第2話 ただいま

 春風が吹き抜け、桜の花びらが舞い踊る時期。


 日本のどこかにある、七階建てマンションの三階六畳の洋室が二つ、和室が一つある角部屋。


 玄関からダイニングにリビング、トイレやお風呂、そして各部屋に至っても、モノクロに統一されており、埃もない。


 そんな清潔感の漂う部屋の中にパリパリといった音が響く、その直後――。


 バリッ! とひときわ大きな音が鳴り、同時に空間が歪みと亀裂が入る。


 そこから、勇者一行が姿を現した。


「ただいまー! って、当たり前やけど誰もおらへんね……でも、落ち着くわー……」


 久しぶりに戻った我が家に、安堵の表情を浮かべるのは、絵に描いたような冒険者の格好をし、背中にはルーテルア王国の紋章が刻印、ドンテツにより光の加護が与えられたバスターソードを背負った黒髪糸目の人物。

 

 この家の主であり、たった一年で最強の存在となった勇者、トールこと田中徹である。


 光魔法を纏った斬撃は瞬く間に魔族を一掃する。

 他にも転移魔法、次元収納を使いこなす異端児。


 好きな物は、子供の笑顔と平穏。

 嫌いな物は、魔王。


「へぇ……ここがトール様の住まいですかー。えーっと、ちょっとなんでしょうか、狭いですよね……ですが、清潔感があって好印象です」


 興味深そうに周囲を見渡すのは、エメラルドグリーンの髪にターコイズのような瞳。

美しく清廉な雰囲気を漂わせるエルフ族の王女カルファ。

 弓矢の名手であり、風魔法を纏わせた一張は容易に岩を貫通し、風魔法を纏うことで自由自在に空を駆けるのが得意。


 好きな物は、本や知識欲を刺激するもの。

 嫌いな物は、理屈で説明できないもの。


「いやいや、狭くはないだろう! 儂らドワーフ族の住まいより、天井も高いしの! 床なんてピカピカではないか……ほう、木に光沢のあるのう。さては何かが塗られておるな。これはニスか? いや違う……? いい腕だがもう少し光の反射を抑えた味のある感じが儂好みだな……」


 床に腰を落とし、建て付けや使用されている素材を真剣な眼差しで見つめるのはゴワゴワとした赤髪、立派な髭が特徴のドワーフ族、ドンテツ。


 普段は温和なのだが、戦となれば別人となり、その圧倒的膂力から繰り出される一撃は、まるで豆腐を切るように敵を両断し、得意としている土魔法は逃げようとした者を囲い逃げ場を無くす。


 好きな物は、鋼を鍛えた工芸品や建築物に酒。

 嫌いな物は、拘りのない物全般。


「出ましたね、ドワーフ基準……床に味とかどうでもいいんです。一番は清潔感と一緒に暮らす者達と適度な距離を保つことができるかどうかですからね」


「お前さん、こういう時はえらくつっかかってくるのう……毎回思うが、ドワーフ基準では不満か?」


「不満はありませんけど、貴方達ドワーフ族は元々、工房兼住居みたいなところに住んでいますからね。私達エルフとはあまりにも美的感覚が違うので申し上げた次第です」


「わざわざ……申し上げんでもよかろて。そもそも工房で油や鉄に塗れて鉄を打つ。これが儂らドワーフの生業だからの……森で風呂に入り本を読んでおればいいだけの、お主とは合わん」


「森で……? 本を読んでおればいい? はぁ?! 貴方それ本気で言っているのですか!? そんなことあるわけないでしょう? こんの髭モンジャラドワーフ!」


 痛いところを突かれたカルファは、ドンテツの胸ぐらを掴み揺らす。


 しかし、温和なドンテツは拳で語り合うことはせず、揺らされたまま、正論を口にする。


「ああ、本気だ! 普通に考えて世界の命運を賭けた戦いを前に本を読んで風呂なんてどうでもいいだろう? エルフ独自の美意識と世界。比べるまでもなかろうて」


 顔がブレるくらい、揺らしているというのに怯む様子もない。そう、それほどまでにこのやり取りは繰り返されてきたものなのだ。


 生活面での違いは、妥協点を見つけ踏み入らないこと。

 ドンテツはこの部分を理解している。

 なので、感性の違う者がいても、そこまでとやかく言うことはない。


 しかし、カルファは繰り返す。

 寧ろ、私生活の面で嫌悪感を抱くドンテツが全く動揺しないことが原因なのかもしれない。

 プライドのあるカルファにとってはだが。


「そっ……それだって、ドワーフ基準で判断しているだけでしょう?! いいですか!? エルフからすると、死活問題なんです! もしお風呂に入れなかったら、実力を発揮しきれないまま魔王に負けていたと思います!」


「なんだ、そのよくわからん理由。勇者一行の一人が風呂入れんだけで負けるって、ありえんだろう。大袈裟に言い過ぎだな。エルフが博識なのは認めるが……一般常識からはかけ離れておるの。というか、そんなお主だって、エルフ基準ではないか? そこのところどうなんだ? 頭でっかち博識エルフさんよ?」


「は、はぁ!? 何ですって? この髭モンジャラデリカシーゼロドワーフ!」


 論破に次ぐ論破を浴びて、更に強く速くドンテツを揺らす。もはやエルフの特徴である知的な部分はどこにもない。

 このままでは、さすがのドンテツも色んな意味で危うい状況になると考えたトールが、二人の間に割って入る。


「こらこら、そんなアホくさい理由で喧嘩せんとって。どこの世界に風呂事情で揉める大人がおるねん。それよりや、人んち来たら、することがあるやろ? 手を洗うとか――」


 あくまでも冷静にどちら状況を把握して、しっかり言わないといけないことを言う。

 これがトールの役目であり、さがである。

 

「んもう〜! そんなのどうでもいいじゃん! それより外、外に行こうよ! 色んな食べ物の匂いがするよ?」


 揉める大人達にうんざりといった態度で、鼻をヒクヒクと動かすのは獣人族の王の娘、チィコ。


 魔法は一切使用せず、その手に付けた鉤爪を獣人族特有の俊敏性と柔軟性を生かした戦いをする。


 好きな物は、歯応えのある食べ物。

 嫌いな物は、臭いがキツい物。

 

 転移して、いきなり言い合いから始まるといった行く末が心配になる幕開けだが、勇者トールを含めた一行の瞳は輝き表情も明るかった。

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