第四話 バタフライ・ブレイク その5/傷ついた脚で、我らは彷徨う
朝になった。
勅使河原が松葉杖を突きながら、弟と話している……。
「退院決定だ。そして、お見舞いに行くことになったぞ」
「誰の? 真帆ちゃん?」
「真帆ちゃんには会ってきたよ。会って話して、病室でセックスしたんだ」
「へ」
「表現に誤解があった。愛を、確かめ合ったんだよ。キレイな言い回しだな。問題ない」
「あるだろ」
「良かったよ。看護師さんが見回りにくる前にね。緊張感のある行いだった。恋人らしい会話も交わしたんだぜ。「見られちゃう」。「大丈夫、看護師さんたちはなれているよ、患者と見舞客の情事ぐらい」。「はずかしいよ」。「そこがいいんだ」。ああ、シャワーも浴びたから、においは大丈夫。弟から性的なにおいを嗅ぐことにはならないから安心しろ。レズビアンは精液のにおいとか嫌いだろうから、気を使ってやったんだ」
「クズ弟め!」
捕まえて、関節技をかけてやることにした。「痛い、折れちゃう」。手加減は知っているから安心しろ。
「ハハハ。こんな不毛な姉弟ケンカでも、癒されるなんて。オレも、疲れているんだろうなあ……」
それでも働こうとしているのは、正直、偉いと思った。脚をナイフで刺されて、クズ弟に『手術』までされたあげく、一晩で退院か……勅使河原も、がんばっている。
「出かけるなら、運転は私がする」
「あ、ああ。ありがとう。君の借りていた、レンタカーは取り戻せたよ」
「良かった。戻ってこなかったら、レンタカー屋さんがかわいそうだったから」
「弟の骨も、かわいそうだから……離してあげて……う、うう、お姉ちゃん……お姉ちゃんって、呼ぶぞおおっ」
鳥肌が立つぐらい気持ち悪いから、解放してやった。
SUVに乗る。マスコミの連中が、あちこちにいた。カメラを持って、コソコソと病院の周囲を嗅ぎまわっている。勅使河原は、舌打ちした。
「遺族の方々に、ご迷惑だろうに。ハイエナかよ」
「……そうだね」
自殺してしまった子たちの、遺族も多い。家族がいきなり死んでしまったのだ。途方もない悲しみに包まれているはずなのに……。
「マスコミだって仕事だ。心を込めて、悲惨な現実を、みんなに届けたがっている。恐ろしい現実に耐えるためには、知恵がいるんだ。それぞれに事件を解釈しなければ、安心して暮らせない。それに、知るべきでもある。子供たちが自殺したんだぞ。その痛みを、世の中が受け止める必要はある。見せつけて、背負うためだ。この痛みを。死は共鳴する。繰り返さずに、連鎖を防ぐために。考える必要があるんだ。だから、許してやれよ」
「それは、そうだが。やり切れんのだ」
「だろうな。勅使河原くんも、同僚を失った。ほうら、姉よ。コンビニに寄ってくれ。弔い酒を買うのだ」
勅使河原が反論しなかったから、コンビニに寄ってあげた。男どもは勅使河原が買った缶ビールを車中で飲み始める。勅使河原も、クズ弟に影響されてきているのかもしれない。
やけくそになる気持ちは、わかる。
同僚が死んだのだ。
自殺した子たちのひとりの、父親。警官だった。彼女の遺したSNSと、動画のなかのやり取りで、すでに判明していることがある。不倫とDVと、母親の自殺。父親のせいだ。それを非難しながら自殺した。娘の死に行く光景を動画中継で見せつけられて、父親は拳銃で自殺した。
アルコールが飲みたくなる。
運転手をしなくていいなら、私も飲んだ。「だよね。私がいたら、代わって運転してあげたのに」。本当に、そうだよ。繭がいてくれたら、良かった。どんな地獄でも、天国だった。
田中家に立ちより、シャワーを浴びる。
服も着替えた。
戻ってくると、SUVのなかで酒盛りはつづいている。
「オレたち警察が、悪いんじゃねえ。きっと、世の中が悪いんだ!」
「そうだそうだ!」
泣き上戸なのか、それとも感情が解放された結果なのか。勅使河原は大泣きしている。バカだし、浮気している夫だけど……ああ、浮気はやめるかもしれない。家族が壊れてしまう原因は、少ない方がいいと思う。「別れてくれる相手じゃないかもよ」。それは、ある。
……県境近くの山奥を目指すことになった。そこにある精神病院に向かうために。『ドクター・バタフライ』。佐藤という男に会う。
「『生命の秩序』の『幹部』だった……それって、本当なの?」
「とある信頼のおける情報筋から得たからね。たぶん、そうだろう」
「何よ、信頼のおける情報筋って?」
「刑事ドラマみたいで、あほくさい響きだよな。とにかく、確かめないといけない。状況が、あまりにも悲惨だし、手がかりは他にないんだ」
「……私たちを襲った犯人は、追えてないの?」
「あ、ああ。ないよ。情報戦の能力で、圧倒されてる……」
「どういうこと?」
「公道に設置している防犯カメラが、ハッキングされていたそうだぜ」
「そんなこと、やれるの?」
「電子化すると、こうもなる。凄腕のハッカーでもいるのかもな。ネットで『赤い天使』が異常な速度で拡散しているのも、そいつの影響があるのかもしれん。古典的な方法に頼ることになるぞ。足で情報を得ていく。古典的だが、確実だ」
「応援も、あちこちから来てくれている。だ、だが。それでも足りんのだ。オレの捜査復帰が許されたのも、その結果じゃある。異常な状況だ。麻生繭の頭部の捜索も、田代殺しとパトカーを焼いた犯人の追跡も、あの画廊の……焼身自殺の奇人も……ネットでの情報戦……女子高生の集団自殺の対処もしないといけない。どうにもこうにも……」
「あきらめないの。警察があきらめたら、負けだ」
「……ああ。そうだ。がんばるよ。亡くなった、仲間のためにも……」
「ろくでもない状況じゃある。だから、危ない橋を渡るぞ。犯人どもは、お前を狙っている。ヤツの恋人であることが、関係しているんだろうな」
「いつでも、くればいい。次は、殺す」
「ま、守るよ。今度は、こっちも……手加減はない。オレが刺されたことで、警官は……拳銃を解禁するから」
「頼りには、しておく」
この手で殺せないのは不本意だけど。勅使河原は仲間だ。その主張も評価したい。本当は、私がこの手で殺してやるべきだけど……優先すべきは、まずは犯人どもを捕らえることだよね。「まあ、いいんじゃない?」。うん。ありがとう、繭。
そのためにも、確認しておきたいことがある。
「どうして、私が狙われるのか……あんた、気づいてるでしょ」
クズ弟は、缶ビールのふちに噛みついた。ルームミラー越しに観察している。
「前、向けよ……そんなに知りたいなら、教えてやる。あくまで、オレの推理でしかねえけど。それは―――」
急に、アホみたいな大きな音がしたから、驚いて事故りそうになっていた。勅使河原が、あわてた顔で懐から自分のスマホを取り出している。救急車のサイレンみたいな警報音の発生源は、それらしい。
「何、これ? 大地震でも起きるの?」
「ち、違う。警察からの通信……その、警察無線だ」
「アプリで、そんなのあるんだ。便利ね」
「ま、まあ。その……普段は、使わないけど。その、い、いろいろとあってね」
「何のコトだか」
情報筋とやらが、関わっているのだろうか。それにしても、勅使河原め。こんな暴力的な音で『着信のお知らせ』をする必要はないだろうに……。
『『ほむらがわ』で―――大量の……死体…………』
音量調節をする途中だけでも、聞こえてしまった。緊張感が車内に高まる。私の記憶通りなら、『ほむらがわ』へは次の交差点を……右折すればいい。
「行くべき?」
「あ、ああ。そうしてもらえると、助かる」
「あんたは、どう思う?」
「……行くべき。狙われているのは、お前だ。相手を捕まえるのに最速の手段は、自ら罠に飛び込むこと。あっちは、たぶん、警官の群れが集まっていても、恐れたりはしない。あっちの罠を、利用して……こっちの罠にする。それも、戦術としては悪くねえよ」
「積極的に協力してくれるんだ。繭の仇討ちに」
「……そうだ」
ああ、きっと。こいつ。今、嘘をついている。
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