青春の大三角
逢沢 今日助
青春の大三角
今日は長風呂になりそうだ。
純白のワンピースを着てきた事を後悔する時間も惜しそうに、私を後ろに乗せた自転車は今か今かとその時を待ち侘びている。
「じゃ、行くよ!
「ちょっと待って!
そんな私の静止も虚しく、丘の頂上で止まっていた自転車はついに坂を下りだす。
前に雪乃を、後ろに私を乗せて。
小さな雑木林の真ん中を駆け抜ける。
木々から聞こえてくる蝉の鳴き声は、瞬きひとつの間に遥か後ろだ。
どんどん上がっていくスピードに私はひたすら目を瞑り、縋りつくようにして雪乃の華奢な背中に顔を埋めることしかできない。
「向日葵、見り!」
目を瞑ってから暫くして、雪乃の嬉しそうな声が聞こえてくる。
誘い出されるように顔をあげると、右手にある小さな墓地を通り過ぎたあとだった。
その瞬間、光を遮るように続いていた雑木林が途切れ、一気に視界を真っ白に塗りつぶす。
並ぶガードレールの内側を疾走する私たち。
眼下には、同じように並ぶ家屋の奥、蒼く輝く日本海が広がっていた。
遠くには豆粒程に小さく見える漁船がちらほら。
真夏のうだる様な暑さを掻き消さんと吹く涼しげな風にあおられ、海鳥が気持ちよさそうに舞う。
その壮大な景色に見惚れていた私は、自転車のスピードがぐんぐん上がっている事に気づくのが遅れてしまう。
雪乃もまた、私と同様にブレーキを握ることも忘れてその景色に見入っていた。
「雪乃! 前、前!」
私は今年の春、九州にある小さな島、青葉島に引っ越してきた。
「ねぇー、ごめんやん」
「何でいっつもこうなるのよ…」
私は雪乃を睨みつけながら、ワンピースのあちこちに付着した土を何とか払い落とす。
結局、雪乃の「風といっしょになろう」計画は、彼女の自転車と心中する形で十回目の今回も失敗に終わった。
不幸中の幸いか、二人ともに怪我はなかった。
そんな私の様子を見ながら、雪乃は尋ねる。
「なんで向日葵っていっつもそんな綺麗な服着とん? 今日も自転車乗るって分かっとったやろ?」
「え? そんなの、私がこんな服しか持ってないからに決まってるじゃない。 それに、
「うぐっ。 まだ怒っとん…」
うなだれる雪乃を見て、ちくりと胸が痛む。
嘘だ。
私がこうやって雪乃と遊ぶ度にお洒落して出かけるのは、こうでもしないと雪乃につりあわないからに他ない。
肩で揃えた、茶色がかった綺麗な髪。
同じく切れ長で茶色の瞳と、それらが映える真っ白の肌。
極めつけには左目の真下、控えめに位置している二つの涙ボクロ。
雪乃は百人中百二十人が美人だと答えるほどには容姿が整っている。
加えて他の人と壁を作らず
性格が悪いからって、クラスの皆からいじめられて逃げるようにこの島に引っ越してきた私とは真逆だ。
毎回どこで買ったかわからないTシャツに、ジーンズを身に着けていてもこんなに様になるんだ、服装で位ズルして何が悪い、とそう思っている。
そんな私の視線に気づいたのか、雪乃が首をかしげる。
「ん? どした?」
「いや、そういえば雪乃がお洒落してるとこみたことないなーって」
「まあ私はお洒落とかそういうのあんまり分からんしねぇ」
「じゃあ私がこの前あげたあのワンピースとかどうしてるの?」
「ああ、あれ? 私の勝負服になったよ! 今までに着た事一回もないけど……」
雪乃が恥ずかしそうに笑う。
私がこの島に引っ越してきてから、友達からも彼女本人からも色恋沙汰の類を一度も聞いたことが無い。
私の様に異性の目を気にしたこともないのだろう。
私みたいに努力しなくともモテるから……と、ここまで考えたところで必死に頭の中を白紙に戻す。
「……コホン。 なら今から私の家で、雪乃に合いそうな服を選んであげる。」
「え! ほんと?! 向日葵大好き!」
「はいはい。 だから、はやく自転車で行こ。」
「さっきので自転車壊れとるんやけど……」
「あ……そうだった。 じゃあ走ろ!」
「ちょっと待ってよー!」
全力で走る私を、雪乃は汗ひとつ見せずに笑顔で追いかける。
雪乃は本当に服を持っていない。
化粧だって、私が教えるまでは口紅の塗り方すら分からなかった程だ。
化粧の手解きをしてからは私と遊ぶ時だけ簡単な化粧を済ませてきては、上達具合を私に聞いてくる。
その度に私は不思議と
「まあまあだね」
とそっけない態度をとる。とってしまう。
何故私と遊ぶ時にだけめかしこんでくるのかと質問した時もあったが、いっつもするのはめんどくさいから! と、すぐに話を逸らされてしまった。
「お邪魔しまーす!」
私の部屋に雪乃が足を踏み入れる。
どこか汚いところはないか、変な匂いはしないか。
自分の事をお洒落だと思ってくれるか。
そんなことを雪乃は気にする筈もない、と頭では分かっていながらも、雪乃の一挙手一投足に目が離せない私。
そんな自分に嫌気がさし、飲み物とってくるね、と部屋を飛び出してしまった。
戻ってくると、雪乃は私のクローゼットを眺めていた。
「何か気に入ったのあった?」
「うーん、これとかいいなーって思ったんやけど、私に似合うかね?」
雪乃は、カジュアルなベージュのシャツを指さした。
「似合うと思うけど、なんでこれ?」
「なんか動きやすそうだったから!」
ニッ、と笑う雪乃に思わずため息が漏れる。
「もー、雪乃は服を動きやすそうかどうかでしか見ないよね。 お洒落は我慢なんだよ」
「こんな小さい所で今更お洒落してもやん、向日葵と違って私のガサツさはみーんな知っとるしさ」
背筋が強張るのを感じた。
雪乃がお洒落に興味を持つのはもう少し先になりそうだ。
心の中で、ほっと胸を撫でおろす。
「わあー! 向日葵、これ似合う?」
先程のシャツと、貸してあげた黒いミニスカートを身に着けた雪乃は、姿見の前でご機嫌に回って見せた。
雪乃の肌の白さを、くすんだ私のシャツが際立たせる。
あげる前に、この服洗わなきゃな。
「……いいんじゃない?」
「ちょっと、まじめに答えてよ~」
雪乃はぷくりと頬を膨らませる。
桜色の口紅が柔らかそうだ。
それから、雪乃と私は暫く話し、外が暗くなった辺りで帰っていった。
「じゃーねー、向日葵」
「また明日」
ぎぃーっと蝶番の音が鳴り止むや否や、私は力が抜けて膝をついてしまう。
今日はどっと疲れた。
ちゃんと“お洒落な友達”できたかな。
私は大きく息を吸い込み、そして今日イチのため息を吐き出した。
雪乃の柔軟剤の柔らかな匂いが鼻を抜けていく。
ふと、部屋の隅に置いてある姿見に視線を移す。
いつもと変わらず窓からの光を反射しているだけなのに、心なしかいつもより嬉しそうだ。
毎日毎日こんな不細工を映させてごめんね、と姿見の縁に手をかける。
スマホの通知音で我に返った。
電源を入れて画面を確認する。
『北野さん、もし良かったら今からちょっと歩かない?』
「桜井君…?」
吃驚して思わずスマホを落としそうになる。
桜井君は私と同じ時期にこの青葉島に来た転校生で、お隣さん。
東京出身らしい。
こんな島に、しかも二人とも同時期転校というのはやはりクラスのみんなからしても珍しいものらしく、暫くは皆に物珍しそうな目で見られた。
そんな中、突然
「ねぇねぇ、二人ってもしかして付き合っとーと?」
と、不躾な質問を投げかけたのが雪乃だった。
それ以来、学校では私と桜井君、そして雪乃の三人でつるむ事が多くなり、次第にクラスの皆とも打ち解け始める事ができた。
二人が、転校初期の荒んだ私を元に戻してくれたんだ。
そんな事もあって、私が桜井君に惹かれるのにもそう時間はかからなかった。
『行く行く! ちょっと待ってて!』
手早く返信を済ませ、浴室へと飛び込む。
この島に引っ越してきてはや半年ほど、桜井君からこんなお誘いを受けたことは一度もない。
「何で急に? もしかして……」
口角が上がりっぱなしの、身持ち悪い顔が鏡に映る。
はっとして、両頬のぱちんと叩き、気合を入れ直す。
外に出ると、昼までのジリジリとした不快な暑さは影もなく、底冷えするほどの冷たい風が吹いていた。
がっつり薄着で来てしまった私はしまった、と思って上着を取りに行こうと踵を返そうとする。
すると
「おーい!」
私を呼ぶ、柔らかくて優し気な声。
耳の先から、熱を帯びていくのを感じる。
振り返ると、桜井君が手を振っている。
彼特有の、くしゃっとした笑顔を浮かべて。
先程まで身体を震わせていた寒さも、今となってはもう気にならない。
私は桜井君の傍に駆け寄る。
「ごめん桜井君、待った?」
「いや、俺もさっき家出たところだから。 それより……」
桜井君が目線を落とし、私の服を見る。
「大分薄着だけど、大丈夫?」
「へ? うん、全然大丈夫!」
「ならいいけど。 あ、じゃあこれ着といてよ」
桜井君は、身に着けていたパーカーを手渡す。
「いやいや悪いよ! 桜井君も寒いでしょ?」
「俺は大丈夫だよ、寒そうな人見てる方が寒くなるんだよね。 だから受け取ってよ」
「分かった……」
袖を通したパーカーからは、どこかで嗅いだことがあるような、ないような、いい匂いがした。
桜井君の匂いだ。
結局、私を呼び出したのは、桜井君の祖父母の墓参りについてきてもらう為だった。
一人で行かないの、と聞くと、夜に墓参りに行くのが何だか怖いらしい。
なんにせよ、桜井君の可愛い一面を見られてよかった。
「俺のおじいちゃんとおばあちゃん、この島の人だったんだよね。」
雑木林入口にこじんまりと建てられている墓地の中、ライラックの線香に火をつけながら桜井君は零した。
「でもこんな小さな島、俺も知り合いなんて一人もいなかったし、引っ越してくるまでめっちゃ心細かった」
「私も心配だったな」
「だよね、だから初日の転校生紹介の時、北野さんも隣にいて内心うれしかったんだ。 まあ、最初の方は人を寄せ付けないって感じでびっくりしたけど」
「そ、そうだったっけ?」
「うん、その時に比べたら北野さん、大分雰囲気変わったよね」
「そうかな?」
「うん。 やっぱり渡辺さんのおかげ?」
「雪乃? そうだね。 今の私がいるのは雪乃のおかげかも」
「二人で孤立してた時、最初に『二人って付き合っとーと?』とか聞いてきたのが渡辺さんだったよね」
「懐かし! あったねそんな事」
桜井君と一緒に、手を合わせる。
桜井君と付き合えますように、って祈ろうと思ったけど、家族の前で思うのは恥ずかしかったから、やめた。
「よし、着いて来てくれてありがとね」
「いやいや、全然!」
屈んでいた桜井君は腰をあげ、大きく伸びをした。
もう終わりか、としんみりした気持ちに浸っていると、桜井君と目が合う。
「北野さんは、どうしてこの島に?」
深い落とし穴を思わせる、吸い込まれそうなほど真っ黒な桜井君の瞳。
私はまんまとはまったつもりで、引っ越してきた経緯を語る。
桜井君は最低限の相槌だけを挟みながら、静かに私の話を聞いてくれた。
気づけば小さな防波堤の縁に二人、腰かけて話し込んでいた。
「……て感じで、しがらみとかが何にもなさそうなこの島に引っ越してきたんだよ」
「そっか。 ごめんねこんな話させて」
「大丈夫だよ。 もう終わった話だし」
桜井君が、私の瞳をじっと覗き込む。
「ほんと?」
「……うん、ほんとに」
目に袖を宛がう。
桜井君のパーカーにシミが付着する。
そっか、私辛かったんだ。
気付かない振りしてたんだ。
自覚した瞬間、
「…うっ、うう……」
「辛かったね、よく頑張ったよ」
頭に、ずっしりと重い桜井君の掌の感触。
触ったら火傷しそうな程に熱くなる目頭。
私は、高校生にもなって不甲斐なく号泣してしまった。
暫く経って落ち着いた私は、先程の出来事を思い出し羞恥で動けずにいた。
嫌われたかな……。
桜井君の顔が見られない。
どんな顔をしてるんだろう、きっとドン引きしてるだろうな、高校生にもなってあんな泣き方……
ちらりと横を向く。
桜井君は、ふるふると体を小刻みに震わせていた。
慌てて顔を見上げると、意地悪な微笑みを顔に浮かべさせている桜井君の姿が。
「え、どうしたの…?」
「いや、思ったより泣いてたからさ、ちょっと…ね」
口元に手を当てて笑いをこらえる彼。
「仕方ないじゃん、ずっと我慢してたんだし…」
「うん、ほんとによく耐えてたと思うよ」
一瞬の沈黙が流れる。
私たちの間を涼しげな風が駆け抜ける。
桜井君が頭をくしゃくしゃと搔きまわし、私の方に向き直した。
「これは今日言う予定じゃなかったんだけど」
「…? うん」
「俺、北野さんが好きだ」
「…ん?」
今なんて? 私は桜井君の言葉を反芻し、三往復程したところで、漸くその意味を理解した。
「はぁぁぁ?!」
「なっ、なんだよ」
「今、今私の事好きって…?」
「うん」
信じられない。
てっきり桜井君は雪乃の事が好きだとばかり…
身体の奥から、ぽかぽかとした何かが昇ってくる。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯く桜井君、の何倍も顔が赤い私。
目の前の海に飛び込んだらちょっとは落ち着くかな?
「で、まだ答え聞いてないんだけど」
桜井君が顔をずいと近づけ、唇を尖らせる。
「も、勿論、私も好きだよ」
「勿論??」
反射で答えた。
こんな海を割るような一大事が起きても、遠くの水平線は私たちを嘲笑うかのように少しも動く気配がない。
私の心持ちとは裏腹に、月明かりに照らされた海は揺り籠のように優しく揺らめいている。
嬉しさと安堵感と驚きでなんだか力が抜けてしまい、桜井君の左肩に頭を預ける。
心なしかいつもより熱い桜井君の体。
こんな時間がいつまでも続けばいいのに、とそう思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二人を見守るように佇む街頭の下、僕たちが防波堤に来て暫く経った。
左肩を見ると、さっきまで大騒ぎしてた北野さんが、すやすやと可愛らしい寝息をたてて眠りこけている。
壊れそうな程繊細な彼女の頬を撫でた。
宝石のような光を放つ彼女の茶髪が揺れ、僕の顔にすり寄ってくる。
「可愛いなぁ」
「二人でお楽しみのところごめんなさいね」
振り向くと、仁王立ちの渡辺さんがいた。
「早かったね」
「早かったね、じゃないやろ」
渡辺さんが俺の頭を小突く。
「告白成功した、とかいうメッセージ入ってきたけ急いできたんやけど」
「御覧の通りです」
「みたいやね。 いきなりいちゃついとるし」
呆れた、と言わんばかりに小さなため息をつき、俺の横に腰かけて寝転がる。
「私のほうが向日葵のこと好きやったんやけどね」
「いや俺だよ。 それにもしそうだとしても北野さんが好きなのは俺の方だし」
「はぁ、私の事、結局友達としてしか見てくれんかったし」
「何でか知らないけど、北野さん渡辺さんに結構遠慮してたよね
「うん…とにかく、向日葵の事絶対泣かさんでね」
「言われなくても」
「じゃ、また明日」
渡辺さんは少し名残惜しそうにして、走り去っていった。
北野さんにちょっとだけ寄りかかる。
シャンプーの柔らかい香りが鼻腔をくすぐった。
「好きだよ、向日葵」
寒いので、彼女の寝息がかかる距離まで身体を寄せ合い、意識を手放した。
了
青春の大三角 逢沢 今日助 @kamisilon
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