第5話 未知の旅立ち
予想外の「クマムシ」の登場に、西野が驚きの声を上げた。
「あの、世界最強の生き物クマムシ!エイリアンはクマムシだったのか!というよりクマムシが元からエイリアンだったのか!」
「いや、どうも、そういうわけじゃなくてね…」
日塚が言うと、奈津美が突っこんできた。
「何よ、クマムシって…」
西野が説明をする。
「クマムシは、1ミリもないようなちっちゃい虫なんだけど、休眠してる時はメチャ強くって、絶対零度の超低温から150度ぐらいの高温も平気。圧力にも耐性があって真空から、確か、75000気圧くらいまで耐えられる。放射線もへっちゃら。だから宇宙にすっ飛ばしてほっといても元気に帰ってくるんだ」
「何、そのすごい奴。それがここに入ってるの?つまり宇宙人が持ってきたんだね」
「いや、ちがうちがう…」
日塚が両手を振る。
「クマムシは地球の生物。ダークマターボールは、時空の壁を越えるわけだけど、そこに俺たち有機体の意識をゆだねるためには、あらかじめ、そこに生きた有機体を置きたいんだ。クマムシ自体がワープするわけじゃない。意識の置き場所として、そこに必要なんだ」
「ふう~ん………」
西野が納得しかねるような表情で言う。
「それでクマムシが選ばれたってことか。じゃあ、その中は、クマムシが何十年も生きられる環境になってるんだ」
「それで、どうするの?」
奈津美の問いに、日塚は、ガラスの饅頭に光を近づけて、つぶさに観察する。
「糸があるはずだ………ああ、これか、細いな」
髪の毛より細い糸が横に張りついていた。
「これを引っ張るとね。クマムシ君の世界とつながるらしいんだ。ただし、その前に色々やることがある」
日塚はそう言って、再び図面を広げ、指でたどりながら確認している。上を見上げると、丁度いい位置にフックがある。日塚は満足そうに頷いて西野に言った。
「ここに、例の着ぐるみをぶら下げてほしいんだ」
「えっ?さっきの奴?ほんとに使うの?」
「遠山さんの記述によると、ここにヒトガタをぶら下げろとしてある」
「ヒトガタ?」
「うん、着ぐるみとは書いてないんだけどね、人形と書いて、ヒトガタとルビがふってある」
西野はそのフックに、持ってきたピエロのような着ぐるみを吊るした。だらしなくぶら下がったそれは、とても役に立ちそうな物には見えない。日塚が言う。
「宇宙人タルポがこの世界に復活するためには、やはり何か入れ物が必要なんだよ。それが、これで間に合うのかどうかは、分からないけど。生きた肉体は使えないだろうしな…」
「死体は?」
「ゾンビ?」
奈津美が薄く笑って言う。でも気持ちが引いているのが目に表れている。日塚が、遠山さんの描いた絵を見せて言った。
「ほら、遠山さんの絵はこんな感じ。似てるだろ?」
そこには確かに、ぶら下がった人間のようなものが描かれてある。しかし、西野が注目したのは、それではなかった。
「おい、この下に倒れてる人間たちは何?」
ぶら下がったヒトガタの下に、横向きに倒れた三人の人が描かれている。妙な形に手をつなぎ合って。
「ああ、それは俺たちかな……」
日塚は努めて冷静を装って答える。西野は眼鏡の奥から鋭い視線で日塚を捉える。
「どういうことなんだ、なんで、俺たちとピッタリ同じ三人なんだ。生きてるのか、死んでるのか…」
「タルポを出現させるには、必ず俺たちもダークマターボールの中に入らなければならない。一人の力では弱い。三人で力を合わせる必要がある。そして、そのためには、ボール内部からの働きかけに“同期”することが絶対条件なんだ」
「同期?データを共有するみたいな?」
「そんな感じかな………とにかく、遠山さんの場合、この世界から出たいと思った。その時に、ボールの中から、その世界から出て、こちらへ来いという働きかけがあった。遠山さんは、それに頷いたんだ」
「それが同期だろうか?データは何処にある…」
「宇宙人と地球人の間に、データの交換はない。少なくとも今は…」
「じゃあ、最後は感情論かな。俺たちの感情には波長があるからな…」
「波長………」
奈津美はつぶやいて、日塚と西野を交互に見る。二人の背後には、真ん中に置いたランタンの光を受けて大きな影が伸びている。二人がいるから、この暗闇も恐くはない。でも、これから自分たちがしようとしていることに、限りなく不安を感じた。
「ね、ねえ……」
奈津美が問いかける。
「さっきは、ボールを開ける話だったじゃない。それが、なんで、ボールに入る話になってるの?」
「遠山さんが書き残した文書によると、ボールへの働きかけは、外からだけでは出来ない。とにかくボールの中に入らなければ、何も出来ないんだ…」
「不安だよね」
西野が奈津美をフォローする。
「そこに何があるのか、どんなことが起こるのか、何も分からないもんな」
日塚が手にしたライトで、持ってきた紙を照らしながら読み始めた。
「タルポは私に、自分を目覚めさせる方法を教え、それを書き残すように指示した。
そして驚くべきことを言った。『私が次に目覚めるのが何時なのか、それを私は知らない。すべては既にプログラムされている。その時が来れば、私は目覚めることになる。お前は、その準備をしなければならない。そして、私を目覚めさせるのは、別の人間だろう。大事なことは、私を目覚めさせるその人間も、必ず、この玉の中に入らなければならない』だってさ…」
「その別の人間って、俺たちのこと?俺たちのことが予見されてるのかな…」
「それ有りかも…とにかく、ここから先は、俺を信用してくれるかどうかなんだよ」
「お前を信用するんじゃなくて、遠山を信じるかどうかだろ?その妄想人間を」
日塚は、黙って手の上に、ガラスの饅頭を乗せて見せた。
「この信じられないほど繊細な物、妄想だけで、こんな物が作れるわけがない。……そうだろ?」
西野は何度も首を振ってからつぶやいた。
「何も、起こりっこないよ」
「そう、何も起こりっこない。実は俺もそう思う。そのくらいの気持ちで協力してくれたらいいよ」
「でも、具体的にどうするの?」
奈津美が訊いたので、日塚は、また別の紙を見せた。
「これが、上から見た図………」
そこには、三人の人間が足を三方向に向け、互いの手首をつかみあっている図が描いてある。西野が紙を手にして、再び首をひねる。
「なんで………なんで三人なんだろう。どうしてここまで、俺たちのこと予見されてるんだ?」
「まあ、そこは偶然だろう」
「これは、遠山さんの考えなのか、それともタルポの指示なのか、どっちなんだ」
「タルポが自分の頭の中に働きかけてきた通りに描いたと、遠山さんは言ってる」
「なるほどね………」
西野が、少し諦めの表情になってきた。日塚は、さらに西野の反応が変化するのを待っている。
「どうする?」
「まあ、ここまで来て、何もせずに帰るという選択はないな」
日塚は頷いて奈津美の方を見る。奈津美は何故か表情を曇らせ、眉根を寄せて見せる。日塚があれれと思ってると、急に顔を上げて笑顔に変わり、瞳を輝かせた。
「やろ!」
ここからは、遠山さんの描いた絵の他に何の情報もない。三人は、絵に描いてある通りに体を置いてみた。
まず、日塚が、ガラスの饅頭を右手に握り、その腕をたたんで手枕にし、足は日塚が真北に向け、奈津美は南東、西野は南西に向ける。三人が正三角形を作るような形になる。それぞれ左手を頭の上に伸ばし、日塚が奈津美の手首を、奈津美が西野の手首を、西野が日塚の手首を握る。ここで日塚が、「しまった」と言って起きあがる。
「この饅頭の糸を抜いておかなきゃ」
日塚が慎重に糸を引くと、饅頭の底から糸はするりと抜けた。何が起こるのかと、三人は見守ったが、何も起きなかった。空気もガスも出ない。色も変わらなかった。
三人は、再びさっきのポーズを作ってみるが、何ごとも起こる気配はない。これでどうなるんだ?という空気になる。西野がつぶやく。
「遠山さんは、その時、この世界から出たいと思った。その思いが、タルポの働きかけと一致した、とか言ってたよな………」
「そう………」
「じゃあ、俺たちは、何を考えたらいい?」
「タルポに会いたい」
奈津美の意見。次に西野の案。
「ダークマターに入りたい」
「三人揃わなきゃな」
日塚が言って、奈津美が小声ながら強く主張する。
「やっぱりタルポだよ」
「そうだな………」
ともかく三人の意見が一致した。その後しばらく静かな時が流れる。三人それぞれが「タルポに会いたい」と繰り返し念じているらしい。しかし、そもそもタルポの具体的なイメージがないので、集中力が続かない。少しして西野が言う。
「なんか、違うな………」
日塚が腕をほどき、むっくりと起きあがった。
「明かりを消してみよう」
日塚がランタンの灯りを消し、ペンライトの光を頼りに、三人は、先ほどの姿勢に戻った。ペンライトを消すと、そこは真の闇に落ちた。目の前にある自分の腕すら見えない。感じるものは、それぞれの左手が握っている相手の手首の感触だけ。そこで少し前から、三人ともに感じてることが一つだけあった。手首を握る自分の親指が、丁度相手の親指の下、脈拍を感じる部分に当たる。相手の脈動が、ダイレクトに自分の親指に伝わってくる。三人とも初めは動揺して、脈拍が乱れていた。でも、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。そして、闇の中にドックドックと響いてくる脈動が、自分の中に刻まれるリズムとも一致してくると、いつしか自分たちがひとつになってくることを感じた。
真の闇の中で、自分の全身に、そして手をつなぎ合った仲間に、同じひとつの脈動だけが響く。それは不思議な感覚だった。自分が生きている命の
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