へる・へる・へぶん

よしふみ

序章     洗礼




 それは通報から始まった。


 なんとも迷惑な話である。


 ゴールデンウィークの警察は多忙だというのに。


 あちこちのイベントの警備に、交通事故の対処。迷子をさがす。誰かが川遊びでおぼれる。国際会議もあったから、その警備も。こういった会議があれば、右翼と左翼と陰謀論者があつまり市民の権利をつかってデモをやるし、エキサイトして暴力沙汰も起こす。ちゃんと逮捕者も出る。もちろん、いつものように、『炊飯器』も仕掛けられた。


 それは路上や公園の片隅に多い。たまには駅で発見されることもあった。


 不法投棄のゴミではなく、それよりもおぞましい悪意がこめられたものだ。


 このちいさな箱は、爆弾。


 なかには高性能な爆発物がたっぷりと仕掛けられているかもしれない……。


 そうだ。『かもしれない』。


 これが問題を理解するためには、重要な考え方になる。


 この意地の悪い炊飯器……名前をつけるならば、シュレディンガーの炊飯器だ。


 爆発物処理係が知的な専門技術と観察と勇気を使いこなして調べるまでは、爆弾かもしれないし、ただの使い古された米炊き装置なのかもしれない。開けてみるまでわからないのだ。


 今年のゴールデンウィークも、それらが出現していた。右翼はナチズムみたいな言葉を口走り、左翼は地球を愛していた。陰謀論者はどうしても自殺した有名人を政府の犠牲者に仕立てたいらしい。どいつもこいつも、ゴールデンウィークを有意義につかっている。


 けっきょくのところ。今回の炊飯器も「はずれ」だった。爆発物どころか、内釜さえない。空っぽな箱にすぎなかった。みんなが苦笑いする。型番から重量まで調べあげる必要はなかった。内容物の有無を、それで推定したのだ。体積と質量は絶対だ。火薬の量も殺傷力を強めるための金属片も。比重で分析すれば、いくらか予想もついた。


 古くて小汚い炊飯器のスペックについて、爆弾処理係たちはまたひとつ詳しくなる。やる意味はある。この情報だって蓄積していけば、次の炊飯器にそなえられる。「あたり」か「はずれ」かを鑑定するための情報は大切だ。みんな死ぬのは嫌だった。


 警察はいそがしい。正義と平和を守るためには、空回りもしなくてはならない。大勢の大人たちが、炊飯器を開けるためだけに集まっていたのだ。


 そんななか。また通報を受ける。「死体があるみたい」。またか。現場に向かうことになった警官は、いたずら電話だと直感した。「みたい」って何だ?


 それでも通報されたら、出向かなければならない。馬鹿げている。どうせ自分の不完全な人生に絶望している女のたわごとだった。


「面倒なことだわ」


「今度は『シュレディンガーの死体』の登場ですね」


 このしょうもない仕事のパートナーは、一才年下の男だった。


「お医者さんに鑑定してもらうまでは、心臓が止まっていても生きているかもしれない。そもそも死体じゃないのかもね」


 海に捨てられたダッチワイフを『救助』したこともある。あれは遠くからなら、水死体のように見えたのだが……。


 疑問はつのった。


 本物の死体なら、どうして絶滅寸前の公衆電話などからかけてくるのか。誰だってスマホをもっているはずなのに。


 いたずらだろう。悪気がある市民の、ありふれたゴールデンウィークの暇つぶし。日々の暮らしに戻るのが嫌な五月病の若者か、孤独な中年の腹いせ、あるいは家族サービスに疲れ果てた幸せぶっている大人の行動だ。


 つまり。


「誰かの『憂さ晴らし』につき合わされるはめになったのよ」


「でしょうね」


「公務員がいやがらせを受けるのも、民主主義社会の特徴だわ」


「いやな特徴」


「ほんとうにね。でも」


「でも?」


「君は、嬉しそうなんだけど」


「あはは。気のせいでしょう」


 警官たちがたどり着いたのは、大型の貸し倉庫だ。どこの港のちかくにもある、ありふれた建物。五月の太陽を浴びながら、全体的に白っぽくかがやいて見える。はがれた場所のない塗装は清潔感を感じさせたし、不審な気配はどこにもない。きっと、「はずれ」だろう。


 しばらく待機していると、連絡を受けた管理者が面倒くさそうな顔で追いついた。


「二十四時間、防犯カメラで見張ってますけど。この二日間は、倉庫に誰も近づかなかったはずです」


 じゃあ、通報した女さえも倉庫に入っていないことになる。それでも調べることにした。三人はうんざりした顔で、倉庫の入り口を開ける。冷蔵室の風は、心地良い。地球温暖化のせいでゴールデンウィークは暑くなったから。「奥まで見てみますか?」、通報されたから選択の余地はない。「もちろんです」。


 倉庫の奥まで向かう。並び積まれた段ボールが左右にあった。作業用の台車が通れる十分な広さのある通路。奥へ奥へと進むだけ。「鍾乳洞みたい」。女の警官は子供のころを思い出す。家族で遊びに行ったのだ。ゴールデンウィークの模範的な使い方だろう。「そ、そうですかね?」。「涼しいから。地の底みたいに、冷えてる」。「ああ、なるほど……」。


 あのときも涼しい洞窟を、ゆっくり歩いた。死んだ祖父に手を引かれて。


 怖くはない。ここも、あそこも。


 ライトアップされて明るかったから。


 洞窟の奥にひそむ闇は、わずかだった。そこだけしか、怖い場所はない。何かが、いるような気がしたのはそこだけ。それに比べると、ここはずっと明るい。科学が怨霊も闇にひそむ妖怪も駆逐しているのだ。祖父の昔話におびえたのは、もうずいぶんと昔の話。「その洞窟は地獄につながっていたんじゃ」。


 涼しい風から、どんどん冷たい風になっていく。生命の気配はない。死の気配も。管理の行き届いた科学だけがある。機械の音。エアコンと……カメラだ。低温のなか、心地良さそうに防犯カメラが首を振っていた。


 警官たちは五カ所……いや、六ケ所に設置された防犯カメラを見つける。視界のおよぶ範囲でも、それだけあった。「かなり厳重な警備ですね」。


 天井の高い位置にあるそいつらは、預けられた荷物をしっかり監視中だ。おそらく、ほとんど死角はない。これなら、顧客は安心できるだろう。カメラはゆっくりと首を左右に動かしながら、舐めるような視線であらゆる事象を記録している。


「ここらは個人のスペースです。お客さまにカードキーをお渡ししてますんで、好きなときに荷を運び出すもよし、お預けになるもよし。コンビニみたい二十四時間対応です。他のお客さまの荷物にイタズラしないように、しっかりと撮影もしています」


 死体を預けるのもあり?


 そんなジョークに、業者は笑ってやった。


「ゴールデンウィーク前に、みなさん、大量の『生鮮食品』を運び込まれましたよ。レストランは連休中に確保した食材を使い尽くすでしょう。連休中は、いろんな業者もお休みになる。レストランが、食材の確保にいちばん困るのは、連休終わりから、明けたころ。明後日あたりから忙しくなるでしょうが……あれ?」


 業者の顔が凍てついた。見なれぬ白い布がある。カーテンのようだ。左右に並んだ段ボール満載の棚のあいだに、カーテンが配置されている。まるで目隠しするかのように。


「みとばりみたい……」


「『みとばり』って、何ですか?」


「知らないの?」


「え、ええ」


 男子は間抜けだ。警官なら、世の中について興味を持つべきだ。女の警官は思った。


「神社の拝殿にある布のこと。神さまを、隠しているのよ」


「なる、ほど」


 言われてみれば、思いつく。そんな名前をしているなんて知らなかったが。近所の神社にも聖なる神さまを隠すための布があった。おそらく、俗世と聖なる場所を区切るために……。


 でも。


 なんで、ここにある?



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