第6話 魔物との戦い

 うなじ辺りで緩くまとめられた青みがかった髪がふわりと踊った。

 細身の剣の切っ先が、逃げ遅れた子どもに食らいつこうとしていた一匹の眉間を突き刺した。


「早く逃げろ!」


 言い捨てるやいなや、飛び退って剣を引き抜き、背後から跳躍してきた狼の腹部を薙ぎ払う。子どもが無事逃げ去るのを見送ると、レイリアは苦戦している騎士たちに向かって、走り出した。

 『狼』たちの牙を難なくかいくぐり、すれ違いざま、その喉元を切り裂き、前足を切り落として、隙間を縫うように駆け抜けていく。

 

 レイリアが助けたのが最後の一人だったようだ。

 レイリアを除くと、公園に残された人間は、衛兵たちと数人の騎士のみ。

 魔物の発する臭気だろうか。血臭に混じって、何とも言えない腐った水を思わせる悪臭が漂っている。


 公園から出ようとした数体の個体はすべてレイリアにとどめを刺された。男たちに群がっている魔物もだいぶ減ってきているようだ。


 衛兵の一人が、魔狼の死骸に足を取られてひっくり返った。すかさず、近くの魔狼が歯を剥いて、男の喉を狙う。間一髪、レイリアの剣が間に滑り込み、その両眼を切り裂いた。


 ほれぼれするほどの剣技だと、息を切らせながら、アンジェは思った。


 もっと近くでじっくりと見れないのが、つくづく残念だ。

 彼女の剣は、はるか昔に、この身体に封じられる前に、どこぞの族長とやらが宴で見せてくれた踊り子の舞を思わせる


 戦いにおいては、レイリアはまごうことなき天才の部類に入る。練習時でも、実戦でも、彼女の剣は見るに値する。

 物理的な戦い方にはさほど詳しくはないが、隠形の術を使いこなして頻繁に護衛騎士たちの練習風景を盗み見ているアンジェには断言できる。

 自分が行けないときにはパファビッドかフリジッドのどちらかを監視に行かせて様子を報告させるほど、アンジェは徹底して彼女の一挙一動を見つめていた。

俗な言葉で表すと、まあストーカーである。


自分でも、不思議なほど執着している自覚はある。


 初めて自分の『目で見た』人間だからかもしれない。初めて抱きしめて人肌の暖かさを与えてくれた存在だからかもしれない。


 肉を持たなかった魔王には、他の生物と同じ意味で、見ることも感じることもなかったから。


 人間のことはまだよくわからない。けれど、レイリアがどうやら自分にとって特別なことは、もうわかっている。


 どうしても気になってしまうから。


 手先がとてつもなく不器用で、貴族女性の嗜みと考えられているらしい刺繍や編み物もダメ。なのに、武器であれば、どんな形のものであれ使いこなす。外面そとずらよく常に冷静沈着を装っているくせに、本当は可愛いものが大好きで、誰よりも親切で心の内に危ういものを隠し持つ、アンバランスなこの人間が。

 

 だから…

 ほっとけばいいのに、こんなふうにかかわってしまう。


 魔王は、アンジェは、おぼつかない足どりで、木陰のベンチによろよろとへたり込んだ。

 念のため、隠形の術で気配を断ったままで。


 流れ落ちる汗を手の甲で拭う。下着が張り付いて気持ちが悪い。


 本当に、この『肉体』は厄介だ。

 空間支配能力も重力操作も5大元素由来の魔法も使えない。

 覚醒当初よりはましだが、本来の力の1割も揮えないとは。


 この子供の身体は、どうしようもないほど非力で、動かすのにかなりのエネルギーを要する。

 つまり、ちょっと走るだけで、息が切れるし、足が痛くなるし、ひどく疲れる。


 公園の真ん中あたりでは、レイリアのものよりはるかに大きな男の剣が、魔獣の頭を軽々と切り飛ばしていく。

 認めざるを得ない。あのエドワードとかいう男も、かなりの腕前だ。


 男がレイリアに何か言い、レイリアが男のすぐ横で剣を構えるのが見えた。


 この調子なら、心配せずとも、ほどなく片が付くだろう。


 大気が揺らめき、二匹の猫の姿が現れる。


『手助けの必要はなさそうですね』


 ちらりと戦況を見て、白猫フリジッド


『あれくらい、あのメスには、どうってことない相手だよな?それに、あいつ、この前訪ねてきた成体のオスだろ?俺が見かけた人間では、最上級に強い個体の一つだぜ。別に、俺たちを呼び出す必要なんかなかったんじゃないか、御主人マスター?』


『急ぎの御用がないなら、戻ってもいいですか?素敵な美猫さんとデート中だったもので』


  急に心話で呼び出され空間移動してきた二匹の猫~使い魔の依り代たち~は、不平たらたら。


 アンジェ以外の者には、可愛らしい猫の鳴き声にしか聞こえないだろうが。


『過保護すぎだぜ、御主人。いくらあのメスに盛ってるからって』


『だから、盛ってなどおらん。いいか、パファビッド、あの女は、俺が元に戻るために必要だから死なせるわけにはいかない。それだけだ。お前たちこそ、俺が誰か忘れているんじゃ…』


 礼儀がなってない使い魔たちに苦言を言おうとしたその時。


『あれ?あれは不味いんじゃないですか?レイリアって、あのタイプの造形には、めったやたらに弱かったと思うのですが?』


 白猫の視線を辿ると…


 地上4メートルほど上空。澄んだ秋空にぺらりと掛かっているコンパスで描いて中を塗りつぶしたかのような黒塗りの円が浮かんでいる。

 直径は2メートルくらいだろうか?奥行きもないただの円に見えるのだが。

その真っ黒い面が蠢き、そこから、次々と飛び出しているのは…


『初めて見たぜ、あんな巨大な奴』


『あれってここの生き物じゃないですよね?とこか違う空間に通じてるってことですかね?』


 黒光りする外骨格。緩く弧を描く長い触角。ギザギザした3対の足。

 それは、巨大な頤と真っ赤な目を持つ、1メートルはありそうな、どうみてもゴキブリそのもの。


『あいつらって飛べたんだな。這いまわるだけじゃなく。知らなかったぜ』


 バカでかいゴキブリまがいが透明な羽をせわしく震わせながら舞い降りてくるのを見て、赤猫パファビッドが感心している。


 これは確かにちょっとまずいかも、とアンジェも思う。


 レイリアと生活を共にしている彼らは知っている。

 騎士としての顔しか知らない者たちは考えもしない彼女の弱点を。


 ゴブリンだろうとオークだろうと臆さない勇敢な騎士であるレイリアにも、生理的にどうしようもなく苦手なものがある。

 それが皆に、とりわけ令嬢方に、嫌悪され、恐れられる、ありふれた害虫、通常はちっぽけな『ゴキブリたち』だった。


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