麻薬工場の戦い
さらに三十分ほどジャングルの道を走ったところでおれたち四人は下車した。
といっても、まだ目的地の麻薬工場に着いたわけではない。敷地正面の入口まで、直線距離にして残り約二百メートル。しかし、まさかその入口に直接車を乗りつけるわけにはいかないだろう。目立たない位置に小型のジープを停め、工場敷地の横手に回り込むように深いやぶへと踏み込む。
地図代わりのスマホを手にしたルナを先頭に、おれたちは黙々と歩を進める。四人とも長袖長ズボンで、自然のなかに溶け込めるよう配慮したいでたち。ただ歩いているだけで全身を汗が滝のように流れ落ち、たちまち意識がぼうっとしてくる。
何気なく手近な岩の表面に片手を突こうとして、そこにプロレスラーの手のひらくらいあるクモが張りついているのを見つけ、ひゃっと叫んで身をのけぞらせた。すぐ前を行くザジが厳しい顔つきで振り返る。
「ヒデト、あまり大きい声を出すな」
「わ、悪い」
先頭のルナも振り返っておれの視線をたどり、
「ヒデトってクモ苦手だったっけ?」
「クモだから驚いたんじゃないんだよ」
「それにしても、思った以上に陽射しがきついわね。日焼け止め効かなかったらどうしようかしら」
うしろでシェリファもうんざりしたような声を上げるが、この状況で肌の心配ができるのはある意味たくましい。
「地図を見る感じ、そろそろのはず……ああ、ここだここだ」
ルナが足を止めたので、おれたちもその背後から前方の様子を窺った。
「この地点が麻薬工場の外縁に当たるんだ。見てごらん、トラップ用の電線が張ってあるでしょ」
彼女の指差す先を見れば、確かに足もとの茂みに紛れるように黒いワイヤーのようなものが横切っている。
「シェリファがカーマ氏から聞き出したところによれば、張られている電線は全部で三本。こことここと、あとそこだね」
「違うわ、ルナ。電線は全部で四本よ」
「あれ? そうだっけ」
「おい、怖い勘違いはやめろよ」
おっかなびっくり電線をよけながら奥へと進む。要領としては金庫の赤外線センサーと同じだが、緊張感がけた違いである。
工場の敷地に入ると草木の密度が減り、比較的歩きやすくなった。敷地の総面積はおよそ一万平米。獣道を行くうちにやがて一棟の建物の影が見えてくる。
背の低いプレハブの一階建てである。通気性のためだろう、出入口や窓がかなり大きくとられており、建物というよりあずまやのイメージに近い。教室くらいの広さの空間に、巨大なタンクがずらりと並んでいる。
ガラスのない窓から頭を突き出し、なかの様子を窺う。
「ざっと見た感じ人の気配はないが、いかんせん物影が多すぎるな。どうだヒデト、なにか聞こえるか」
小声で尋ねてくるザジに、おれはそっと首を横に振る。
「いや、どうやらここは無人みたいだ」
「外れか……ほかのところを当たろう」
敷地の外縁に沿って小道を移動する。次に見えてきたプレハブはもう少し大きかった。
「ここは……どうやら工員の宿舎みたいだね」
ルナの見立てにおれもうなずく。やはり通気性のよい屋内には、色とりどりの布で作られたハンモックがいくつも吊り下がっていた。しかし、ここも人の気配は皆無で、建物の周囲は不気味に静まり返っている。
――いや。
「どうするの、ルナ。こんな四人固まって一軒一軒回るやり方じゃまだるっこしいわ」
「そうだなあ、いっそ手分けするか……」
おれは鋭く囁いた。
「みんな気をつけろ!」
素早く振り返ると頭上すぐのところに、黒い豆粒のようなものが浮いていた。おれの目を追ったザジが呆れた声で、
「なんだ、ただのハエじゃねぇか。驚かすなよ」
「……いや、違う」
宙に浮くその物体から、おれは視線を外せなかった。小さな黒色のボディーの中央で、丸いひとつ目がきらりと光った気がする。
次の瞬間、耳をろうする銃声が響き渡った。とっさに身を屈めながら、おれは音の出所を見る。
「いたぞ!」
宿舎の建物の角にひとりの男が姿を現したところだった。構えた拳銃の銃口から、細い硝煙が立ち昇っている。
「走れ!」
ルナのひと声とともに、おれたちは一斉に駆け出した。背後から断続的に上がる銃声に混じって、「まてっ!」という怒声が追いかけてくる。
――くそっ、完全に機先を制された!
走りながらおれは歯噛みする。
先刻おれたちのそばに浮いていた黒い豆粒、あれは超小型のドローンだったのだ。敷地内の監視のために巡回していたのだろう。連中、原始的な施設の構えに見せかけて、最新鋭の設備を導入している。
全速力で逃げるが、状況が悪化の一途をたどっているのは肌で感じられた。果たして、どやどやと気配が迫ってきたかと思うと、前方に何人もの男たちが現れる。宿舎で遭遇したのと似たようないでたちで、その手には一様に小ぶりなマシンガンが握られている。
「横によけろ!」
ルナの叫びに応じて、おれたちは今度は横手の地面に身を転がした。猛獣の雄叫びのような掃射音が世界を震わせる。
なんとか体勢を整えつつ、おれは手近なやぶに飛び込む。視界の端には草をかき分けて進むザジの姿がある。少年の目立つブロンドの頭を頼りに、おれはしゃにむに走る。
銃撃音はなおも聞こえるが、それほど脅威的な距離ではない。幾分心の余裕が戻ってきたおれは、そのことによって新たに不吉な予感に襲われる。やぶを抜け、別の小道に出たところで予感は決定的なものになった。
「おい、ルナとシェリファは?」
かたわらのザジに尋ねるが、彼は走りながら首を横に振る。
「分からん! さっき連中に挟まれたとき、別の方向に逃げたらしい」
ぞっと冷たい感覚が身体を這い上がってくる。
――ルナたちとはぐれた。こんな最悪の状況で。
「ばか! おれたちが戻っても意味ねぇぞ」
思わず足を緩めそうになるおれにザジが叱責を飛ばす。
「……くそっ!」
悔しいが、彼の言うとおりだ。おれは歯を食いしばり、前だけを見据えて走る。
昔、誰かが言っていた――チャンスというものは、常にピンチとともにやってくると。
おれたちは同時に足を止めた。耳のいいおれはともかく、ザジまでがそれに気づけたのは意外だった。
おれが視線を向けると、少年は慄くような、それでいてどこか歓喜に打ち震えるような、獰猛な笑みを横顔に浮かべている。
「なァ、ヒデト。どうやら今度こそ、おれたちは大当たりを引いたみたいだぜ」
「……あぁ、そうだな」
いやに冷厳な風が、木々の狭間の静寂を吹き抜けた。
前方の茂みから人影が現れる。
がっしりとした長身。よく日焼けした彫りの深い顔に、無造作に束ねられた長髪。黒いタンクトップから伸びる、巨大な筋肉の盛り上がった左腕のその手首の辺りに、世にも奇怪な生き物のタトゥーが彫られている。
猿の頭に狸の胴体、虎の手足、そして尾は蛇の――
「……ヌエ。やっと会えたな」
囁くような低い声でザジが呼びかける。
ブルックリン橋でおれたちを襲った男は、淡白な無表情のまま口を開いた。
「よくここまでたどり着いたな。〈ボトルムーン〉の少年たちよ」
「てめぇ……おれたちのことをどこから聞いた」
精いっぱい凄んでみせるおれに、ヌエはあざけるような薄笑いを浮かべ、
「他愛ない。おまえたちはしかけられた罠のなかに、のこのこ入り込んできた哀れなウサギなのだ」
「なに? おい、それはどういう」
追及しようとするおれのかたわらで、ザジが一歩踏み出した。
「御託は不要だ、ヒデト。おれに行かせろ、こいつはここで仕留める」
おれが返事をするより早く、身構えたかと思った少年の影が弾丸のように飛び出した。勢いのまま振り抜いた拳が、一直線にヌエの顔面を狙う。
敵もさるもの、まったくの予備動作もなく、紙のような軽やかさでザジの突きをかわす。もっとも、今回はそれくらい彼のほうでも想定済みだ。
「なんの!」
鋭く振るわれた右の裏拳が男の顔を重ねて狙う。
ところがそのとき、ばちっという異音とともにザジの動きが止まった。よく見れば彼の右腕に向かって突き出されたヌエの左の手のひらで、小さな電極が青白い火花を散らしている。
「てめぇ……卑怯、だ……」
みるみる力が抜けていったザジの小柄な体躯を、まるで幼子にするようにヌエは太い腕で抱き留める。
「きさまっ!」
叫んで動き出そうとしたおれの後頭部を、がつんと強烈な衝撃が襲った。
急速に薄れていく視界の真ん中で、ヌエの黒く大きな影が妖しく揺らぐ。
屈した膝が柔らかい土を感じた。ジャングルの濃密な匂いが、おれの思考を濁った霧で閉ざしていく――
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