42.【紫月と言葉】


「ダリア! 良かった……目を覚ましたんだな!」


 俺は、突き動かされるようにベッドに駆け寄った。

 ダリアは目をゆっくりと開け、焦点の合わない瞳で俺を見る。

 だが、すぐにいつもの調子を取り戻すように、口元を緩めて小さく笑った。

 その笑顔に、少しだけ肩の力が抜ける。


「……心配かけさせやがって」


 俺は苦笑混じりに、ダリアの手を握る。


「医者が言うには、肺の奥まで焼けちまってたらしい。教会で一日中、白魔術まで施したんだぞ……?」


 ダリアの唇が何かを紡ごうと動く。

 だが、一度、二度、まばたきすると、唇を閉じてしまった。


「どこか、痛むのか……?」


 彼女は微かに首を振る。

 だが、いつもの言葉遊びも、呆れた溜め息も、どこにもない。


「なぁ、ダリア……お前の黒魔術には頭が下がるよ。この一件でも、俺の命を救ってくれた。だが頼むから、もう無茶はしないでくれ。俺、お前が目を覚ますまで、生きた心地がしなかったんぜ……」


 少し考えると、ゆっくりと首を縦に振るダリア。

 微笑んではいるが、やはりどこか様子がおかしい。


「ダリア……?」


 俺の声に反応するように、ダリアはゆっくりと目を細める。

 だが、今までのように冗談交じりの言葉は聞こえない。

 唇が動くたびに、俺の心臓が強く跳ねた。

 何度も何度も、何かを言おうとするも、一言も声が出ないのだ。


「おい、ダリア……」


 その時、俺はようやく気付く。


「お前……声が……」


 言葉が途切れる。胸が苦しくなる。腕を取る手にも力が入らなくなる。

 彼女の目が、少し寂しそうに俺を見つめている。

 その瞳の奥は、俺に何かを伝えようとしているようだ。


「そうだ、もう一度……もう一度、教会へ行こう! そして、喉が治るまで、何度でも、白魔術を……」


 だが、ダリアは俺を止めるように俺の拳にゆっくりと手を置くと、静かに俺を見上げた。

 そのまま、彼女は体を少し起こすと、己の喉を指差し、首を横に振った。


「そんなこと……そんなこと言わないでくれ、ダリア……」


 白魔術は、決して奇跡ではない。

 千切れた手足は生えてこない。失くした臓器は戻らない。そして、壊死した声帯も――それはきっと、魔術に深く関わってきたダリア本人が最も理解していることだろう。


「なんで、お前なんだ……俺が話せたところで、何も生み出さねぇってのに――」


 その瞬間、不意に俺の顔が引き寄せられる。

 気付いた時には、ダリアの唇が重なっていた。

 熱を帯びた触れ合い――少しの間、時間が止まっていた。


「ダリア……?」


 俺が名を呼ぶと、ダリアはそっと俺の唇に指を当て、静かに首を横に振った。

 その表情はとても穏やかで、まるで全てを受け入れたかのように、真っ直ぐ俺を見つめている。

 その瞳の奥には、言葉を失って尚、凛とした意志が浮かんでいた。

 

「そう――だよな。俺らに、言葉なんか要らないもんな……」


 優しく頷き、微笑むダリア。

 俺はもう一度、彼女に口づけをした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「にしても、お前と旅に出て、一年しか経ってねぇのか……随分と長く感じたな」


 馬車の車輪がごとごとと道を叩く音だけが、静かに響いていた。

 もうすぐ、大司教とセリーヌが待つ大聖堂が見えてくる。

 巨像兵のこと、月神の乙女のこと、月神の防具のこと――奴らには聞かねばならいことが山積みだ。

 向かいに座るダリアは、相も変わらず、窓の外の遠くの景色を見つめている。


「なぁ、ダリア」


 俺は、ふと思いついたことを、口にする。


「俺、大聖堂に戻ったら……読み書きを勉強しようと思うんだ」


 ダリアの視線が、一瞬揺れた。


「ほら……俺、ガキの頃から傭兵だったろ。とりあえず、剣だけ振ってりゃあ食うのには困らなかったからよ……でも、これからはきっと必要になる」


 ダリアが、目を見開いたまま俺をじっと見つめる。

 やがて、少し俯くと口元を緩ませた。その表情にはどこか温かさが滲んでいる。


「なんつぅかよ……"言葉は要らない"からこそ、別の形でお前に届くようにしてぇんだ。それとも、俺が読み書きなんて、ガラじゃねぇか……?」


 ただ、ダリアはそっと微笑んだ。

 優しくて、寂しげで、どこか遠い場所を見ているような、そんな笑顔だった。


「だからよ……魔王を討ったら、俺と――」


 言いかけたその最中さなかだった。

 ダリアが、魔導書の隅に突然筆を走らせ始めたのだ。


「……何を、書いてるんだ?」


 やがて手を止めた彼女は、その破り取った切れ端を、そっと俺の胸元に押し当てる。


「これを、俺に?」


 ダリアはただ、コクンと頷いた。


「何て、書いてあるんだ……?」


 彼女がその問いに答えられるはずもなく、返ってきたのは静かな微笑だけだった。


「言いそびれちまったが……今はいいか」


 俺はその切れ端を懐にしまうと、体を投げ出すように横になった

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