12.【少女と矜恃】


「さぁ、魔王様の間に続く階段はここを置いて他に無いわよ。どうしても通りたければ、身を削ってでも通るしかないわ。文字通り……ね?」


 そう言い放つと、ニコラはその掌を天に掲げた。

 やがて、それに呼応するかのように、雷雲立ちこめる雲間からポツポツと雫が庭園へと滴っていく。


「ヴィクターさん、これは、雨……?」

「まじぃ……アンナ! 俺のそばを離れるな!」


 叫びと共に、ヴィクターが頭上に手をかざす。すると、ガラスのようなドーム状の障壁が現れ、みるみる私達をすっぽりと包み込んでいった。


 「魔術障壁、ですか?」


 しかし、その障壁が張られるや否や、突然、視界一面を覆い尽くすような激しい大雨が一気に降り出したのだ。


「クソッ、随分と趣味のいい魔術を使いやがる」

「フフ、意外と賢明ね。すぐに斬りかかってくるものだとばかり思っていたのに……アナタのこと、もっと粗暴な剣士さんかと誤解していたわ」

「そう言うてめぇこそ、辺りの雲ごと操るなんざ、並の魔術師じゃねぇな」

「お褒めに預かり光栄ね。加えて、この『新月の石』で底上げされたワタシの魔術……その障壁、どれだけもつかしら?」

 

 ニコラが、胸元から下げた輪形の黒い魔石を指で弾きながら、その長髪をかきあげる。


「ヴィクターさん、この雨、そんなに厄介なものなんですか!?」

「厄介なんてモンじゃねぇ、上級の毒魔術だ。こんなん浴びた日にゃあ、ものの一瞬で肉が腐れ落ちるぞ」

「フフ、そういうこと。人の子が触れればたちまち身骨とろける猛毒の雨よ。つまりアナタ達の選択肢は二つ。魔王様に挑むのを諦めて、今すぐにこの塔を降りるか。このまま意地を張り続けて、果てはグズグズのジャムになるか……考えるまでもないわよね?」


 天候を操り、更には雨を猛毒に変えてしまうとはなんと恐ろしい魔術だろう。しかも、この規模とあっては、蒼月の盾をもってしても、とてもではないが防ぎ切れるとは思えない。


「いや、そうでもねぇさ。こんな桁違いの黒魔術、そうそう長い時間は展開しちゃあいられねぇはずだ。その魔力が切れた時、それがてめぇの最期だぜ?」

「果たしてそうかしら。それはアナタにも言えることじゃなくって? かろうじてとはいえ、この魔術に耐えうるほどの高度な障壁を作り出しているんだもの。いち剣士のアナタが、魔術師であるワタシの魔力切れまで耐えられるとは、到底思わないけれど」


 ニヤリと笑うニコラ。対して、ヴィクターの表情には、いつものような余裕の笑みは見受けられない。


「分かっているでしょう? こっちはなにも勝ちにこだわる必要はないの。ワタシの目的はね、アナタを正午まで足止めすること。それまで決して、あの人の元へ通さないこと」


 強い眼差しで語るニコラ。そこには、なにか揺るがない覚悟の念を感じる。


「つまり、それがてめぇの、何を捨ててでも"守りたいもの"ってワケか?」


 ヴィクターの言葉に、ニコラがピクリと顔をしかめる。


「そうね……ええ、そうよ。ワタシは何かも捨ててあの人を選んだの」


 その言葉に、胸の奥がざわめく。

 思わず、私は声を漏らしていた。


「あなたの……人生よりも、ですか?」

「そうよ」

「親よりも、ですか?」

「……そうよ」

「子供よりも……ですか!?」

「そうよ! ワタシは……ワタシは何よりも、あの人を、夫を選んだの!」


 猛毒の雨が轟々と降りしきる中、私はその耳を疑う。


「あなたが……魔王の妻……!?」

「ええ……ワタシは魔王様、つまり我が夫の血を飲んで魔人になったの。無論、自らの意思でね」


 突然の激白。

 その壮絶な真実に、思わず言葉が詰まる。


「てこたぁ、てめぇが捨てたガキってのは――」

「ええ、あの人との子よ。ワタシたちがまだ、人間だった頃に授かった、産まれたばかりの子供……四百年も昔の話だから、もう償うことすらできないけれど」


 互いに、魔術の手を緩めることなく静かに語る二人。

 度々訪れる静寂に雨音がどよめく。


「どうして、あなた達は魔人なんかに……」

「あの人は、不可抗力だった! それまで独りで全てを背負って、必死に戦って、それなのに魔人になった途端に、命まで狙われて……!」


 吐き出すように声を震わせるニコラ。

 しかし、ふっと小さく溜め息をつくと、やがて寂しそうに瞳を揺らした。


「そんなの……放っておけるわけないじゃない。だから、私も後を追ってすぐに魔人になったの……おかげで、我が子に名前すら付けてあげられなかったわ」


 ロベールを我が子のように目をかけていた理由。それはきっと、本来その子に向けるはずであった寵愛ちょうあいの矛先を探していたからなのだろう。


「さて……これ以上、何か話したいことはあるかしら?」

「いや、てめぇの中には"魔王"しか無ぇってことな嫌というほど伝わったぜ……清々しいくらいにな」

「そうよ……私は何を犠牲にしても、夫と共に生きると決めたの。もう独りにはさせないと決めたの。だから――」


 ニコラの眼光がさらに鋭さを増す。


「邪魔立てするなら、アナタでも容赦しないわ!」


 やがて、彼女が両手を天に掲げると、滝のような豪雨がさらに音を立てて私達を取り囲んだ。

 堪らず、ヴィクターが片膝をつく。


「頼む……今一度、お前の中に、居場所をくれ……」


 また不意に、ヴィクターの口から誰かの影がぎる――しかし、口をついたその言葉には、確かに何かが宿っていた気がした。

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