ゴブリンなんかに

 髪は緑で、鼻は赤。真っ白な服はぶかぶかで、肥えているようなシルエットを作っている。道化師のような装いをしたその男は、複数のナイフを両手に携えていた。

 金髪の少女が睨みを利かせると、男は奇妙な笑みを浮かべる。

 瞬間、飛び道具による応酬が始まった。

 放って、避けて、撃ち落とし、ふたたび武器を投擲していく。しばらくは互いに相手へ傷を負わせられない均衡状態が続いたが、それは唐突に崩れた。

 捌ききれないナイフが少女の太ももを掠め、血を滲ませる。


「くっ……」


 苦悶の声を洩らした少女は、態勢を立て直そうとした。

 男はそれで生まれる隙を見逃さない。すかさず、ナイフを投擲する。

 そのナイフは、少女のふくらはぎに刺さった。金髪の少女は足をもつらせ、肩から地面に倒れ込む。


「お、おいっ……」


 彰良は息を呑んだ。

 しっかり状況が把握できたわけではない。どちらが善でどちらが悪かを判断する材料は揃っていなかった。

 だが、直感的にはこう思う。すくなくとも、少女は悪ではなさそうだ。彰良の身を案じてくれたためである。

 そこから、彰良は少女に駆け寄っていった。だが、その彰良を少女は拒絶する。


「来ないでっ!」

「え……?」

「早くここから去って。言ったでしょ? これは戦いなのよ。アンタ、魔術のひとつも使えない一般人なんでしょ? 無力な人間がいてもここじゃ野垂れ死ぬだけ」

「けど、見捨てるなんて……」

「じゃあ逆に聞くけど、アンタに何ができるわけ?」

「それは……」


 彰良は黙ってしまった。

 すべて、少女の言う通りだ。彰良はただの男子高校生に過ぎない。強い力で敵を殴り飛ばせるわけではない。敵を一網打尽にできるような魔術が使えるわけでもないのだ。

 だが一方で、こう思う気持ちもあった。はたして、本当にそうか。

 剣も魔術もなんでもありの世界に飛ばされた男が、ただの一般人で終わることなどありえるのか。

あるのではないか。身体の内に眠るなにかしらの異能力があるのではないか。

 少女は皮膚に針を刺し、何かを唱えていた。すると流血は止まり、乱れた呼吸も落ち着く。それから、少女はふたたび道化師の男へ向かっていった。


「僕ちんもキミばっかりに付き合ってられないんだよね~★」


 道化師は数本のナイフを回転させ、ナイフに炎をまとわせる。

放たれたナイフは、以前とは段違いにスピードを増していた。柄の下に炎を点火させることで、ブースターの要領でナイフを加速させているのだ。

 少女は身を捩じらせ、それを必死に避ける。しかし、ナイフだけに注意を向けすぎていた。急に距離を詰めてきた道化師に気付けず、首を掴まれてしまう。


「やばいっ……」


 彰良は小石を拾い、それを投げた。その小石は運良く、道化師の顔に命中する。


「あ~?」


 道化師のぎょろりとした瞳に捉えられ、彰良の肌が粟立つ。


「ひっ……」


 道化師は少女を投げ捨て、跳躍。激しい風を伴いながら、眼前に着地した。そして、彰良の顔を眺めてから怪訝そうな顔する。


「なにキミ。ただの人間? なんか萎えた~。フリューゲルの仲間かと思ったよ。でも、石投げられたのイラッとしたからキミは殺すね★」


 道化師が指をパチンと弾く。すると、闇から続々と黒い怪物が姿を現してきた。

 身長は幼稚園児ほどで低く、細身。そして、棍棒を携えている。皮膚が緑でないことが気になるが、尖った両耳が特徴的だったために分かった。その怪物はゴブリンだ。

 彰良は口元を綻ばせる。

 ゴブリンは、アニメやゲームなどで雑魚敵として描かれることが多い。目の前の個体も数は多いが、身体は小さい。というところで、凶悪さは感じられなかった。

 このゴブリンになら勝てるはずだ。


「っ、うああああああっ!」


 最も近くにいたゴブリンに向かって、彰良は蹴りを放った。

 だが、手応えはまったくない。


「え?」


 ゴブリンは微動だにせず、直立を保っていた。

 彰良が唖然としていると、ゴブリンは片手で突き飛ばしてくる。


「がっ……」


 瞬きをくり返しながら、彰良は軋む身体を起こした。


「ゴブリン……なんかに……?」


 信じられない。ゴブリンごときにあしらわれたのか。駆け出しの勇者でも楽に倒せるようなモンスターも倒せないのか。

 自信が崩れ去り、無力感が押し寄せてくる。


「アンタっ……」


 彰良を助けようとしてくれたのか、少女が駆け出した。だが、道化師に行く手を阻まれる。


「どこいくの~? キミの相手は僕ちんでしょ~★」


 言った道化師はふたたび、ゴブリンの群れに目を向けた。


「遠慮せずにやっちゃって~★」


 彰良を取り囲むようにして、ゴブリンがじりじりと距離を詰めてくる。


「こ、こんなはずじゃ……」


 彰良は顔を歪めながら、首を振った。

 異世界に飛ばされた。そこは魔法やドラゴンが実在する理想の世界だった。くわえて、一目惚れしてしまうような美少女とも出会えた。ラッキースケベと呼べるようなハプニングもあった。

 胸が踊った。主人公になれたのかと思った。

 だが、違ったのか。いま、彰良はゴブリンごときに追い詰められている。これでは、ただのモブだ。

 失望感に襲われる。だが、それ以上に死ヘの恐怖があった。

 何か助かる術はないか。彰良はポケットを漁る。

 ポケットには、警察バッジが入っていた。バッジをポケットに入れた記憶はない。彰良が訝しんでいると、顔が影によって覆われる。その影の正体は、ゴブリンが掲げる棍棒だった。

 棍棒が振り下ろされる。


「っ……」


 もう避けることはできなかった。死は免れない。

 彰良は痛みを想像し、ゆっくり目を瞑る。

 だが数秒経っても、痛みは訪れなかった。


「あ、れ……?」


 彰良がおそるおそる目を開くと──棍棒を掲げたゴブリンの頭に、黄金の剣が刺さっていた。

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