怪獣令嬢は人権を吠える

山猫計

起の章

第1話 熱を帯びた来訪者

  怪獣——と聞いて思い浮かべるものは、ビルよりも大きな体で街を踏みつぶし、津波のように猛々しい尾で戦車を薙ぎ払い、何を考えているのかもわからない虚空の眼で人類を睨む、まさに破壊の象徴。


 人類の知る怪獣とはそういう存在のはずだったのだが——


 艦橋の船員たちは黄金を溶かしたような光と熱の中でを見た——



「迎撃に向かった守備艦隊は——交戦時間14秒にして全て沈黙……!? 音熱感知人工島は莫大な熱エネルギーを感知しておりますが、これは……全艦が蒸発したってこと……?」


 オペレーターの声に管制室にいた全員が固唾を飲んだ。正面モニターには人口衛星による空撮映像が映し出され、画質は荒いけれど青い水面に浮かぶ二十隻もの艦船が一瞬にして真っ白な水蒸気に飲み込まれていくのが見えた。


 怪獣は追跡できず消失ロスト


 ただ、奴らはこの都に来るのが常で、国のお偉いさんが「何で我が国だけに怪獣が来るんだ!」と机を叩いている姿が目に浮かぶ。


 俺は自分のデスクに置いてあった栄養ドリンクを一気に喉に流し込んで英気を養うけれど、どちらかといえば緊張をまぎらわしたい気持ちが強い。とんでもない怪獣が現れやがった。前代未聞のヤバい奴。


 ネクタイを締めなおして、いつでも出動できるようにスーツの袖に『対怪獣攻性特務組織MAO』の腕章を装着。命令とあらば俺は特殊車両をかっ飛ばして都民の避難誘導に勤しむのだが、


 ——待機を命じられた。

 怪獣が未だに消息不明らしい。


 下っぱの俺は何も聞かされないまま、上の連中だけがバタバタと管制室を忙しなく駆け回っている。何かただならぬ気配が漂っている中、上官が青ざめた顔をしながら俺の元にやって来た。しかも台車を押しながら。運んでいるのはお茶のペットボトルが詰まった段ボールで、側から見ればこれから自販機に補充でもするのかという感じだけれど、それは本来業者さんの仕事。


「ひ、平沢、これを会議室に運んで、お茶を配ったらボーナス出るらしいんだが、ど、どうだ? やらないか?」


 何をそんなまごついて喋っているのだろうか。まるで段ボールに爆弾でも入っているのかというくらいの焦りようだが、実家が元々貧乏で金に目がない俺は二つ返事でそれを受け入れた。むしろ俺に声をかけてくれてサンキューって感じ。先輩から台車をもらい会議室を目指して台押し進むのだが——


 会議室に近づけば近づくほど廊下に書類が散らばっているし、目まぐるしく鳴る電話に人が追われていたり、何かがおかしい。


 エレベーターを使って会議室のあるフロアへと着いた時、俺は目を疑った。


 いかにも突入寸前って雰囲気の機動部隊がライフル銃を構えて壁に背中をくっつけている。まるで会議室の中で誰かが立て籠っているみたいに。扉は開きっぱなし。中から話し声が聞こえるが、もう少し近づかないとはっきりと聞き取れない。


 さて、台車はここに放り捨てて、くるりとUターンしたいところだが……頼みを受けてしまった以上このまま引き返すわけにもいかない。それにボーナスもある——


 臨戦態勢の機動部隊の方々に会釈をして俺は台車を押して恐る恐る会議室へ。すると女の声が聞こえた。ハンマーを打ち下したような怒った声。


「ええ、ですから“怪獣に人権を”と、わらわは申しているのです!」


 俺は聞き間違いだと思った。この世にそんなヘンテコな言の葉が紡がれるわけがない。とにかく今はボーナスのために部屋に入らなければ。


 会議室に足を踏み入れると俺は目を奪われた。


 記者会見のように一人の少女が高官や機動部隊に取り囲まれて、さらにライフル銃まで突きつけられている。彼女がさっきの声の主だろうが、俺はその容姿に唖然とした。精巧な西洋人形のような少女。肌は白く、けれど病的な白さではない。それは雪のような新鮮な白色。絹のようになめらかで長い白銀の髪。目鼻立ちのきりっとした美しい顔に二つの宝玉のような紅い目が浮かんでいる。薔薇を彷彿とさせる赤と黒のドレスを身にまとい、まるでの貴族の令嬢のような、そんな気品を醸し出していた。


「わらわはこの都を刹那にして焼き払う力を有しております」


 ……まさかな、こんなにも綺麗な子がそんな恐ろしいことを言うわけがない。今日は耳の調子が悪いみたいだ。


「証拠にというのも難ですが、太平洋にてわらわを迎撃に来た艦隊とやらは対話が通じず、やむなく焼かせてもらいました」


 耳の調子が——いや……俺が管制室で見たスクリーンの映像と辻褄が合う。どういうことだ、彼女があれをやったというのか? 少女は軍人のような引き締めた表情をして高らかに言う。


「私は熱エネルギー怪獣ウラハ。ここに怪獣の人権設立を提言します。この都を炎と灰と死の世界に変えたくなければ、人類はこれを認めてください」


 ——俺の世界はこの日から大きく変わった。


 この日、怪獣は人のかたちを成して現れた。熱エネルギー怪獣ウラハを自称する少女は都に住む九百万人の命の保証と引き換えに怪獣の人権を求め、結局、国のお偉いさん方は彼女の要求に判を押すしかなかった。二十隻の艦隊を瞬く間に蒸発させた彼女の脅しはあまりにも大きな説得力を孕んでいたからだ。


 この事態は最優先機密事項として国民に知らされることなく、ウラハは監視下のもとではあるが、人間として日常を過ごすことが決定した。


「今後、わらわの人権が脅かされようものなら、わらわはこの都を滅却します。それにもう一つお願い申し立てたいことがあります。これからやって来る二体の怪獣たちにも、わらわと同様に人権付与の処遇をお願いしたい」


 彼女の宣言通り、次の日には空を浮遊する黒い人影が湾内で目撃され、MAO本部に降り立った飛行少女は『汚染怪獣ドロア』を名乗った。その次の日にはどこでこしえたのかもわからない小型クルーズ船が港に着船し、キャリーケースを引いて、白いコートを身にまとった青髪の少女が船から現れた。バカンスと言わんばかりにサングラスをかけた『植物怪獣マリオネ』は飄々とした態度で桟橋を渡り、ライフル銃を向けている機動部隊に手を振った。


 そして俺、平沢栄悟ひらさわえいごはというと——対怪獣攻性特務組織MAOの新設部隊、怪獣生活課日常哨戒監視官として、日常に溶け込んだ怪獣三体の監視および生活のお手伝いをするように命じられた。なんというか、これが結構大変な任務で、彼女たちがもし機嫌を損ねて“人権侵害”だなんて思うことがあれば俺の住む都はウラハによって焼き尽くされてしまう。つまりこの都の命運を俺が背負わされているも同然なのだ。

 

 そして俺はMAO内部で“熱を帯びた来訪者”と称された熱エネルギー怪獣ウラハと初めて一対一で顔を合わせる機会が設けられ、待ち合わせの場所は彼女の住居がある下町の洒落た喫茶店。


 俺はボックス席でコーヒーを嗜んでいた。研ぎ澄まされた切れのある味が口の中に広がって、味わい深いように目を閉じたりしてみる。普段はそんなことはしないのだが……そう、俺は緊張していた。今、コーヒーを飲んだはずなのにまたコーヒーカップのふちを口につけて、啜ることもなく下皿ソーサーに戻したり、とにかく落ち着かない。時計の針がそろそろ待ち合わせ時刻を差すと、喫茶店の扉が鈴の音を伴いながら開いて、白銀の風が店内に入ってきた。肩出しの黒いワンピースを纏う銀髪の少女。店の中にいた全員の視線を集めているが、本人は気にすることはなく俺のいる机の方へ歩んでくる。紅玉ルビーの眼は健在で、今風の化粧をしている彼女は会議室で見た時よりも少し印象が変わっていた。なんというか、俺みたいな二十代の男と一緒にいると違法な香りがしてしまう感じ。


「監視官、お待たせいたしました」


 頭を下げて詫びる彼女はさらに視線を集めて、俺は慌てて座るように促した。


 それからウラハは店内で流れている音楽ジャズはどんな楽器を使っているのか——とか、メニュー表にある“ジェラートやナッツ入りはちみつのレアチーズケーキを乗せたシチリア風レモンパフェ”とは結局どういう食べ物なのか——とか、そういうことをたくさん訊いてきた。俺は彼女の満足のいく答えは導きだせなかったが、俺のつたない説明でも彼女は丁寧な相槌で聞いてくれた。本当にどこかの淑女とでも話しているかのような気分になって、華やかな気持ちになっている俺だったが、ウラハは紅茶を嗜みながら唐突に恐ろしいことを話してきた。


「監視官さん、これだけは伝えておかなければと思いまして。わらわを含め怪獣とは人間が引き起こした環境や生態系の破壊、公害や汚染といった業の化身であり、習性といいますか、まるであなた方が川のせせらぎを心地いいと感じるように、赤ん坊を見て愛おしいと思うように——、そういう生き物なのです。だからといって何かをして欲しいとかそういうわけでなく、私が言いたいのは——ドロアとマリオネ、この二体がもし憎悪に耐えきれず人間を傷つけようとするのなら、その時は私が責任をもって


 このとき俺は、彼女が図々しい移民ではなく、なにか使命を抱いてここに来たんじゃないかと、そんな風に思い始めていた。

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