9話 コンコ「きみの成長、わたしの変化」


   △



「────はっ……? え、おれ…………えっと」

「あ……みぃ君、だいじょうぶ……?」


 よかった、目が覚めた……、っていうと、なんだか眠ってたみたいな言い方だけど。どこかいっちゃってた意識が、ようやく戻ってきたみたい……。


「ここ、うち……」

「う、うん。まんしょん?の鍵、預かってたから わたしが開けて……一応、みぃ君もここまで自分で歩いてきたんだけど、おぼえてない?」


今、わたしと みぃ君はマンション405号室の……なんて言うんだっけ、居間? 広めのお部屋の、真ん中に。

 広場のベンチで、固まって微動だにしなくなった みぃ君を見かねて、わたしが手を引きながら連れてきたんだけど……、

 

「おぼえて、ない……」

「……そっか」


 どこから……いや、どこまで憶えてるんだろう。

 ショックすぎて……ぜんぶ忘れちゃってたりするのかな。


 

「……………………キョーコ、さん……」


 ……なんて。そんなわけ、ないよね。

 みぃ君の口から小さく こぼれたその名前と、何かを反芻するような表情に、胸がつまりそうになる。

 


「みぃ君……ごめんなさい。 わたし、こっそり着いていってた。はなし、勝手に……聞いちゃった。その…………恋人さんとの、会話」

「ああ…………」


 憶えてるのなら、謝らなくちゃ。こんなことになるなんて、思ってなかったけれど……。


「ハハ…………かっこわるいとこ見られちゃったな」

「そんな……そんなこと、わたし、」

「あ〜あ!! フラれちゃったよ。 ま……ひとつ良い経験になったかな。実をいうと おれ、ずっと勉強ばっかしてた学生生活でさ。なんつーんだろ……お付き合いっていうの、付き合い方?勝手がわかんなくてさあ。慣れないことを張り切っちゃったモンだから、空回ってたんだなー……って言うのは、言い訳がましいか。いやあ、ダセーよなあ…………はは……」

「みぃ君……」


 困ったような笑みを作って、努めて明るく話そうとする きみの姿。その表情。その声は。


 ほんとうに……


「変わって、ないね……。」

「え……」

「みぃ君、おいで?」


 正座したまま自分の膝上をぽんぽんと叩いて、みぃ君のを見つめる。


「いや……おいで、って……?」

「ひざまくら、っていうんだよね。ほら おいで。よしよーし、って。してあげる」

「………………はっ?!?」


 目を見開いた みぃ君の頬に、かぁ、と一気に朱が差した。かわいい。


「え、いや……?! ひざ、まっ、はぁ!? なんだよそれ……!?いきなりっ、」

「コンコお姉ちゃんに、甘えてごらん?」

「なッ……!!? …………あっ、あの頃から何年経ったと思ってるんだよっ、もう おれは……っ!そんな子供じゃないんだって……!!!」

「まだ子供みたいなものだよ、わたしから見たら。」


 そう、流石に年季が違う。わたしにとっては、まだまだ子供。

 

「こちとら世界にうまれて100歳すら軽く超えちゃってる、ずっと年上のお姉ちゃん……。ううん、おばあちゃんなんだもん」

「………………いや、そういう話じゃ……」

「なんて、ふふ。」


 あれから何年も経ったけど。長い時間が過ぎたけど。それでも きみは。やっぱり、きみは。

 

「…………あの頃とぜんぜん変わってないよ。つらい事があった時も、なんでもない振りをして……こんなの別に平気だよって、まるで自分に言い聞かせるみたいに振る舞うところ」

「っ!!」

「そのくせに……わかりやすく顔に出るんだから。つらい、かなしい、くるしいよって。隠そうとはしてるけど、ああ、何かあったんだなって……。気の毒なくらい、下手っぴなところ。変わってない、ほんとうに。あの頃と、おんなじ……」

「…………っっ」


 でも。わたしは違う。あの頃とは、もう違う。

 今なら。今の、わたしなら……。


「ほら、おいで? ……あの頃は、ただ話を聞いてあげることしか出来なかった。でも、今のわたしなら。」


 もう一度、膝をぽんぽんと。


 

「ちゃんと。きみとおんなじ場所に居て……きみに寄り添って あげられる。」


「う…………、  で、も」

「みぃ君。」


 

 みぃ君が、すこしづつ。躊躇いながらも、近づいてくれる。

 わたしは、とうとう手の届くところまで来てくれた きみを……抱き込むように引き寄せて。少し強引に、ふとももの上に頭を寝かせた。


 少しクセのある硬めの髪の毛の上から、いつくしむように頭を撫でる。

 緊張が伝わってくるけれど。みぃ君は……抵抗せず、受け入れてくれる。


「わたし、こうしてあげたかった……。こうやって、ちゃんと 直接ふれて。きっと、きみがをしてた時は、いつだって。」

「………………はなし、聞いてくれるだけで。おれにとっては……充分だったよ。」



   △



『なにか あったの?コンコお姉ちゃんに話してごらん?』

『なにって、べつに……』

『わかるよ。みぃ君、我慢してる。』

『……そ、それより!今日は話してたアレやろーって、やくそく! っ、してたじゃん、だから…………』

『みぃ君?』

『ッッ……』

『だいじょうぶ。我慢しなくていいよ』

『…………………………な、んで……、』

『話すだけでも、すっきりするよ。……わたしには、それくらいしか。ただ聞いてあげるくらいしか、できないけれど……』

『………………っ! ぐ、…………ひっ、ぅ、お、おっ、おれ…………ふぐっ、グス……!』

『うん……。泣いちゃったって、いいんだよ。吐き出して全部、我慢しないで……』



   △



「………………キョーコさんは、初めて出来た彼女だったんだ。」

「うん。」

「美人で、カッコよくて、頼りになる先輩で……」

「うん。」

「でも、酒の席だとすぐハメを外しちゃったりしてさ……変に雑なところがあったり、どこか だらしなかったり。なんだろ、放っとけない一面もあるっていうか……」

「うん。」

「1ヶ月くらい前にさ、付き合うことになって。一体どうなるんだろって思った。内心、不安の方が強かったよ。最初から」

「うん。」

「……………………でも。 おれなりに、頑張ろうって……」

「うん……」

「頑張ったんだ。頑張ってた、つもりで…………っっ、だって、そうだ…………、 っ、だって!!!」

「うん。」


 声に、涙の色が混じった。

 それを聞いてわたしの手にも、思わず ちからが篭ってしまいそう。

 ぐっと、こらえて。ふわり優しく、ゆっくり頭を撫ぜる手は止めない。


 

「お゛れ……!! キョーコさんのごと、すぎなんだ………………!!!!!」

「っ…………、  うん。」

「ふっっっ、ぐ、う……! ヒっ、ず! う゛ぅううううう…………!!!」


 

 なきむしなのも、変わらないなあ。


 

「けふっ、ひグっ、ふう゛う……っ、ギョーゴ、ざん゛ん……っっ!!お゛れは…………っ、……!!!」

「………………。」


 胸の奥が、甘く痛む。

 きみが、わたしじゃない相手に……本気で恋してたんだって。その姿から、思い知らされて。


 

 …………くやしいって。思う。


 

 でも…………今。

 それでも、今。


 わたしは、今……。こうやって きみにれて、きみのつらさを、苦しみを、いくらかだけでも受け止めてる。

 わたしは、今。わたしが、今。確かに きみの側に居る。

 それだけで、わたしは…………。


(わたしは酷いお姉ちゃんだ)


 震えるように嗚咽をこぼす きみの頭を、いつまでも確かめるように手のひらでれ続けた。

 

 きみの泣き顔なんてもう、見たくなかったはずなのに。

 

『あの日』から、焦がれに焦がれた きみの体温。

 れている。こんなにも近い。わたしの肉体からだが、わたしという存在が、確かに きみを感じてる。

 ただの、たったの、それだけで……。


(だいすきな きみが、今、こんなだって時なのに……)


 ひどく渇いてた……あの日から、渇き続けていた心のどこか。

 それが今、泣き出しそうなくらいには……、

 

 満ち足りて しまって いるんだよ───。



 ・


 ・


 ・



 どのくらい時間が経ったろう。空の色がうっすら変わり始めた窓の外の景色に、わたしが目を向けると同時……みぃ君がモゾリと動いて姿勢を変えた。わたしの脚を枕にしたまま仰向けに……わたしの顔を、見上げるかたち。自然、わたしも視線を落として見つめ返す。涙こそ止まってるものの、目元を赤く腫らした顔で みぃ君は、少し照れくさそうに笑った。

「懐かしい、って思ったよ。こうして、泣いて、みっともなく、ぶちまけてさ……。おれの気が済むまで続くソレに、ずっといつまでも付き合ってくれて。」


 もう無理はしてない……どこか気が抜けたような、緊張のなくなった表情で みぃ君は続ける。


「───あらためて、本当に……コンねーちゃん、なんだな。 今更だけど、ちゃんと実感わいた感じだ」

「ふふ。わたしも……「あぁ、みぃ君だなぁ」って思った。からだはすっかり大きくなって、声もしっかり大人びたけど……それでもやっぱり、わたしの知ってる みぃ君だって」

「それは……中身ぜんぜん成長してないみたいで、なんだかなぁ……。まあ、久しぶりの再会で見せた姿がこんなザマだし。情けないなんてもんじゃなくってなぁ、もー……。よりによって、このタイミングでフられるかあ?」


 話題に触れてきたことに、少し ぎくりとしたけれど。今のみぃ君の様子を見るに、いくらかは……気持ちが整理、できたのかな。


「情けないなんて思わないよ。思ってない。その、ふられちゃったのも……わたし、みぃ君がダメなわけじゃないと思うっていうか。違うんじゃないかなって。きっと、みぃ君の良さが伝わってなかったっていうか。うん。………………そう! そうのじゃ、あのお姉さんに……見る目がなかっただけじゃないかな!?……そうだ。そうだよね?そのはずだもん、そうだよ きっと…………ふられるなんて、おかしいよ!!?」

「い、いやいや……」


 頭の中の何かがバチンと切り替わったように、突然カッと熱を帯びた。そうだ。みぃ君は振られてしまった。今更だけど、そうなんだ。コンのだいすきな みぃ君のことを振ったんだ。みぃ君が、振られてしまった。事情も何も知らないけれど、ぜんぜん納得いかないよ。なんだろ、なんだ、お腹が ぐつぐつ ムカムカと……!

 たぶん、いかりだ。これが、怒り……!初めてだって思うのは、肉の体があるからなのか。怒りだ、怒り! わたし、わたし、すごぉく腹が立ってきた!!コン、コーン!のじゃあ!


「なんか一方的に色々言ってたけど!わかってないだけだよ、ぜったい!みぃ君のこと、ちゃんとわかってたら、ぜったい……!あの人、ぜったい後悔するから!」

「お、おちつけ。なんというか、身内?の欲目が過ぎるんじゃないかコンねーちゃん……!」


 激情膨れ上がった わたしが、どうどうと嗜められてしまう。

 ふーっ、ふーっ、これがいわゆる……頭に血がのぼるっていう……。


  

「………………あの人が言ってたこと、全部おれに刺さったよ。ほんと容赦なかったけど、それってさ……ちゃんと見てくれてたってことだ。おれを知ってくれて、その上でフられたのなら……うん。おれが至らなかったんだ、あの人の相手として。だったら、それは……言い訳せずに、受け止めなきゃね……。」

「…………!」


 中身が成長してない、だなんて。そんなことない、そんなこと…………そんなこと。全然なかった。

 今のあなたは、わたしの知ってる きみじゃないよ。もう、ちっちゃい子供じゃないんだ。ちゃんと、もう……あなたは、ちゃんと。


「……んへへっ」

「な、なんだよ……」

「んー……わたしの知らないあいだに、大人になっちゃったんだなーって。複雑のじゃ、嬉しいような……なんだかちょっと、せつない?ような」

「……大人なもんか。コンねーちゃんに……女の子に泣きついて、ひざまくらされたまま、頭なでられてるような男だよ」

「それは…………たしかに、そうかも?」

「えぇえ!!ソコでハシゴ外すの!?そんなことないよーって言ってくれるとこじゃん!そーゆー流れだったじゃん!」

「ごめんのじゃ、つい? てへぺろ?」

「うらぎりだろー!あーあ、傷ついたなーっ」

「だったら、まだまだ撫でてあげなくちゃね?よしよーし♪」

「もっと!!!」


 嵐は過ぎて、ふたりは笑顔。

 

 アハハ……ウフフ……。







 がちゃり。



「え」

「あ」



たらいまれふただいまですにいふぁにいさ──────」



 マンションの一室。

 和装の幼気いたいけな少女のひざに、頭をあずけてヘラヘラ笑う成人男性──といった、側から見ると異様ともとれる光景が繰り広げられるリビングを閉じていた扉が、今、唐突に開かれた。

 片手に持った棒状のスナック菓子を、ほっぺたが少し膨らむほどに頬張り モショモショと咀嚼する学生服の少女によって。



 かち。かち。かち。


  

 先刻までは聞こえていなかった、毎秒を刻む時計の針の動く音。

 水を打ったような空間の中でソレは、やたら くっきりと響き続けた……。

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ここのおコンコの恋物語 TH @thisanidiot

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