飽食なれど、飢えを忘れるべからず
浅野エミイ
飽食なれど、飢えを忘れるべからず
日本人の料理はきめ細かいと言われている。
もちろん他国の料理も様々特徴はあるのだが、日本人の食へのこだわりと……このように言ってはなんだが『食への変な執着と根性』は他国では見られないものではないだろうか。
他国から見た日本人の食への異質さというのは、『納豆文化』を思えばわかりやすい。しかし、チーズもワインもキムチも臭豆腐も発酵食品ではないだろうか? 発酵食品については、このように共通点がある。しかし、「毒の魚と言われているふぐに何度も果敢にチャレンジしていた種族」というのは、あまり聞いたことがない。世界には色んな人がいるので、ふぐにチャレンジしたことのある他国の方もいるかもしれないが……どうだろうか? ふぐは確かにおいしい。が、有毒である。調理するのには免許が必要だ。なぜ日本人はふぐを食べたのだろうか? ふぐ毒に当たったのならば、そのおいしさは伝わらないはずなのだ。それでもおいしいことが後世まで伝わっているし、調理方法も確立している。これはどういうことなのだろうか?
ふぐの話だけではない。日本人は米を食べる。しかし、この米を炊飯し、ご飯にするのには時間がかかる。時代劇などを見れば、自国の歴史すら疎い私でも江戸時代にどんな料理を作っているかなどは薄々わかる。そもそも、火起こしから始めよう! とか、そういうレベルになり、火を起こしてかまどで米を数時間かけて炊くなんてざらだったのだ。それは米文化がある他国でも同じであると言えよう。しかし、米好きが高じて「炊飯器を作ろう!」と考えつくところが、日本人のすごさであり、一種の異様さでもある。
もちろん、食べることは至福であるし、食わなくては動けない。海外では、「とりあえず栄養補給しておこう」という感じで食事をする方々もいるだろう。しかし、日本人はこれだけではない。『見栄え』も気にする人種なのである。これはSNSなどで海外に伝わってきているだろう。日本人は、『調理の難しいものをあえて調理』し、『見栄えまでしっかり』気にし、『味にもうるさい』という厄介な人種なのだ……。
ここで日本の『冷凍食品文化・レトルト文化』についても触れておきたい。当然、もともとは保存食から始まっているのだと思われる。この辺は私も調査・研究していないので詳しくもないし、専門家でもないので断言できないが。保存食と言えば、日本では漬物だし、海外ではピクルス(酢漬け)やキムチなどもそうだろう。だが、日本人はそれだけで満足する種族ではない。『おいしいものも手早く食べられるようにしたい!』という、『日本人でもよくわからない食への飽くなき欲求』が、冷凍食品文化やレトルト文化を発展させてきているのではないかと思っている。
日本のスーパーやコンビニを見てほしい。冷凍食品やレトルト食品のレパートリーの多さは、すごいと思う。また、それだけではないのだ。日本にはさらに『インスタント食品』なるものもあるのだ。カップ麺、カップ味噌汁、その他諸々……。日本人は戦後忙しくなったこともあり、短い時間で手軽だが、『やっぱりおいしい食べ物』を食べることに心血を注いできているのだ。
日本人がなぜ、食にうるさいか。それは『飢えを経験しているから』なのではないだろうか。戦争中は、食事などろくにできなかった。今は飽食の時代と言われているが、実際は少子高齢化で農家の担い手が足りていない。
ここで私自身の心に留めておきたい言葉を述べよう。
『飽食なれど、飢えを忘れるべからず』。
飽食なれど、飢えを忘れるべからず 浅野エミイ @e31_asano
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