第5話
バイト先を出たのはすっかり夜の帳が下りる頃だった。これ以上は未成年が働けないギリギリの時間だ。
どうやら雨はバイト中に止んだらしい。初夏の生ぬるい風に乗って、雨上がりの嫌なにおいが鼻腔を刺激する。青臭いような、カビ臭いような。
とにかく、気の抜けた深呼吸をすると、とても不愉快になった。昼をアイスで済ませたから、空腹で尚更気分の下落が激しい。
スーパーで売れ残りの半額弁当とおにぎりを一つ買い、アパートに帰る。玄関を開けると、そこは暗闇が広がっていた。そこはかとなく寒気がする。今日二度目の感覚だ。
リビングのダイニングテーブルにはいつも通り、書き置きと千円札が一枚文鎮の下敷きになっていた。それには一切触れず、さっさと自室のベッドに身体を投げ出すと、一気に疲労と睡魔が押し寄せる。それでも、今日はまだマシな方だ。なんせ、昼間は後輩の試合を観戦して、アイス食いながら井戸端会議をしていただけなのだから。
天井を仰ぐ。電球が嫌でも目に入った。ずっと見つめていると、徐々に周りが薄っすら暗くなる。錯覚なんだろうけれど、伴って光が少し強くなったように感じた。
俺の周りには明かりがあって当然。あの病室は、どうだろうか。テレビも、スマホも無い。暗すぎて、本だって読めやしない。
「そりゃ、知らない人引っ捕まえて暇をつぶしたりもするか」
問題はたまたま相手になったのが、気の利かないデリカシー皆無な男だったってだけだ。
翌朝、玄関の開く音で目が覚めた。リビングに行くと、ちょうど親父が菓子パンを片手に猫背な背中をさらに丸めていた。その後ろ姿には疲労が伺える。振り向いて俺に向ける眼差しも、どこか色が薄い。
「おはよう」
一言、いつも通り言葉を掛けられる。
「もっとマシなもん食えよ」
夜勤明けの親父にとっては、今食べている菓子パンが夕飯だ。せめて、米食えよ。そう思いながら、自分は食パンをトースターに入れる。
冷蔵庫を開けて、牛乳を切らしていたことを思いだした。昨日、帰りがけに買っておくんだった。
「日影は昨日、しっかり食べたのか? 置いていった金は使ってないみたいだけど……」
「バイトで賄い食ったから」
「……そうか」
それ以降、会話らしいやり取りは訪れなかった。昔は賑やかだったこの家も、今ではすっかり物静かな空間だ。
「そうだ、父さん起きたら母さんの墓参りに行こうと思うんだが、一緒にどうだ?」
「無理、今日もバイト」
親父は難しい顔を浮かべる。その表情から感情を読み取るのは、それこそ文字通り難しい。
「たまには母さんに顔を見せてあげなさい」
「分かってるよ。今度、行くから」
話を切るように背を向けて、思いだす。鞄から封筒を取り出し、テーブルに投げ置く。
「これ、先月のバイト代」
それを見て、親父は悲しそうな表情を浮かべた。
意味分からねえ。
毎回、バイト代を渡すときに同じ顔をされる。だから、俺もその度に少し腹が立つ。
「あのな、いつも言ってるけれど、これは日影が自分のために使いなさい。小遣いだって渡せてないんだから」
「もちろん全部じゃねえよ。自分で使う分くらい抜いてあるっつーの」
まだ何か言いたげに思える親父に封筒を押し付け、家を出た。
今日も空はどんよりと一面に灰色の帯を為している。
あいつはこれぐらいでも駄目なのかな。
ふと、そう思った。
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