第一章

厨二病の高校生

 その部屋は、とにかく暗かった。

 天井の照明は点いていない。窓のカーテンは閉じているだけでなく、黒いテープで上下左右が窓枠に固定されている。

 一切の光が遮断されていた。

そこからは、決して光を入れたくない強い意志のようなものが感じられる。

 そんな部屋で、簡素なシングルベッドや教科書やノートが散らばる机に囲まれながら立つ、一人の青年がいた。青年は黒の短髪を持ち、白のワイシャツに金と黒のネクタイ、グレーのチェックパンツという制服を着ている。

 青年の足元には、深紫色の絵具で奇怪な紋様が描かれた画用紙が敷かれていた。

 その奇怪な紋様は、魔法陣だ。大きな円に三角形やら四角形やら大小さまざまな図形が重なり合うようにして収められ、内周に沿うように古代のルーン文字のようなものも書かれていた。

 青年は床と平行に腕を掲げる。そして、くわっと両目を見開く。


「侵蝕者よッ!」


 青年が重く、低い声で叫んだ。


「轟く残響、深淵蠢き、弑逆の運命に喉を抉られし者よッ!」


 呪文の詠唱か。難解な漢字を交えた文言がすらすらと口にされる。


「蜃気楼乱す大鎚、黄昏の酩酊老婆、那由多無に帰す幻影! 流転し、流転し、流転し、虚無の証明を驟雨で洗う!」


 詠唱と呼応するかのように、魔法陣を描く紫色のラインが発光した。


「開闢と終焉! 傀儡と化した怠惰な羽虫に審判の雷をッ!」


 声の勢いが増している。どうやら終わりが近いようだ。

 青年が、腕を前方に突き出す。


「顕現せよ、悪魔宰相ルキフゲ・ロフォカレ!」


 その言葉で詠唱はピタリと止まった。クライマックスだと言わんばかりに、魔法陣のラインが放つ光も明るくなり、部屋を妖しく照らす。

 しばしの沈黙を挟み、青年は口角を上げる。


「ああああああああああっ……最ッ高に気持ちいいいいいいいいいっっ‼」


 青年は顔を恍惚一色にしながら、悶えるように身を捩らせたのだった。


 彼の名前は、九重彰良ここのえあきら。日本に住む男子高校生だ。

 神奈川県生まれの神奈川県育ち。父親も母親も純粋な日本人。家庭は父親と母親の共働きで生計を立てており、裕福ではないが貧乏でもない。交友関係は広くもなく、狭くもなく。成績は中の中。運動神経は良いとは言えないが、チームスポーツで足を引っ張るほど悪いわけでもない。

 まさに普通を体現したような青年だった。

 だが、一つだけ普通とは言えないことがある。

 それは、重度の厨二病患者であることだ。

 より正確に言うなら、超自然的なチカラに憧れを持つ邪気眼系厨二病だった。それが高校生になった現在も完治していなかったのである。

 今期は『混沌のマギア・ジハード』というファンタジーバトルアニメが放送されていた。長尺の呪文詠唱で魔術を発動させ、戦闘を行うのがこの作品の特徴である。いまは自作の呪文を唱え、作品の世界に自分が入り込んだ設定で妄想を楽しんでいるところだった。

 ちなみに呪文は難しい漢字が多用されているが、頭に知識として入っていたわけではない。すべて『新明快国語辞典』のおかげだった。弑逆、驟雨、開闢など書けない。なんなら意味もよく分かっていなかった。

 悪魔宰相ルキフゲ・ロフォカレもネット検索で知っただけ。発光する魔法陣は、ホームセンターで購入したLEDライトで手作りしたものだった。

 彰良はふらついた足取りで壁に寄り、照明のスイッチを入れる。それから、ふいにはっとした。


「いや、待てよ……?」


 彰良の眉がぐぐぐと寄る。


「このままだと、悪魔召喚系の魔術師ってキャラが定着しちゃうのか? インパクトはデカいけど、戦いのレベルが上がってきたときに悪魔召喚だとついていけるか不安だな……悪魔が強いわけで俺はただの人間のままだし、もっと他の路線で攻めた方がいいのか? くそっ、じゃあ最初から呪文も考え直しで……」


 悩むような口調だったが、その顔はにやけている。


「異能無効化系か、それとも概念操作系か……」


 思考を白紙に戻し、どんな異能力を使えば活躍できるかを再検討する。しかし、結論はすぐ出ない。


「んがーっ! ひとつになんて決められねぇよ!」


 彰良は頭を抱え、ぶんぶんと振り回した。これも悩むような仕草だったが、やはりその顔はにやけている。

 そんなとき、廊下から小さな足音が聞こえてきた。

 ドアノブがガチャリと動く。光を遮断するために貼っておいた黒テープがブチブチと裂け、勢いよくドアが開かれた。


「ぶぐっ⁉」


 顔面にドアが直撃する。彰良は後方に吹っ飛ばされ、激痛から顔を手で押さえた。


「ねぇ、うるさいんだけど」 


 苛立ちを含んだ声が響く。

 彰良は、指の隙間から正面を見た。そこには、腕を組んだ少女が立っている。少女は水色の短髪にヘアアクセを光らせ、シャツに短パンという部屋着を身にまとっていた。

 彼女の名前は、九重玲菜。彰良の二歳下の妹だった。


「こっちは勉強してんの……頼むから邪魔しないでくれない?」


 玲菜は中学三年生。つまりは受験生だった。普段から良い成績を取っていたこともあり、かなり偏差値の高い学校を目指しているらしい。部活も引退し、毎晩のように机とにらめっこをしている。


「まーまー、落ち着けって」


 彰良は適当に口を動かし、謝り方を考える時間を稼ごうとする。

 そんななか、玲菜が魔法陣に視線を向けてきた。そののち、呆れたように溜息をつく。


「兄貴、まだこんなコトやってるわけ?」

「おい。こんなコトとはなんだ、こんなコトとは」


 唇を尖らせながら、彰良は言った。妹が受験勉強をしている部屋の隣で騒いでいたことは反省している。だが、こればかりは言い返さなければならない。


「玲菜、あのな?」


 彰良は、悪戯をした子どもを叱るときのような顔を作る。


「ずっと言ってるだろ? 魔術は、男のロマンなんだよっ! いや、人類のロマンだって言い換えてもいいかもしれん。なにもない掌から炎やら雷が生まれるんだぞ。心が震えてこないか? 玲菜だってお兄ちゃんと一緒の血が流れてるんだ。魔術に魅力を感じないわけがない! ほら、想像してみるんだ、呪文の詠唱が終わり、空間に歪みが生まれて、伝説の剣が現れて……どうだ、興奮するだろっ⁉」


 喜びを一緒に分かち合いたかった彰良は、言葉を尽くした。しかし、それはまったく響かなかったらしい。


「いや、興奮とかないから」


 玲菜は冷淡に返してくる。


「なっ……」


 清々しささえ覚える一蹴を受け、彰良は顔を引きつらせた。


「私、そもそもアニメとか観ないし。血が繋がってるってだけで兄貴と一緒にされるの、ちょっとキモいし」


 どうやら、玲菜には異文化を受け入れようという姿勢がないようだ。

 玲菜は苛立っているようなので当然のことかもしれないが、まさに状況は立て板に水。このまま話を続けるのは得策ではなさそうだった。心が摩耗してしまう可能性がある。

 そのため、彰良は作戦を変えることにした。


「んぁー。はいはい、そうだなぁ」


 適当に相槌を打ち、聞いているふりをしながら、この場をやり過ごそうとする。

 しかし、玲菜が何気なく放ったであろうその言葉は関係なく耳に入ってきた。


「魔法なんて実在するわけないんだから、そろそろ大人になりなよ」


 一瞬、彰良は固まってしまう。


「はぁ、馬鹿な兄貴にずっと付き合ってるのもアホらし……」


 玲菜はふたたび溜息をつき、部屋から去った。

だが、心配な気持ちが拭いきれなかったのか。去ったはずの玲菜が戻り、半開きのドアから顔を覗かせてくる。


「──今度騒いだら、母さん買収して兄貴が苦手なピーマン料理しか作らせないようにするから。あとこれで受験に落ちたら、兄貴に一生彼女ができず童貞で終わる呪いかけるから。分かった?」


 玲菜の凍てつくような眼差しを浴び、反射的に背筋が伸びる。


「はい、すみませんでした……」


 彰良は、心からの謝罪を述べた。

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