その舞台に私は居ない

ハユキマコト

その舞台に私は居ない

 可愛い女の子はお砂糖とスパイスと何か素敵なもので出来ている。自堕落な小説家は睡眠薬と安ワインと何か異常な強迫観念で出来ている。


 私が小説と呼べる形式の文章を書き始めたのは、おそらく小学校低学年ぐらいの時だったと思う。IQ200の猿が巨大化したり小さくなったりしていろんなトラブルを解決し、町の人や子供たちのチームと仲良くなる話を書いていた。

 半ば絵本のような感じで、挿絵も自分で書いていたのをよく覚えている。この「町」「チーム」という理想的な共同体に関する観念は、ずっと私の中で培われてきた、いわば私のエースだ。

 新たな物語に着手したのは、中学生ぐらいの時。ちょうど個人ホームページが一般的になり始めていた時代で、私もそこで作品を公開していた。定時制高校の問題児たちが保健室に集まり、怪奇事件を解決していく怪奇ものだったはずだ。モデルは当時所属していた部活だった。今でも割と気に入っているが、原本をどこにやってしまったのか覚えていない。主人公の少女の相棒役を務める男性が美形で大金持ちのナルシストだったことと、仲間キャラにエセ関西弁の男が居たのは覚えている。尖り方が今と全く変わっていない。

 また、同時に今もライフワークとして継続している「神風町」という創作シリーズも始めた。先述の「町」と「チーム」が取り扱われる物語で、孤独や焦燥、差別によってこの世に居られなくなったものたちが訪れる、世界で一番幸福な監獄の物語だ。


 そうして、その他にもいろんな物語や、たとえばゲームの二次創作シリーズ大作を書き上げたりする中で、大きな転機がひとつあった。

 地方新聞に私の文章が掲載されることになったのだ。小説家とその読者をつなぐリレー、つまりあこがれの著名作家と一度だけ交換日記のようなことができるという素晴らしいイベントがあり、高校の教師がツテで約束を取り付けてくれた。普段は非常に厳格で嫌味ったらしく、あだ名が「セブルス・スネイプ」だったその教師が、授業の端で漏らしたその作家の名前を憶えていたのは本当に意外だった。

 私は、あきれるほど必死になった。事前資料として指定された映像作品を目をギンギンに光らせて視聴し、作家の本もすべて再読し、当時の語彙で可能な限りの思いを込めた。作家の本は、「町」と「チーム」を余すことなく描いた作品で、今でも愛読書のひとつである。

 そうして渾身の文章は新聞に掲載され、きっとほんの数名ぐらいは読んでくれたことと思う。しかし、ただそれだけだ。読み流される一行にすぎず、興味は隣のおおぶりなニュースや、テレビのラテ欄へとすぐに移ったことだろう。


 私は長く小説を書いている。同じぐらい絵も描いているが、やはり「文章」というのが好きだ。どこまでもエゴイスティックになれる、その文章を書いている間だけは、私は大舞台で好きなように呼吸をし、踊ることができるのだ。


 しかし、誰かが私の文章を読むとき、その舞台に私は居ない。当然のように読書の主役は読者である。

 この話も全て妄想かもしれない。それでも、その舞台に立ってくれたあなたに最大級の賛辞を。

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