閉鎖都市TOKYO ~昆蟲少女と朝焼け少女~

どこんじょう

はじめてのおつかい「安全とは無縁の街」編

 少し雑なAIに出力させたような、上下左右前後に建物が存在する巨大な街。

 そんな街の一角で、背中から機械の蜘蛛脚を生やした少女と、朝焼けのようなオレンジ色のポニテにゴーグルをつけた少女が唖然とした顔で立ち尽くしていた。


「……これ、死なずにいけるかなぁ」

「は? え、冗談でしょ?」


 朝焼け少女の呟きに、昆蟲少女が正気を疑うような表情で振り向く。

 しかし、それもそのはず。彼女たちの前には、その間を数秒毎に通り過ぎるリニアモーターカーと情報熱線が立ち塞がっていた。


 どう考えても危険地帯。しかし、目的地はその向こう側にある。

 買い物をするために来たはずなのに、どうしてこんな危険地帯にやってきてしまったのか。話は、数時間前に遡る───



♢♦♢♦♢



「ししょー、この部品あまったー!」

「あー? ないでしょ、面倒だけどやっときな。それエマのだから、故障した時知らないぜー?」

「ですよね~めんどくさぁい……はぁ、最初から組みなおしまーす!」


 “エマ”と呼ばれた朝焼け少女が、“師匠”に言われたとおりに装置を組みなおす。

 異様に内容を省略する特徴的な話し方をする師匠と呼ばれた少女の名前は“美来みらい”。『天才』の異名を持つ彼女はエマとお揃いのゴーグルをつけ、この後の用事に向けて準備をしていた。


 彼女たちは閉鎖都市TOKYOに住むである。

 一万年後には全ての世界線で人類の滅亡が確定している世界で、その原因を探るため未来へ行って遺物を回収してくるのが仕事だ。命の保証がない危険な職業なのだが、この街の住民は未来の技術で死んでも甦るので基本的に死に対する認識が軽い。

 とはいえ死ぬのは痛い上に復帰まで時間がかかる。なのでなるべく死なないよう装備の手入れや改良を行うのが常識であり、まさにエマが現在行っている作業こそがそれだった。


「え~っと、ここに第三規格β型ネジをはめて完成で……あれぇ? なーんかまーたあまっちゃった。

……ん? あ、この設計図ブループリント違うじゃん! そら完成しないわけだよ!」

「ちゃんと確認からやりなよ~」

「うぅ……次からは気を付けまーす」


 手袋から浮かび上がるホログラムを掴み、別のファイルと入れ替える。

 新たに浮かび上がった設計図に書いてある手順を一から確認し部品を整理しなおす彼女だったが、そこで更なる問題に気付いた。


「ししょー! 今度は部品が足りなーい!」

「えぇ~? 在庫は?」

「確認した~。というか、部品ってより組み込む装置が足りてなーい」

「マジ? え、どれ?」

「『小型原子変換機:鋼鉄合金』ってやつー」

「あ~……うわ、よりに小型か。しかも合金じゃアレだなぁ」


 左手で論文発表用のスライドを作り、右手で変換機の製造方法を調べながら美来は面倒そうに呟く。

 師匠みらいが左右の手で全く違う作業を行なっていることにも慣れてきた弟子エマは、真面目に聞いているような顔で暇そうに体を揺らしていた。エマの内心にとっくに気付いている美来だったが、特に触れる必要もないと咎めることはせず、淡々と情報を整理する。


「ん~久々にならないとかも」


 数百ページに渡る資料を数分ほどで読み終えた美来は、その構造の複雑さと製作の際に求められる精密さを考え、自力で作ることは諦めた。

 とはいえ、別に装置自体を諦めたわけではない。知り合いにそういった作業が得意な人物がいることを思い出した彼女は、そちらの路線へシフトすることにした。


「なるほどー? どこにお世話になるんですか?」

「『ワンス・セカンズ』。あそこなら数字的管理だし売ってるでしょ。

 とはいえ、時間がにゃー」

「あ〜……帰ってきてからじゃダメなんですか?」

「あそこ四時まで。終わるのもだから、うん、綺麗に無理だね」

「うぇ~」


 美来の反応の通り、今から向かうには時間がない。というのも、美来にはこの後出かける予定があり、よりによってその目的地は『ワンス・セカンズ』と正反対の方向にあるのだ。とてもじゃないが、彼女の装備でも間に合わないだろう。

 明日までに装備を改良しておきたいエマが項垂れるが、こればかりはどうしようもない。美来の頭の中では一つだけ案が思いついてはいたのだが、少し懸念点があるために言い出せずにいた。しかし───



「なら、私が一人で買いに行きますよ! はじめてのおつかい!」



───エマも、美来と同じことを思いついていたらしい。


「うぇへぇ流石だねぇ」

 自分と同じ考えに至ったことを褒めつつも、肯定はしない。

 はじめてのおつかい、と言えば可愛いものだがこの街は閉鎖都市TOKYOだ。未来ほどじゃないにせよ、十分に危険で溢れている。どうせ死んでも甦るという意識があり、全体的に安全意識に欠けているのだ。勿論安全な区画も存在しているが、今回の目的地である『ワンス・セカンズ』が立地しているのは残念ながら低安全区である。

 まぁ、それだけなら大きく構う必要はない。なるべく死ぬな、と言えばいいだけの話である。彼女が懸念していたのはもう片方の問題で……


「一応聞いとくけど、エマ、道わかる?」

「えぇ~私もう13歳ですよ? 地図さえあればそれぐらいわかります!」

「おっけー、うん。……(ダメ、そうだなこれ)」


 そう、この街は異常に複雑な構造をしている。

 重力の操作や時間の操作、空間の操作などが可能なこの街において建築基準法は存在しない。せいぜいが「他人の土地を侵すな」と言われている程度である。

 幼少期からTOKYOで暮らしている人間であっても、少し区画が変わるだけで十分に迷ってしまう。そんな中で更にエマを信頼できない要素として、

 詳しい事情は省くが、彼女はつい数週間ほど前にTOKYOへ侵入したイレギュラーであり、現状唯一の外来人である。長く暮らしている人間であっても迷うような街で、つい最近住み始めたばかりの人間が何事もなく辿り着けるとは思えない。

 最悪、迷ったまま帰れなくなる可能性だってあるのだ。その場合は迎えに行くことも困難なため、大人しく死んで帰ってきてもらうしかない。気軽に「行ってきな」と言うには少し問題がありすぎる。それが、美来が悩んでいる理由だった。


「……ししょー、ダメ?」

「えぇ~? う~ん。ごめんだけど、一人だと流石にかな」

「そんにゃあ〜……んぉ?」


 エマが抗議の意味も込めながら体を揺らしていると、玄関の方からノックする音が聞こえてくる。

 拳というよりは金属と金属がぶつかるような硬い音のノックに首を傾げながらドアを開けると、そこには身長135cmほどの白髪の美少女が立っていた。


「わっ百蟲ももむしちゃん!? おはよー?」

「おぉ、おはよう。どうかしたの?」

「おはようございます。前に言ってた、借りてた本を返しに来ました。

 ついでにこれ、つまらないものですが……」

「おぉ〜ありがとう。あっザラメー!」


 “百蟲”と呼ばれた少女が、背中から生えた機械の脚を使って袋を渡す。

 一見すると小学生のようにも思える身長をした彼女はエマよりも3歳年上の16歳であり、背中と四肢を機械化したサイボーグの少女である。さっきのノック音が硬かったのは、背中の蜘蛛脚でノックをしたからだろう。

 少し前まではエマに嫉妬し美来に緊張していた彼女だが、最近では慣れてきたのか、本の貸し借りや家にお邪魔することも増えてきた。エマに対するあたりの強さは変わらず、まだ若干遠慮も見られるが、案外押しに弱いためなんだかんだ文句は言いつつも押し切られてしまうことが多い。


 そして、エマも美来も押しが強い方だった。


「そうだ! 師匠、百蟲ちゃんと一緒ならどう!?」

「えっえ? な、なに?」

「あ~それならまぁ? 百蟲ちゃんこの後予定ある?」

「いや特にないですけど……え?」

「じゃあ良いよ。百蟲ちゃん、“おつかい”の案内をいいかな?」

「え、はい。……へ!?」

「やったー決まり!」

「は、へぇ!?」


 彼女の心情を表すように背中の蜘蛛脚があたふたする。

 上手く状況がわからないまま決まってしまうのは一度や二度ではないが、それでも一生慣れそうな気配はない。


「ちょちょちょっと待って!? 私も別にあんまりこの辺詳しくないのだけれど!?」

「ん~百蟲ちゃんなら大丈夫だよ。そろそろだしお昼ご飯は何がいい?」

「えっいやそんな別に」

「パンケーキね、おっけー」

「すいませんせめてフルーツ系でお願いしますッ!」

「私はハンバーグ~」

「ちぇ、美味しいのに……」


 即座に答えを出さないと本当にパンケーキ(それも激甘)になってしまうため、遠慮する隙もなく答えさせられる。答えてしまった以上は勝手に帰るわけにもいかないので、顔を強張らせて玄関の中へと足を踏み入れた。

 もうこうなってしまうと、今から断ることは不可能だろう。少なくとも彼女の性格上、断れそうなタイミングは逃してしまった。


「はぁ……美来さんは昼食の準備を始めちゃったみたいだし、もう一緒に行くのは受け入れるわ。

 それで? せめて経緯と目的地についてぐらいは教えてくれるのよね?」

「作りたい装備があって、それに必要な装置を買いに行こうと思って。目的地は『ワンス・セカンズ』?ってお店らしい」

「なるほどね。あ~そこなら前ちょっと調べたかも。けど行ったことはないわ。

 まぁ私も欲しい物あったし、丁度いいかもね」

「ほんと? やったぁ!」


 百蟲が手のひらに電子マップを浮かばせ、ブックマークを確認する。

 エマと話しながら緊張が解けてきたのか、蜘蛛脚に透明な糸を張り、空中に座るように腰を下ろした。


「ところで、貴女「作りたい装備があって」って言ってたけどそれ、今日じゃないとダメなの?」

「明日までに新しくしたくてぇ……」

「明日ぁ? それならもう数日前ぐらいに終わらせときなさいよ。何か用事でもあるの?」

「いや、ちょうど作りたかったのが明日行く世界に相性良さそうだったからさ」

「そう……まぁ世界に合わせて装備を考えてるのは偉いし、それはいいか……。

 そういうことならほら、ある程度ルートだけ調べておきましょ」

「あちょっと待ってね片付けだけしてくるから」

「うい、できたよー」


 エマが部品をまとめようとしたタイミングで、時間冷凍食品を解凍した美来が三人分の食事を持ってきた。


「あ、師匠ありがとー! いただきまーす」

「ちょっ、片付けてから食べなさいよ!?」


 すぐに飛びつこうとするエマを慌てて諫め、なんだかんだ片付けも手伝う百蟲。

 やるべきことを終えて食卓についた二人は、この後のルートも決めつつ昼食を存分に堪能した。



♢♦♢♦♢



「よし、それじゃ“おつかい”頑張ってね」

「はい!」

「そちらこそ、研究発表会頑張ってください」


 腹ごしらえも完了し準備を終えた三人は、扉の前で二つに分かれる。

 美来が手を振りその場から消え去ったのを見届けて、百蟲とエマの二人は自分たちの進むべき方向へ顔を向けた。


「さぁて、それじゃ出発進行ー!」

「今が12時半ぐらいだから……私たちの装備じゃ2時間で着く計算になるかしら。

 別に余裕はあるし、エマ? 

「アッハイ」


 今にも走り出そうとするエマへ、百蟲が眼を細めて釘を刺す。

 予め刺しておかないと予想外の事態が発生した時が怖いという、彼女の経験則だ。


「とりあえず、ここの三階上から真っすぐ進むのが良さそうね」

「ん、それじゃ階段は───「《蜘蛛くも》」───へ?」


 百蟲を階段へ案内しようとしたエマの背中を、小さな突風が撫でる。

 風の吹いた方向へ振り向くと、丁度、廊下から飛び出す百蟲の姿が目に入った。


「ちょちょちょ百蟲ちゃんぅあお!?」

「なに? こっちの方が早いでしょ?」


 勢いよく飛び出した百蟲はそのまま壁に向かって糸を撃ち、建物のに着地する。

 未来探検家の間ではほとんど標準装備扱いもされている、重力操作を行っての芸当。とはいえ勿論、エマが驚いたのはそこではなく───


「そ、そんなことしちゃっていいの!?」


───仮にも住居の壁を歩いていいのか、という問題であった。


「ん? 別にいいでしょ。壊したり傷つけたりしなければ基本的にどう通ろうが適法よ? というかそもそもこの程度で傷つくような素材は使われてないし。

 なんならこの方法使わないと通れない道もあるくらいよ」

「そ、そうなんだ……」

「ほら、そういうことだから早く来なさい。へんに急ぐ必要はないけど、なるべく早いルートを使った方がいざという時安心でしょ」


 百蟲は上の階から覗き込みながら、淡々とした表情で手招きしている。


「えぇ~……まぁ、まぁ、うん。そういうことならいっか!」


 少し懐疑的な反応をするエマだったが、若干考えて吹っ切れたのか百蟲と同じようにダッシュで廊下から飛び出し、ブーツの重力方向を操作して一回転した後に着地した。


「うわあぶなっ! 前に回転しながら後ろに着地するな!」

「まーでもこの方法で覚えちゃったし」

「はぁ……じゃあもういいわ。それで三階上だから……ここね。

 調べてたルート通りなら、ここからは一旦真っすぐかしら?」

「そうだね。じゃあ今度こそ、出発進行~!」

「あっだからはしゃぐなって……わわわわわわっ!?」


 百蟲の手を引っ張り、エマが小走りで駆け出す。

 こうして、二人の“おつかい”は始まったのだった。


♢♦♢


「わーなにここすごーい!」


 びしょ濡れになったエマが目を輝かせながら叫ぶ。

 下から上へ流れる滝に真っ先に突っ込んだ彼女は実に楽しそうな表情で天井に寝っ転がっていた。


「私も初めて見た……」

「えっそうなの?」

「私元々あんまり出かける方じゃないしね。というか、寄り道も程々にしなさいよ。

 服もそんなに濡らして……どう考えても寒いでしょ。馬鹿なの?」

「えぇ!?」


 百蟲の自然な口調での罵倒に驚きつつ、天井から地上へ逆さまに下りる。

 ポニーテールを握りしめて髪から水を絞りながら、エマは片手間に地図を開いた。


「とは言ってもさー。ルート通りに進むならこの滝を通らないと上の階には行けないいよ?」

「この辺が水棲種族の生活区だって知らなかったの。

……流石に濡れるのは嫌ね。迂回する?」

「いいよ。私はもうびしょ濡れになっちゃったけど」

「それは自業自得でしょ」

「ん~ごもっとも!」


♢♦︎♢


「やばい、何も見えなくなってきた……」


 真っ暗闇の中、二人は手探りで階段を登る。

 自分の手すら見えない程の暗闇でお互いの位置を確認できているのは単純にお互いの手を握って逸れないようにしているためだ。


「ライトは点けないでよ。この辺は30ルーメンもしくは4カンデラ以上の光を発する道具を使用すると1日ぐらい機能が停止するから」

「るーめん? かんでら?」

「……変に明るいものを使わないでって話」


 この街TOKYOには様々な種族や体質、特性を持つ者が存在しており、それぞれの事情に合わせた居住区が存在する。

 丁度二人が今いるこの区画には“夜行性”や“光過敏”などの光を苦手とする者が多く暮らしているため、一定以上の明るさの光を放つ道具が禁止されているのだ。


「ねぇ、道ここで本当に合ってるよね?」

「合ってるはず。一応“蜂”で確認してるけど、ここ暗い癖に入り組んでるから時々心配になるのよね……」

「せめて私のゴーグルが正常に働いてくれてたらなぁ……」


 エマが悲しそうに呟く。

 実は彼女、つい最近ゴーグルの機能を弄った際にプログラミングを失敗してしまったようで、本来使用できたはずの暗視機能が起動できなくなってしまっていた。

 暗視さえあれば光源がなくとも問題はない。逆に言えば、彼女が暗視機能を起動できなくしたせいで現状の問題が発生しているというわけだ。

 それに加え、ついさっきまでその失敗に気づいていなかった彼女は意気揚々と暗視を起動しようとしたため、恥ずかしさと情けなさからかなり気分が落ち込んでしまっていた。


「絶対それフラグ管理ミスってるのが原因でしょ。というか機能を弄った後はちゃんとテストをしなさい」

「新しく入れた機能が動いたのを確認して満足しちゃって……」

「まぁ、気持ちはわからなくもないけどねぇ……

……あーもう。ほら、帰ったら私が手伝ってあげるから、いい加減そんなじめじめしてないでちゃんと歩いて───」

「えっ、百蟲ちゃんが手伝ってくれるの? 本当に!?」

「え、えぇ……何よ急にそんな驚いた声出して」


 百蟲としてはなんとなく慰めるつもりで言った言葉にエマが予想以上の食い付きを見せ、思わず足を止めて振り返ってしまう。

 しかし百蟲が気づいていないだけで、エマの反応も当然のものだった。というのも百蟲は、探検家としてデビューする前から非常に有名な発明家だったのだ。

 通常はデビュー後に付けられるはずの“異名”も既に呼ばれ始めており、多様な虫型の装備を作る『』と呼ばれていた。

 エマはこの街に来た時期の関係上デビュー前のことは噂でしか知らないが、それでも日頃から彼女の作る装備を見てきている。そのためエマは、密かに装備製作者としての憧れを感じていたのだ。


「やったー! 今から楽しみだな〜」

「そう……まぁ、いつも通りに戻ったんならいいか……」


♢♦♢


「えほっ、こほっ……ここけむだーい」

「ほんとね……」


 今度は煙だらけの区画で、顔を袖にうずめながら壁に手をついて移動する。

 周りの景色が見えない程に煙が濃くもはや一種の霧のようになっているため、手を繋いでいなければお互いの位置もすぐに見失っていただろう。


「ここもなぁんも見えなぁい……ルートこっちで合ってぶっ!?」

「ちょっと、だいじょ───いっつぁ!?」


 二人して同じ場所で頭をぶつける。

 とはいえ二人には身長差があるため、百蟲がひたいをぶつけ、エマは鼻と顎をぶつけた。エマの場合、もはや頭というよりは顔面である。


「~~! ───こんなとこさっさとぬけよう!」


 エマはひたいのゴーグルを目元まで下げ装着すると、百蟲の手を引っ張って小走りで動き出す。

 ところどころゴーグルでも処理しきれない煙で頭や肩などをぶつけながらも、二人は早めにその区画を脱出した。


「っはー! なんとかぬけたー!」

「うわルートとは正反対の方向に来ちゃってる……これじゃかなり遠回りになっちゃったかも」

「ん~仕方ない。あれ通るのは無理!」


 実際、視界が封じられると人間は真っすぐ進むことすら難しくなる。

 ホワイトアウトが起こった際に動かない方がいいとされるのは、真っすぐ進んでるつもりでも実際はズレてしまっており、最悪同じ場所で回ってるだけになったりすることもあるためだ。


「ルート修正しなきゃ~……なんか、段々間に合うか怪しくなってきた気が」

「予定でも一時間半ぐらい余裕はあったし、まだ40分ぐらいしか遅れてないから大丈夫でしょ。とはいえ、急いだ方がいいかもね」

「だねぇ。大丈夫かなぁ……」


♢♦♢


「ねぇ、これ本当に大丈夫?」

「……なんてタイミングの悪い……」


 項垂れる百蟲の顔に、エマが覗き込む。

 真っ直ぐ進むだけであり、比較的安全だと思っていた道に到達した彼女たちだったが、なんと運の悪いことにその道は『大規模工事中』と書かれた巨大な看板で塞がれてしまっていた。


「道路部分が通っちゃいけないだけで、両側の建物の屋根部分は通ってもいいみたいだけど……」

「危険ね。屋根の通行許可が出てるのは屋根で死ねば工事の邪魔にならないからよ」

「えっ安全だからじゃないの!?」


 驚きのあまり大きな声をあげて振り向く。

 それに対して百蟲は特に何を言うでもなく、淡々と頷いた。


「別に死んだところで十数秒ぐらい死体が残るだけだし。

 邪魔になる以外の問題はないわ。あ、ほら。現に死人が出てる」

「うわー!?」


 百蟲が指をさした方向に目を向けると、丁度名も知らない誰かが飛んできた瓦礫の破片に撃ち抜かれ吹き飛ぶのが見えた。


「……まぁ、別に。死んでも蘇るから気にしてる人は少ないみたいね」

「“死んでも蘇る”は安全を度外視していい理由にはならないよ!?」

「なっちゃうのよ。少なくとも、この区画ではね」


 百蟲は会話しながら、工事の行われている区間の情報を地図と照らし合わせて確認している。

 大規模工事と言うだけあって、ここから真っすぐ3kmほどをまるごと工事区間に含んでいるらしい。迂回するにはあまりにも範囲が大きいと判断した彼女は、自身の装備を見直し始めた。


「エマ、貴女今あの高速移動するやつって装備してる?」

「あれブーツの機能だから今も使えるよ?」

「なるほど……うん、これならいけるかも。

 エマ、私のこと背負って走ることできる?」

「えっ? うん、できると思うけど……」

「そう。じゃあ移動はお願い。私が瓦礫を防ぐから、屋根を駆け抜けるわよ」


 言うが早いか、百蟲はさっさと屋根へ飛び乗る。


「え、ちょ、危ないんじゃないの!?」

「私が危険なものに危険なまま挑むと思う? 私と貴女の装備なら大丈夫よ。

 数分程度で駆け抜けれるでしょ」

「え〜? まぁ百蟲ちゃんが言うなら信じるかぁ」


 壁を伝い、エマが屋根へ歩く。

 ゴーグルを装着した彼女はコートを少しだけ整え、屈んで背中を百蟲へ向けた。


「今気づいたけどこれ、おんぶの形になるね」

「あ〜……まぁ、それが一番安定感あるし仕方ないか……それじゃ乗るわよ」

「ん、どうぞ───ってうあぉっむぁ!?」


 百蟲が背中に乗った瞬間、あまりの重量にエマはバランスを崩す。

 なんとか気合いで持ち堪えたが、大人二人を抱えているような重さで屈んだまま立ち上がることができない。


「ま、待っで……おもい……」

「あっごめんなさい。重力操作で重量緩和するのを忘れてたわ」

「っおぁ。ふ〜! 潰れるかと思った〜!

 というか、前も思ったけど百蟲ちゃん重すぎない!?」

「ごめんなさいってば。まるで私が重いみたいな言い方やめなさいよ!」

「いや重いよ!?」

「私じゃなくて装備が重たいの! それに装備を含めても120kgぐらいなんだからまだ良い方でしょ!」

「120kg程度ならまぁそうだけど百蟲ちゃんは小さいから余計に───」

「───今すぐ解除しても良いのよ?」

「ごめんなさい今度こそ足が潰れちゃう」


 百蟲の地雷に足をかけそうになったところで踏みとどまる。

 前にを発言した友人が八つ裂きにされたのを見たエマはしっかり学習しているので、同じ轍を踏まないよう即座に本題へ移ることにした。


「それで、ほんとに私移動だけでいいの?」

「えぇ、貴女はただ走るだけ。そして私も防ぐだけ。

 全然いつでも良いわ。好きなタイミングでどうぞ」

「そう? それじゃ行くよ〜……《高速回転はしれ》!」


 エマの宣言に反応し、彼女のブーツに内蔵された回路が青く輝き始める。

 モーターの回転する音を鳴らしながら、彼女は稲妻の如き速度で駆け出した。


 看板を超えると同時に視界には飛び交う瓦礫と動き回る重機が飛び込んできた。

 触れれば間違いなく一撃で即死する。運よく即死を免れても肉体の大部分が衝撃で消失するのは避けられないだろう。そうなれば生身の人間は疎かたとえ全身を改造したサイボーグだろうが長くは保たず、つまるところ“死亡”する。


 別に多少の障害であればエマ一人で対処できる。ゴーグルを装着していればある程度の処理はゴーグルが行ってくれるため、後は演算内容を元に判断しルートを構築すれば良いだけだ。

 しかし今回ばかりはそうもいかない。瓦礫の量も重機の数も多すぎる。いくらゴーグルの補助があっても避け切るには無理がある。


───だからこそのだ。


「《黒堅象蟲クロカタゾウムシ増殖ブリーディング》」


 エマと同じ方法で、されど正反対の声色で装備を起動する。

 エマや美来と色違いのコートから現れ、エマと百蟲を囲うように展開する大量の蟲。小さなそれは一匹一匹が彼女の装備であり、見事な動きで網状の防御膜を形成した。

 その名は金属の針すら通さずに歪曲させるほどの硬さを誇る「黒堅象虫クロカタゾウムシ」から名付けられており、いかなる攻撃も弾いてみせる堅牢さを持つ。

 網状に展開されたソレは、一点集中で崩されるか振動など硬度が意味を持たないような攻撃以外では基本的に受け止められない物はない。

 この場においてソレらに当てはまる障害は存在せず、それはつまり完璧な防御であることを意味していた。


 とはいえ衝撃まで受け止められるわけではない。大きな瓦礫が直撃して体勢を崩せば屋根から落下する可能性がある。屋根から落下した場合は工事の邪魔と判断され即殺される(されなければならない)ため、それだけは避ける必要がある。

 だからこその『高速回転』。エマの使用するソレは高速で移動するだけが機能ではない。慣性を殺し急加速や急停止を行うことも可能であり、ゴーグルとエマの動きが組み合わさることで攻撃にも回避にも利用可能な精密動作が行えるようになる。


「わっおぅ危ない!」

「前だけ見て。他は私で対応できる」

「おっけー信じるよ!」


 右へ左へ、時々立ち止まりながら縦横無尽に駆け抜けるエマ。

 一方、百蟲は正面以外から迫る瓦礫の中で衝撃を受け止められないほど大きい/速いものだけを的確にいく。

 最初こそ少し危ない動きもあったエマだったが、正面にのみ意識を向けることで今度はいたって余裕そうな動きへ変わった。


「よっ───前、ゴール見えたよ!」

「そのまま駆け抜けて。脱出したらすぐに停止!」

「りょうかいっ!」


 3分ほど走り、遂に最終局面ラストスパート

 焦らず逸らず油断せず、着実に距離を縮めていく。


「あっまずーい! ちょうど出口におっきな瓦礫ー!」

「私がなんとかする、避けないでいい!」

「えぇっ!? 信じるよー!?」


 百蟲の指示通り、最後の障害へ怯えることなく突撃する。

 ゴールと瓦礫への残り距離が5mを切り、しがみついていた百蟲がエマの背中を蹴って飛び出した。


「───《蟷螂カマキリ》!」


 百蟲の両手から鎌が現れ、刃が光り始める。

 彼女がその鎌を振り下ろすと、20cmほどだった刃渡りが拡大し、2mほどの瓦礫を一撃で両断した。






「到着ゥ───ッ!」


 瓦礫の間を綺麗にすり抜けたエマが看板を乗り越え、地面へ着地する。

 少し遅れて、宙を舞いながら百蟲も到着した。


「いやー楽しかったね!」

「え? あ、えぇ。楽しかったわね」


 エマの笑顔に、百蟲が少し照れながら返答する。

 無意識の照れ隠しか、髪の毛を弄りながら地図を触り出してしまった。


「どう、これで間に合いそう?」

「えぇそうね、元々の遅れ分を加味してもあと20分ぐらいは余裕があるわ。

 目的地自体はここの角を曲がったらすぐだから、全然問題な───」

「ぉん? 百蟲ちゃんどうしたの固まっちゃって───わぁおぅ」


 もうとっくにゴールした気分で角を曲がった二人は、そこで見た景色に唖然とした顔で立ち尽くす。

 空の見える地面、浮遊する足場、数秒毎に通り過ぎるリニアモーターカーと情報熱線。

 最終関門は先程の工事区域ではなく、比にならないほどの高難度で待ち構えていた。


「……これ、死なずにいけるかなぁ」

「は? え、冗談でしょ?」

「けどさ、これ越えないと行けなくない? 『ワンス・セカンズ』ってあそこのお店でしょ?」


 エマが地図を見せながら指を差す。

 その先には、地面と天井の丁度中間地点に突き出た、地面に対して90度回転した一軒家があった。

 周囲には似たような建物が点在しているが、地図の情報と巨大な数字のオブジェを見る限りでは、その一軒家が目的地で間違いないようだった。


「この角度じゃ見えないけど、周りの建物を見る感じ、多分下にドアがあるんじゃないかな?」

「あ〜……なるほど、そもそもこの区画が全体的に90度回転してるのね。だからあんな変に見える場所に建物があるわけで……

……うん。正式な入り口は別にあるみたいだけど、地図を見る限りじゃ迂回して行くには流石に遠すぎるっぽいし。確かにこれを越えないとダメか……」

「でしょ? それでさ、いい事思いついたんだけどさ」

「ダメよ。絶対碌なもんじゃない」


 自信満々の笑顔で提案しようとしたエマだったが、百蟲に出鼻をくじかれる。


「え〜!? いいじゃんいいじゃん、どうせ失敗したら終わりなんだし、どうせなら楽しもうよ〜!」

「たのしっ───はぁ〜……分かってる? 死んだらここまでの努力全部が水の泡になるのよ?」

「勿論!」

「───(ほんと、笑顔だけは満点なんだから……)

……いいわ、乗ってあげる」

「ほんと!?」

「ただし! これで死んでも文句なしだからね!?」

「はーい!」


 なんとか覚悟を決めた百蟲が、エマから作戦の概要を聞いて頭を抱える。

 そのまま10秒ほど葛藤した後、呆れたような顔で頷いた。




「それじゃあ、次リニアと熱線が過ぎたタイミングね」

「うん! ブレーキは任せたよ!」


 先程と同じように、百蟲を背中に抱えてブーツを起動する。

 違うのは、防御手段を用意していないことだ。


「───来たっ!」


 リニアと熱線が同時に過ぎていったのを確認し、彼女は全速力で駆け出した。

 最高速まで即座に加速した彼女はそのまま空中へ飛び出し、重力の方向を目的地へ向ける。

 これであれば減速は起こさない。新しいリニアが彼女の頭を掠めていったが、なんとかギリギリで通り抜けることに成功した。


 問題はその次。彼女の『高速回転』は確かに急停止や急加速を得意とするが、それはあくまでも地上での話であり、空中では速度の調整は行えない。

 この速度のまま落下すれば、いくらコートに衝撃吸収機能があるとはいえ全身複雑骨折は免れない。そうなれば当然死亡してしまう。


「見えた、《蜘蛛クモ鬼蜻蜓オニヤンマ》!」


 そうならないよう、百蟲が浮遊する足場に向かって糸を射出する。

 射出された糸は蜘蛛の巣のように広がり、二人を受け止めるネットに変化した。

 衝撃を殺すための策だが、これだけではまだ身体にかかる負荷が重すぎる。

───そのための『鬼蜻蜓オニヤンマ』。彼女の背中から生えた機械のはねが羽ばたき、緩やかに落下速度を落としていく。


「んぬぅぅぅうううううううう!」


 蜘蛛脚を絡め、必死にエマを引き上げる。

 時間にしてわずか数秒。その数秒に全力をこめて、なんとか二人は無傷での停止を成功させた。




「………………ドキドキした〜!」

「はぁ、はぁ……相変わらず呑気ね……」

「ごめん百蟲ちゃん! 本当にありがとうね!」


 百蟲が糸を解除し、二人はゆっくりと地面に着地する。

 なんとか閉店前に到着できたことに安堵しながら扉を開けると、中々ショッピングモールなどではお目にかかれないような精密機械と、絶賛手作業で製作中のサイボーグが現れた。


「あん? あぁ、お客さんか。いらっしゃい。うちは精密機械専門だよ」

「失礼します。実はちょっと探してる商品があって……」

「あぁ? おぉ、これか。今ちょうど在庫切らしててなぁ……」

「そんなぁ!?」

「心配すんな、在庫なんてある方が珍しい。今から作るから、少し待っててくれ」

「ほんとですか!? ありがとうございます!」


 エマから話を聞いた店員サイボーグは店の奥から材料を取ってくると、さっきまで行っていた作業を中断して新しく製作を始めた。

 店員に話しかけるのも悪いかと思ったエマは、後ろで陳列されてある商品を眺めていた百蟲の方へ歩いていく。

 と、ちょうどそのタイミングで彼女の手袋に電話がかかってきた。


「あれっ? 師匠だ。はい、もしもーし」

「もしもしエマ〜? 百蟲ちゃんもいる〜?」

「え? あ、はい!」


 安堵からか気を抜いていた百蟲は突然美来に話しかけられ、上擦った声で反応する。

 恥ずかしそうに顔を赤らめていることに気づいたエマだったが、彼女の名誉のためそれは黙っておくことにした。


「どう? 無事に着けた?」

「はい、なんとか」

「途中死にかけたりしたけど、百蟲ちゃんが助けてくれた〜」

「うん、正解だったね。商品は?」

「今作ってもらってるとこ。どれくらい掛かるかは分かんないけど……」

「それなら心配ないね。私は予定より終わったから作って待ってるよ」


 美来の声色から研究発表会が上手くいったことを察したエマは、今夜の食事は少し豪華になりそうなことを予想して笑みを溢す。

 目的も達成し帰宅後の楽しみもできたエマは上機嫌で百蟲を抱き寄せ、驚いた百蟲は硬直してしまった。


「はーい。百蟲ちゃんも一緒でいいよね?」

「えっ!? いやいやお昼もご馳走になったのに夕食もなんてそんな」

「勿論いいよ。夜だしパフェにしようか」

「すいませんサラダでお願いします……」

「なんでぇ〜?」


 何故か毎回断られる提案に疑問を浮かべる美来だったが、彼女の作る甘味は異様なほどに甘過ぎるため、その反応は当然と言わざるを得ない。

 これに関しては彼女のことを尊敬する百蟲でさえもそうなので、これから先もその提案が受け入れられることはないだろう。


「まぁいいや。それならわかったよ。じゃあまた後でね。

 帰りも気をつけなよ〜」

「はーい! ……あえ?」


 最後に一言残して電話が切れる。その一言で、上機嫌だったエマと緊張していた百蟲は素に戻り、忘れていた事実を思い出した。






「「そういえば……私たち、こっから帰らないといけないんだった……」」




───二人の“おつかい”は、まだ始まったばかりである。

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