第22話 玉依姫と陰陽師

 翌朝、楓は再び男の姿となり、弘徽殿からこっそり抜け出し陰陽寮へ向かった。

 昨夜、女御から聞いた話を利憲に報告せねばならない。飛燕は小さな燕の姿で楓の肩に乗っている。


 門の前にいる近衛府の役人には、帝からいただいた木札を見せるとすぐに通してくれた。弘徽殿の女御のために、特別に出入りを許しているという許可状だ。

 

 身代わりを申し出てからは朝は陰陽生、夜は女御として姿を変える生活をしている。中納言邸にいた頃からは考えられない忙しさであったが、楓はとてもいきいきとしていた。もともと書物は好きだし、母に習った書や和歌ももう必要ないかと思う暮らしだったのに、ここに来て役に立っている。


 桜子にも会えたし、利憲や斉彬、式神たちにも優しく接してもらっている。いまだ呪詛から逃れられていない桜子には悪いと思うが、今の自分は幸せだと思う。

 

(でも……、いずれは去らないと)

 

 いつまでもこの生活を続けられるわけではない。いつか……、そう、女御の呪詛が祓えた暁には、自分はここを去るのだ。

 利憲とも別れる。

 辛いことだが、仕方がない。

 だから、今は精一杯彼らのために役に立とうと思う。

 

 そんなことを考えながら、楓は陰陽寮の扉をくぐった。

 

 

 

「磐長姫? 女御が本当にそんなことを言ったのか」

 

 利憲に会って女御から聞いた話を伝えると、案の定、利憲は非常に驚いた様子で声をあげた。

 

「神の祟りと妖虎が言っていたのは、磐長姫の事だそうです」

「それで、女御は咲耶姫の生まれ変わりだと?」

「そう記憶があると言っています」

 

 そんな馬鹿な、と言われても仕方がない。普通に考えると荒唐無稽な妄想だ。女神の生まれ変わりなどという畏れを知らぬ妄言を、にわかに信じる者は少ないだろう。


 しかし、現に女御は呪われている。

 なんとなく楓は自分も木花知流姫だと言われたことは言わなかった。言う必要を感じなかったのと、自分には記憶がなく今の自分は楓子でしかないからだ。

 

「真偽は別として、神同士の争いに人が手を出すのは難しい。なるほど、あの虎の図々しさの訳はそれか」

 

玄武の姿を見てもなお『手を出すな』と警告する虎は、背後に大物が控えているのだとは思ったが、まさか神がいるとは思わなかった。

 

「利憲様、どうされますか?」

 

 楓の問いに、口に手を当てて考え込んでいた利憲は、うむと言って顔をあげた。

 

「引き続き楓は飛燕と共に妖虎の出現を待つんだ。あれから日は経った。そろそろまた動きはあるだろう。斉彬にも伝えておく」

「はい」

「それで、弘徽殿の女御の様子はどうだ? 玄武はきちんと仕事をしていると思うのだが」

「お変わりありません。熱も出ませんし。玄武と遊んでいますよ。亀さんが可愛いそうで。結界と玄武のおかげで瘴気が入ってこないので、ずいぶん良くなってきています」

「そうか……。だが、結界は妖の侵入を弾くもので瘴気は防げない。だから楓の葉を届けさせていたのだ。玄武は結界が破られた時、妖虎に対抗させる為に付けた。瘴気を祓っているのはお前だぞ」

 

 気付いていないようだが、と利憲は指摘する。

 

「私ですか?」

「お前を内裏に入れてから、宮中の気配が変わった。弘徽殿を中心に神気が漂っている。楓の葉といい……、お前も何か隠しているのか?」


 くっと楓は言葉に詰まった。

 

「まあいい。どうせ無自覚だろう」

 

 利憲はそれ以上の追求はせず、引き続き女御を守るように言う。

 

「相手が神ならお前の存在も気付いているだろう。疎ましく思っているはずだ。飛燕もついてはいるが気をつけるんだぞ」

「はい」

「虎は殺さずに捕らえよ、そう玄武に伝えてくれ」

「わかりました」

 

 そう答えて陰陽頭の部屋を出ようとした楓の背に、思い出したように利憲が待てと声を掛けた。

 

「なんでしょう」

 

 振り返る楓の目を利憲は真っ直ぐに見据える。

 

「中納言の二の姫……だったそうだな」

 

 どこからそれを? と問うまでもない。利憲は女御の顔を見ている。他人と言うには楓は女御と似過ぎていた。

 飛燕に姫の姿に戻してもらい、利憲の牛車で密かに内裏へと入った。その時の女姿も彼は見ている。彼は帝に、術で女御に姿を似せていると説明した。なので、知っているのだろうと思っていた。

 けれど……。

 

「いつからですか?」

「はっきりとわかったのは、お前が身代わりを申し出た後だ。斉彬から、ひと月前に二の姫が攫われたと聞いた」

「すみません。攫われたわけではないのに」

 

 驚いて謝ると、利憲はふっと笑みを浮かべる。

 

「連れて来てしまったのは私だから、攫ったようなものだろう」

「でも、願ったのは私です。隠していてすみません」

 

 迷惑をかけてしまった、そう思って楓は必死に謝った。もしかしたら、彼は父から何か追求されたのだろうか。女御の身代わりになり宴に出た時には中納言とは会っていない。だが、どこからか聞きつけた可能性もある。

 いくら存在を忘れていた娘でも屋敷から攫われるなど、そんな無様な事はあの父は許さないだろう。利憲を危険な目に遭わせてしまった。

 

「大丈夫だ。お前には酷かも知れぬが、中納言殿はあまり気に留めてはいないようだ」

「そうですか」

 

 ほっと胸を撫で下ろす楓を、利憲は複雑な表情で見る。

 

「辛い目にあっていたそうだな……」

「一人ではなかったので。周防もいてくれましたし」

「蠱毒は強力な呪詛だ。お前以外の人間はほとんど消されただろう」

「……はい」

「よく耐えたな。いくら玉依姫であろうと、人には違いない。残される辛さは耐えがたいはず」

 

 玉依姫とは、神の魂をその身に下ろす巫女の事。利憲は楓の本質を見抜いている。

 

「私も自分の父には殺されかけた。親に見捨てられる気持ちもわかるつもりだ」

「!」

 

 殺されかけた? 思わぬ言葉に楓はぎょっとする。

 

「驚くな。そういう親もいるという事だ。我らはどこか似ているのかもな。それで私は連れて来てしまったのかも知れない。帰りたいか? 帰るならすぐにでも屋敷に戻そう。もう蠱毒の妖はいないのだから」

 

 女御は自分と斉彬で守る、そう言う利憲を楓は呆然として見る。


 このまま屋敷に戻る?

 確かにその方が安全ではあるだろう。寂しいが、危険は少ない。

 しかし……。

 

 嫌だった。

 桜子の無事をまだ見届けていないから?


 否。

 

 まだ、この人と別れる決心がついていない。

 もう少し、あと少しだけ、待ってほしい。

 

「私は誰かに必要とされたいのです。桜子に。そして利憲様にも。私も一緒に妖を祓います」

「そうか……」

 

 利憲は薄く笑みを浮かべ、楓に今度こそ行くようにと言った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る