物思いに耽るマルレーネ




 キャシーにギルド受付の仕事を一時的に任せたマルレーネは、一人、奥の支部長室へと入っていった。


「はぁ……」


 執務机と対となっている椅子に腰かけて、背もたれに寄りかかる。


(それにしても、リクには困ったものだわ)


 悪戯小僧として知られる六歳児は本当に言うことを聞かない。おそらくなんらかのきっかけさえあれば、百八十度価値観が変わっていい子になるとマルレーネは信じているけれど、今はそのきっかけがない。


(なぜかグレアムさんには心酔しているみたいだし、あの人がいい影響を与えてくれることを信じるしかないですね)


 とはいえ、あのグレアムである。


 村に来たばかりの頃は、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していて、微妙に他人とは一定の距離を置いているように感じられたが、今はもう、それはない。


 代わりに、元々そういう人だったのだろうけれど、どうも、どこか天然が入ってるような気がして仕方がなかった。


(一応、普通の常識は持ってるみたいだけれど、どこかずれてるんですよね)


 微妙に勘違いしたり、妙に鈍感だったり、脳天気の権化みたいにのほほ~んとしていることが多く、それゆえ、なんだかほっとけなくってついつい構ってあげたくなってしまう。その結果、お説教という形になってしまっていることは、彼女としても本意ではなかったが。


(それだけ、この村ののどかな雰囲気に馴染んでくれたということなんでしょうけれど)


 この村の者たちは皆鷹揚おうようだから、身体だけでなく心の距離も非常に近い。だから話をするときも肩を寄せて近距離で話すことが多いし、挨拶やちょっとした会話をするときでさえも、普通に肩や背中に手を当てたり、肩組んだりして仲良く話し込むことが多かった。仲がいい同士なら、男女関係なくそうだ。


 とても気さくで親しみやすいいい村だとマルレーネは思っている。


 そして、グレアムも元々はこの村みたいに気さくな村で育ったと聞いているし、尻叩きとかいうおかしな風習があったとも聞いているから、彼の本質が今のような凡庸とした青年だったのだろうということはなんとなくわかっている。


 だからこそ、この村の一員となって、それがきっかけで本来の彼を取り戻してくれたことについては素直に嬉しい。もっとこの村に馴染んで、幸せな人生を歩んでいって欲しいとも思っている。彼がなぜ、こんな辺境に流れてきたのか、その理由をからだ。


(いいお嫁さんを見付けて子供作って、ずっと定住してくれればそれが何より。そのお嫁さんが……)


 それ以上は思考が働かない。

 ふぅっと軽く溜息を吐く。

 彼女は天井にできたシミをじっと見つめた。


 グレアムのことを考えると、知らない間に溜息が出ていることが多い。普段の脳天気な言動はいつものことなのでそれはいいのだが、一つ、気になっていることがあったからだ。キャシーたちのことである。


(こういったのどかな村で生まれ育ったにもかかわらず、グレアムさんに対してあんなにも過剰に反応するのって、やっぱりあれですよね……)


 他の村人から「よっ」と言われて、軽く肩を叩かれても、そこまで拒否反応を示すことはない。


 ときどき、「ちょっと、触らないで」と、年頃の娘みたいに嫌そうにすることはあるものの、そこまで嫌悪しているようには感じられない。しかし、グレアムが同じことをすると、途端に、彼女たちはみんな極端なまでに嫌悪感やら恥じらいといった感情を示すのだ。ときには用もないのに自ら突っかかっていって、に返り討ちにあったり、肩が触れあっただけでも恥ずかしそうに思い切り悲鳴を上げたりする。


 どうして彼女たちがそんな反応を見せるのかなんて、考えるまでもない。


(結局はみんな、女の子……ってことなんでしょうね)


 年頃の娘や男性慣れしていない女性にありがちで、なおかつ強く異性を意識したときに感じられる恥じらい。そこから来る拒絶。


(これ……まずくないかしら……?)


 そうマルレーネは感じて、天井を見つめたまま徐々に目を細めていく。


(これ以上放っておいたら、あの人たち本気になってしまうかもしれない)


 彼女は脳裏に、グレアムのことを思い浮かべた。同時に、随分と記憶の奥深くへと追いやられてしまっている過去のそれを呼び覚ましていた。


 彼女にはこの世界で生きた人格や価値観、記憶とは別に、もう一つ、本来この世界には存在しない過去のそれが、魂に刻み込まれている。


 彼女はそれを、おそらく前世の記憶や人格、価値観なんだろうなと、朧気おぼろげながらに理解していた。


 そして、そんな前世で知り合ったおじさんにそっくりな雰囲気を持っているのがグレアムだった。


 生まれ変わりなんじゃないかと思ったことも一度や二度ではない。


 普段はのほほんとしているが、いざとなるとスーパーヒーローみたいになってしまう彼。


 ひょっとしたらという思いもあって、彼にだけは前世のことを話してみたが、あの人が過去の記憶や人格を蘇らせることはなかった。多少残念ではあったけれど、ほっとしている部分もある。同一人物だったらそれはそれでどう接していいかわからないから。異性として認識しているグレアムとして見るべきか、それとも――


(だけれどとりあえず、一つ対策は取れたし、あとは……)


 マルレーネは今後のことを考えながら、最後はにっこりと微笑むのであった。

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