食べている。
きのうの男前は遅い時間にやってきて、寝ぼけた顔でホットケーキをもぐもぐと食べて、
「これはうまい……」
とつぶやいている。
「あの、お客さん……この街にはよく逗留されるのですか?」
「ああ。この宿屋は我が家の定宿だからね。それがなにか?」
「昼ごはんはどこで食べれば安くておいしいですかね?」
「うーん……貴殿の料理がこの街でいちばんおいしいと思うよ?」
「そうですか……でもそれじゃ困るんですよ、昼のまかないがないので。できれば銅貨三枚くらいで済ませられる料理屋はないですかね。できればここでしか食べられないやつ」
「銅貨三枚なら屋台料理になるだろうな。ブタの回し焼きとか、鶏肉ご飯とか」
「ブタの回し焼き……鶏肉ご飯」
「お勧めは娼館通りにある、くちゃくちゃの爺さんがやってるブタの回し焼きの屋台」
「なるほど。行ってみます」
「ただ娼館通りだから商売女やら客引きやらでやかましいし、貴殿のようなきりっとした男が行ったらカモにされかねないから、気を付けて」
「わかりました」
「それにしてもこのパンケーキは美味だな。素晴らしい」
「ありがとうございます」
男前はうまいうまいと朝食を食べると、どこかに行ってしまった。
昼の少し前くらいの時間、カイルは男前から聞いた娼館通りの屋台に向かった。確かにくちゃくちゃの爺さんが、ブタ肉をぐるぐる回しながら焼いている。
どうやら娼婦らしい女や、客引きの男なんかもその爺さんの屋台に並んでいる。肉からは香ばしい匂いがして、カイルの腹はぐうと鳴った。
カイルは料理人になってから、他人のつくる料理というものに大変関心を持つようになった。どうやって火を通すのか、下処理をどうするのか。料理というのは奥深い。
行列は進んでカイルが先頭にきた。財布から銅貨三枚を取り出す。
話しかけてくる娼婦や客引きを頑張って無視して銅貨三枚を支払うと、爺さんは肉を削ぎ切ってパンに挟んでくれた。ついでに鹿ネギの葉も挟んでくれた。
娼館通りから出て食べてみると、確かにおいしいと思う味だった。城で食べるヤマブタのような脂身はないが、ほどよくしっとりしている。城の外で食べるものとしては絶品の部類に入るだろう。
いい経験になった。宿屋に戻り、きょうの夕飯の食材を確認する。しかし昨日と代わり映えしない。
野菜は炒め物にして、川の怪はスティック状に切ってつけて食べるタレを作ろう。川魚はたっぷりの塩でじっくり焼こう。たぶんこの魚ははらわたに味があるのでは、とちょっと開いて試してみると、やはりコケを食べる魚らしくはらわたはいい匂いがする。
てきぱきと料理を進める。川の怪のタレは豆油と卵と酢を混ぜてつくる。とにかくよく混ぜて、もったりしたところで少し指にとって試してみる。うむ、うまい。
夕飯の支度が終わった。少し休もう……と思っていると、男前がやってきた。
「まだ夕飯の時間には早いですよ」
「いや。貴殿は、イルデルベルトの城の料理人だったそうだな。ラケル姫と面識は?」
男前は高貴な人の口調でそう訊ねてきた。
「いちおう……もともとが騎士で、ラケル姫についておりましたので」
「そうか。ラケル姫がさらわれたのは承知か?」
「もちろんです。それで矢も楯もたまらず飛び出してきたのですから」
「この宿の主人にしか教えていないが、貴殿にも教えよう。私はファサラスハルトの王子だ、ジュリアスという」
「――あの、ラケル姫と見合いをした? 金のよろいの貴公子とかいう?」
男前――ジュリアスは頷いた。なるほど、侍女たちが身の丈に合わない懸想をするわけだ。
「ラケル姫を取り戻すために家臣を置いて飛び出してきたのだが、蒸気船で追いかけたら路銀が尽きてしまったんだ。それで――」
ジュリアスがなにか言おうとしたとき、ドアの向こうがガヤガヤと騒がしくなった。
「おーう、宮廷料理人さまがいるってのはマジかあ?」
向かいの宿の女将が送り込んだ悪党だ。情けないことにジュリアスはテーブルの下にいる。
「まかないしか作らせてもらってませんけどね」
「ほおーん。なんでここにきた? 宮廷料理人なんだろ?」
「いろいろあったんですよ」
「左遷されたらしいぜ」
賊はケタケタと笑った。奥から、凄まじい筋肉を体にまとわせた大男が現れる。
「――ここは食堂です。汚いつばや靴の裏の泥を散らされたら困る」
「喧嘩売ってんのかあ? こっちには『筋肉』のタレント持ちがいるんだぞ?」
どうやらしんがりの、スキンヘッドの大男が「筋肉」のタレント持ちらしい。カイルはため息をついた。
「じゃあ、腕相撲しましょうか。その『筋肉』の方に俺が勝てたら、出て行ってください」
「上等だぁ。なあサウロ?」
「ブフー」
大男は承知したようだった。カイルは手についた料理の汚れを洗い、エプロンで手をぬぐう。
ジュリアスの隠れているテーブルに向かい合う。テーブルは若干ガタついている。
確かにふつうの人なら勝てないだろう。しかしカイルは一見して「怪力」のタレントを持っているようには見えない。相手は油断しているはずだ。
悪党のリーダーと思しき男が、握り合った両者の手を包み、声をかける。
「じゃあ……三、二、一、」
食堂は緊迫した。
おそらく悪党どもは、サウロとかいう大男の勝ちを確信している。そしてそれはおそらく経験に基づいている。
「はじめ!」
悪党のリーダーが手を離した瞬間、大男の腕の筋肉が盛り上がった。しかしそれは勝負になにも影響せず、カイルは一瞬で、テーブルにめり込むほど大男の腕を倒していた。
大男は痛かったのか悶絶している。大男すぎて赤子のように見える顔は真っ赤だ。
悪党たちはばらばらと逃げていった。カイルは大男の汗でねちょねちょする手をしつこく洗いながら、
「もう大丈夫ですよ」と、ジュリアスに声をかけた。
「う、うむ……情けないところをお見せしてしまった。本当に貴殿は怪力料理人なのだな」
「王子様に失礼な話ですが、ずいぶんと一瞬で逃げましたね」
「……私のタレントは、『逃足』なのだ」
にげあし。しばらくその言葉を反芻する。
「……『逃足』。それではご自慢の金のよろいもただの飾りではないですか」
「しょ、しょうがないだろうそういうタレントなんだから!」
どうやらジュリアスは侍女たちが思うような、完全無欠の貴公子ではないらしい。
どんな人間も欠点というものはあるものだ。しかしあるいは「逃足」のタレントで、戦場で生き延びるかもしれない。
「で、路銀が尽きてどうしたんです?」
「身分があるからレシュの抜け穴もタダで通れるかと思ったのだが、お供も連れず王子がくるわけがないと追い返されてしまった。実を言うとここの宿賃もそろそろ限界だ」
ずいぶんと情けない王子である。
「詰んでいるじゃないですか」
カイルは呆れ声になってしまった。
「いやはやその通りなのだ。それで、貴殿に相談がある。大陸東端を回るルートで、ファサラスハルト方面に旅をするのに付き合ってはくれないか? 貴殿も路銀がないのだろう?」
「いえ……ここでわずかとはいえ賃金をいただいていて、それを貯めて」
もちろんそれが長い時間のかかることだとは分かっているのだが、それしか方法を思いつかない。大陸を二つに分けるノキエス山脈はとにかく険しく、ふつうに登って越えるのは不可能とされている。
「宿賃と食費を差っ引いて、屋台で食事するくらいしかもらえていないのだろう? それでは路銀が貯まるころにはラケル姫がどうなっているか分からない」
ぐうの音もでない正論であった。
「いや、まあ、そうですけど。大陸東端を回るとなると、ノキエス山脈を越えるんですか?」
「古い測量の地図ではそうなるだろう。これが最新版の、ファサラスハルト地理観測院の作った地図だ」
ジュリアスはテーブルに地図を広げた。カイルはそれを覗き込む。大陸東端に少し平地がある。街道や村もあるようだ。
「ファサラスハルトの事実上の首都、ハルトルクに向かうにはファル大森林を抜ける必要がある。いささか危険な旅になるかもしれない。それで、貴殿の『怪力』の力を借りたい」
「はあ……」
「頼む。私はラケル姫に心の底から惚れているんだ。助けてくれ」
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