ジャックナイフ・エフェクト

ほいどん

第1章 捨てられた女

     一


デスクの電話が報道局のフロアに鳴り響いた。                 

私── 三条(さんじよう)美玲(みれい)は、映像ディレクターとサブ(副調整室)に入っていて、電話に出られない。


「忙しいのに。立て込んでいるのに。どこの馬鹿。悪い。信ちゃん出て!」       


ガラス越しに近くにいたAD(アシスタント・ディレクター)の信ちゃんこと富塚信也(とみづかしんや)に、掌を合わせて、受話器を取ってもらうことを頼んだ。               


受話器を取った信ちゃんが、慌てて振り返り、ガラス越しに告げてきた。      


「美玲さん。局長です」                              

私も慌ててしまい、サブから出るときに、ドアの前にあった椅子に足を引っ掛けて転んだ。両膝を床に強く打ち付けた。                          


高梨局長は、局長という管理職兼チーフ・プロデューサーである。          


プロデューサーとしての手腕は見事で、スタッフの配置から、番組企画、予算の取り方、すべて抜かりなく、スピーディーにやる。私を育ててくれた人物である。        


しかし、高梨局長はせっかちで、何事においてもすぐに対応しないと、ひどく腹を立てる。                                      


「痛た! どうして、こんなところに椅子があるのよ。誰よ?」           

「大丈夫ですか? 早くしないと局長が、またカンカンに怒り出しますよ」       


私に信ちゃんが駆け寄ってきて、手を貸そうとした。               

「ありがとう。局長のバカゴリラ! 信ちゃんには、いつも助けてもらっているわ」   


信ちゃんの手に掴まりながら、やっと立ち上がり、電話に出る。          

受話器を耳に当てると、高梨の野太くドスの利いた声で怒鳴られた。 


「おそい! もたもたするな。言いたいことがある。すぐに来い!」


私が返事を言う前に、一方的にぶつりと電話を切った。苛立っている雰囲気だ。

いよいよ打ち切りか。悪い予感で胸がざわめく。

   

スーパーワイドのチーフ・ディレクターになり、五年が経つ。最近、視聴率が十%を切るようになり、番組の打ち切りが局内でも囁かれていた。


打ち切りになると、入社以来順風だった私の出世も、とたんに逆風が吹く。チーフ・プロデューサーになりたい私の希望が、音もなく崩れていく。


化粧室に入り、軽くファンデーションをして、口紅を引いた。すぐに来いと高梨には命じられたが、スッピンで行けるものか。


両手のネイルは、金色の地に桜の花びらが綺麗にデコレイトされていた。

三分ほどで、おめかしは終わった。


急いで化粧室を出て、三機あるエレベーターの前に立つが、なかなか来ない。     

待っていられない。

「うすのろ! お前、おそいぞ! この役立たず!」


腹が立って、エレベーターのドアに蹴りを一発、入れる。ハイヒールの踵(かかと)で、ドアに少し傷がつく。幸い周りに誰もいなかった。

自分のデスクがある十階フロアから、最上階の十五階まで階段を駆け上がった。

スーパーワイドは、我がHNC(北海道ネットワーク・チャンネル)で視聴率を稼げる数少ない番組の一つである。私が、前任者から、引き継ぎを受けた時は、視聴率が十%前後だった。

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