第7話 甘さが連れてくる記憶

「ひどいっ! その男、ひどいよっ!」

「……えっ?」


 突然の大声に、私はハッと我に返った。

 隣に女の子が腰をおろし、険しい表情で私を見つめている。


「だって、お姉さんはなにも悪いことしてないじゃない!」

「…………」


 ただ、昔のことを思い出しているだけのつもりだったのに、いつの間にか、女の子を相手に話しをしていたのだろうか?


「ずっと思い続けて、呼び出されてそばにいて、それなのにストーカーだなんて……!」

「もうね、もういいの。だってね、あれからもう、何年も経っているんだから」

「でも、そのあともずっと好きだったんでしょ? そんな男、お姉さんが思い続けるような相手じゃないよ!」


 私は苦笑いで女の子を見つめた。

 あのころ、私もこんなふうに怒ることができたなら、もっと楽でいられたかもしれない……。


 不意にまた、携帯が震えた気がしてそっと鞄に手を伸ばす。触れた指先になんの振動も伝わってこないのは、きっとまた、気のせいだからだ。

 なにもない……そのことでいつも涙がにじむ。つと落とした視線の先に、湯気の立つ甘い香りのココアと、フルーツを綺麗にあしらったタルトが置かれていた。


「このタルト、マスターの試作品なの。良かったらどうぞ、って」


 カウンターを振り返ると、マスターは少し困った顔で私を見つめ、軽く目礼をした。

 同じように私も目礼で返す。


「甘いものって、気持ちを和らげるよねぇ」

「え……えぇ、そうね……」

「ココアもね、すっごくおいしいよ。だからこれ食べて飲んで、そんな男のことなんて、忘れちゃえばいいよ」


 柔らかな笑顔を見せる女の子がいうとおり、体の隅々までいき渡るほど、甘くておいしいココアとタルトに、私もつい口が軽くなった。


「私もそう思うの。時間とともに気持ちは薄れていくものなのよね……今では他に好きな人もできたのよ」


 そう――。

 昨年、私は一人の男性と出会った。

 彼と離れてから四年目のこと。私は四年ものあいだ、ずっと彼を忘れられないままでいた。


 他の誰にも目を向けられず、いつか来るかもしれないと、あるはずもない連絡を待ち続けているだけの、つまらない女として。

 いつからか……あの人は、そんな私のそばにいた。


 細身で上背のある体つきに、優しい顔立ち、育ちがいいのかおっとりとした性格は、社内だけでなく他の場所でも人気があるようだった。

 そんな人に、いったいどこを気に入られたのか。あの人はある日、私に言った。


「結婚を前提として、お付き合いしてくれませんか?」


 驚いた私に、あの人はさらに続けた。


「あなたに思う相手がいるのは知っています。それが叶わなかったことも……けど、今はそのままで良いんです。誰かを思うままのあなたを、引き受けさせてもらえませんか?」

「でも、それじゃあ……」

「気持ちが変わることだってあると、僕は信じていますから」


 あまりにも普通に、にこやかに言うあの人の言葉が妙におかしくて、それに胸にやけに沁み込んできて、私はつい


「はい」


 と返事をしてしまった。

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