紫月の章
36.【紫月と視線】
暗がりの部屋の中、彼女が手探りで、何かを記している。
目が不自由だというのに、なんとも器用なものだ。
「……不便だろ。俺に出来ることはないか?」
「ヴィクター様!? け、結構です!」
背後から声をかけた俺に、彼女は咄嗟に身を乗り出し、机の上に覆い被さる。
その顔は、気恥ずかしさに耐えるように小さく唸っていた。
「おいおい……隠すことないだろ? どっちみち、俺は字なんざ読めやしねぇんだ」
「それでも……結構です」
「参ったな、せめて何を書いていたのかだけでも、教えてくれないか?」
「うぅん、そうですねぇ……」
少し考えた後、彼女はクスッと笑うと、照れくさそうに言った。
「恋文です」
その言葉と共に、影に包まれた笑顔が段々と闇の中に溶けていく――
そんな夢を見ていた気がする。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「勇者殿、こちらが朧の一族の末裔にして月神の乙女、ダリアと申す者でございます」
窓から覗く曇り空、その僅かな光を受けて淡く輝く祭壇。
大司教の紹介に、紫髪の若い女がヘラヘラと笑いながらこちらに手を振っている。
やがて、俺をしげしげと眺めたかと思うと、飄々と自己紹介を始めた。
「ダリアよぉ、小さい頃から黒魔術を学んでいるの。あなたは、ヴィクターちゃんっていったっけぇ? 命運を託されたみたいだけど、気負わず頑張りましょうねぇ」
ダリアとやらはそう言うと、勝手に俺の手を取って、プラプラと握手を交わした。
「おいボケ聖女……お前の天啓、ガセじゃあねぇだろうな?」
「し、心配無用です勇者殿! こう見えましても、彼女はれっきとした月神の乙女。その加護は、必ずや貴方様のお役に立ちましょうぞ!」
「そう。魔力なら、これまでで一番」
「これまで……?」
相変わらず、セリーヌの言葉は掴みどころがない。
大司教も、何かを誤魔化すかのように、引きつった笑いを見せている。
俺は皺の寄った眉間を指でつまむと、深く溜め息をついた。
「んで……俺はこの女と、どこに向かえばいいんだ?」
「はい、此度、勇者殿が目指すべきは『
そう言いながら、両手に羊皮紙の世界地図を広げた大司教は、その地図の最東端を指差して見せた。
「おい……地図の右端じゃあねぇか……」
「大冒険ねぇ、ヴィクターちゃん」
「お前は少し黙れ」
俺はダリアを振り払って大司教に不満をぶつける。
「ようは兜を取りに行くだけだろ? こんな緊張感のない奴を連れて行くくらいなら、俺ひとりの方がマシだぜ」
「いえ、鎧の封印は、月神の乙女の加護にしか解けません。よって、彼女の同行はどうしても必要なのです。それに――」
「番人の……
またもや割り込むダリア。
だがその口ぶりは、何かを知っているような気配があった。
「ダリア殿……何か知っておいでのようですな」
「古い文献で、少しねぇ……魔王討伐のためとはいえ賢者ロレンツォの墓荒らしなんて、あまり感心しないわよぉ」
大司教の目が鋭く変わる。
それに対するダリアも、先程までの浮ついた笑顔を一変させ、冷静な表情で大司教を見つめる。
沈黙が流れる。それはまるで互いが腹の探り合いをしているようだった。
「だぁっ――もう分かった! とにかく兜を取りに行きゃあいいんだろ? ほら、とっとと支度しようぜ!」
俺は、とうとう音を上げる。
ただでさえ
「そうねぇ、それじゃあヴィクターちゃん、まずは私の魔導書を一緒に運んでほしいの」
「なんで俺が手伝う前提なんだよ」
絡むダリアを引き剥がしながら、俺は自室に向かって歩き始める。
この際、彼女に向けられた大司教の刺すような視線には、知らぬふりを決め込んでおくとしよう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ヴィクターちゃん、こっちこっち」
大聖堂の薄暗い蔵の中、ダリアがちょいちょいと手招きをする。
「なんだよ、手伝わねぇって言ったろ」
「そうじゃなくてぇ……コレ、なんだと思う?」
ダリアが指差す先を見ると、なにやら物々しい鉄箱が鎮座している。
「随分でけぇ鉄箱だな……しかも錠付きときたもんだ」
「気になるわねぇ……開けてみる?」
「あ? 鍵はどうすんだよ」
ダリアが、人差し指を左右に振りながら 小さく笑う。
「解錠の魔術くらい朝飯前よぉ」
「……持っちゃいけない奴が力を持つとこうなるんだな」
呆れる俺をよそに、ダリアが指先を光らせる。
すると、錠前がガランと音を立てていとも簡単に外れた。
「こいつ、本当にやりやがった……」
「さぁ、ご開帳よぉ……」
重い鉄蓋をギィと持ち上げるダリア。
軋む音がやけに大きく響く。
「おい、俺にも見せろ」
――だが、俺が身を乗り出したその時だった。
「お二人共……何を、なさっているのですかな?」
背後から、静かに、けれど確かに張り詰めた声が落ちる。
反射的に振り返ると、そこには暗がりに沈む大司教の姿があった。
「その箱の中を……見たのですか?」
低く、押し殺したような声。
その瞳が、まるで冷たい刃のようにこちらをギロリと貫く。
その気迫に、俺は思わず言葉を詰まらせた。
「あぁ……これは、なんつぅかよ――」
「……大司教さん、この箱なぁに? やけに大袈裟な錠前が付いてて、開かないのよ」
その言葉にハッと鉄箱に目を向けると、いつの間にやら鉄蓋も錠前も元通りになっていた。
「……そちらは、教会にとって大変貴重な物が入っております故、決して開けぬようお願いいたします」
「あら、そうなのねぇ……ごめんなさぁい」
謝罪もそこそこに、何の気なしといった素振りで淡々と荷造りに取り掛かるダリア。
その様子をしばらく見つめていた大司教は、何か言いたげな表情を見せながら、やがてその場を立ち去っていった。
「お前……よくもまぁヌケヌケと……」
「フフッ、肝を冷やしたわぁ……私が人間の気配を感じ取れないことなんて、そうそうないんだけどねぇ」
「結局んところ、何が入ってたんだろうなぁ」
俺の疑問に、ダリアがフッと不敵に笑う。
「チラッとだけれど……私、見たわよぉ?」
「あ? お前……本当に抜け目ない奴だな。んで、何が入ってたんだ?」
ダリアは「うぅん」と首を捻ると、天井を見上げながら答えた。
「……見間違いじゃなければ、あれは"鎧"と――それに、"盾"だったわぁ……」
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