【カクコン10短編応募作品】リュウゼツランの花の下で
夏目 漱一郎
第1話 亜紀
「まったく、困ったもんだね」
車が壊れてしまった。
【日産Y32型セドリック〜グランツーリスモsv3000ccアルティマ〜】
自動車と言えばEVやハイブリッドが幅を効かせているこのご時世で、もうとっくの昔に『セドリック』という車名さえ消滅してしまったメーカーの三十年近くも経っている彼の愛車は、最近走行途中に度々エンストするようになった。
「ここのところ急に寒くなったからかな? 夏位までは調子よく走っていたんだけどね」
「
ベテランサービスマンである山本は、自分が関わった事のあるこの車種の過去の整備事例から原因を想定し、そんな提案を十文字にしてみる。
「そうですか。それなら、今日から預けていって診てもらおうかな」
「かしこまりました。それでは、お預かりしている間、こちらの代車を……」
そう言って山本が差し出した右手の先には最新型のEVが用意してあったが、それを見た十文字は彼の申し出をやんわりと断った。
「いや、代車は結構。僕、車の運転はあまり得意じゃなくてね。この車(セドリック)しか乗れないんだよ……」
女の子かよ!……と、山本は心の中では思ったが、勿論そんな事は十文字には伝えない。高齢者でマニュアルミッションの車しか運転出来ないとか、女性で軽自動車しか運転した事が無い……という話はよく聞くが、セドリックしか乗れないというのは初めて聞いた。
あいにく、十文字と同じ型の車はこの
「そうですか? それではお言葉に甘えさせていただいて『代車無し』という事で。
十文字様のご自宅までは、ウチの『アキヤマ』が送りますので、どうぞご安心を」
* * *
そんな事があって、暫く公共の交通機関で出社する事になった十文字だったが、幸いな事に彼の家のすぐそばにはバスの停留所があり、通勤に支障は無かった。
翌朝、停留所でバスを待っていると、十文字の他に高校生位の女の子と、その母親であろうか四十代位に見える女性とが二人でその停留場にやって来た。
「ねぇ、高橋さん。バス、すぐに来るかな?」
「うーん……この時刻表によれば、あと二十分くらいかしら……」
その女の子は、隣の女性の事を高橋さんと呼んだ。 という事は二人は親子では無く血縁関係はないという事だ。
女の子の方は、女優の『川口秋奈』にちょっと似ているかな?……私服みたいだけど、今日は学校ではないのかな?
十文字は、視界の隅に二人の姿を捉え勝手な想像を思い描いていた。と、その時。
「すみません。このバスにはよく乗られるんですか?」
突然、女の子の方が十文字に話し掛けて来た。
「ほぇ?」
急に可愛い女の子から話し掛けられ思わず変な声を出して応えてしまった十文字は、慌てて咳払いを二度三度繰り返してから、女の子の質問に答えた。
「いや、実は僕の車が壊れてしまって、今日からそれが直って来るまでの間、バス通勤なんだ」
「そうなんですか。アタシも今日が初めてなんですよ」
そう云って屈託の無い笑顔を十文字に向ける女の子に、十文字はずいぶん明るい娘だな。この娘には、人見知りという言葉は無縁のようだ……などいう第一印象を抱いた。
「それは、よろしく。僕は十文字と云います。君の名前は?」
無意識のうちにそんな受け答えをしている自分に驚く十文字。彼女の明るい笑顔を見ていると、なんだか自分も自然に積極的な気持ちになるから不思議だ。
「アタシは亜紀。
* * *
やがてバスが到着すると、十文字と山城亜紀そして『高橋さん』と呼ばれた女性は、そのバスに乗車した。
バスの中は意外と空いていて、どこにでも自由に座れたが、十文字と亜紀達は敢えてすぐ前後に隣り合わせの席に座った。
「亜紀ちゃんは、このバスでどこに行くの?」
さっき会ったばかりの娘にいきなりちゃん付けはどうかなと思いながらも十文字が質問をすると、亜紀はそんな事は何も気にしていない様子で普通に答えた。
「アタシは病院に行くの」
「病院?」
確かに、この路線バスの途中にはこの市内でも大きい部類の大学病院がある。十文字は亜紀にいったいどこが悪いのか訊いてみたかったが、亜紀の隣に座っている高橋さんが何やら怖い顔でこちらを睨んでいるような気がして、それ以上の詮索はしなかった。
やがてバスが病院前の停留所に停まると、亜紀と高橋さんは「それじゃ、お先に。と挨拶をして降りていき、十文字はその背中に向かって「お大事に」と、声を掛けた。
* * *
その翌日の朝。十文字が待つバスの停留所に、また亜紀と高橋さんがやって来た。
十文字は、二人に向かって「おはようございます!」と挨拶をしたが、それに対する
亜紀の挨拶は、十文字の想像とは違っていた。
「初めまして! アタシ、今日からこのバスを利用する事になりました山城亜紀と云います!」
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