妻の名を
@mia
第1話
妻が魔法学校時代の友人の出産祝いに友人の嫁いだ子爵領へ行きたいと言った時、 私は反対しなかった。妻が友人の出産を自分のことの様に喜んでいたのを知っていたからだ。
妻がその帰りに自分の実家の子爵領に寄りたいと言いだしても、「結婚してからずっと忙しかったからね。今は領地の瘴気も落ち着いているし、君が望むなら実家へ帰って一週間でも二週間でもゆっくりしてくればいい」そう言って妻を送り出した。
友人のいる子爵領までは馬車で一週間。そこで二、三日滞在するだろう。そこを出て五日ほどで彼女の実家に着くはずだ。彼女の実家からこの侯爵領までは十日だ。
侯爵夫人が長期に家を空けるのは好ましくはないが、不在を認めることを言って彼女を送り出したのは私に負い目があったからだ。妻を侯爵夫人として何の不自由もない生活をさせるだけでは解消できない負い目が。
侯爵家嫡男と子爵家三女の結婚は王命だった。侯爵家にはこの結婚はとても利益があったが、子爵家には何のうま味もなかった。金や領地の運営などの技術を求めているとすれば、こちらからの支援もできたが彼女の家は何のマイナスもない家だった。
王命で私の妻となったのは、浄化魔法が使える女性だったからだ。特に侯爵家の領地の瘴気ととても相性が良かったから選ばれたにすぎない。
どこの領地の瘴気でも浄化できるのは聖女だけだった。妻を含め浄化魔法が使える魔法使いはそこそこいたが、聖女と比べると力が弱く効果はあまり持たなかった。弱い瘴気なら浄化石という浄化魔法を込めた石で領地の浄化ができた。侯爵領も十年ほど前までは浄化石で何とかなるくらいの瘴気だったが、だんだん強くなり浄化魔法が 使える魔法使いが派遣されるようになった。
聖女は侯爵領よりももっと強い瘴気の領地に派遣されている。
私が妻と出会ったのは彼女が魔法学校在学中であった。魔法学校は浄化魔法を使える生徒の授業料を免除する代わりに、魔法の授業の一環として国内の領地へ派遣して瘴気を浄化させていた。
担当教師と数人の生徒が侯爵領に来た時に、とびぬけて浄化ができた生徒と婚約することとなった。それが妻だった。
彼女の浄化魔法が侯爵領の瘴気に適性があるとされ、彼女は侯爵領の瘴気を浄化するためだけに王命で私との結婚が決まった。侯爵家の嫡男とはいえ問題のある領地だったため私に婚約者はいなかった。弟にも婚約者はいなかったし、年齢だけ見れば弟の方が釣り合っていたが嫡男である私の婚約者になった。
私と妻の結婚式は彼女が卒業して間もなく行われ、その三ヶ月後が妻の友人の結婚式の予定だった。しかし、私たちが結婚してすぐ私の父が急死したために友人の結婚式へ出席することができなくなってしまった。
父は私の結婚をとても喜んでいた。
嫡男が結婚できたということもあるが、妻が浄化魔法を使えるという方が大きかったと思う。瘴気対策に苦労していた、張り詰めていた気が緩んだのか。
父の葬儀、爵位を引き継ぐ手続き、領民への周知、関係する貴族への挨拶など目が回るほど忙しい日々が続いた。
だから今回、妻が出かけたいと言った時快く送り出した。しかし、内心では妻が一週間二週間と実家に滞在するなどとは思っていなかった。たいした要件もないのに実家に長く滞在すると嫁ぎ先に問題があるのではと周囲に怪しまれてしまうからだ。
もし妻が実家に二週間滞在したいと申し出ても、両親が反対し二、三日で送り返してくれると考えていた。
しかし家を出て一ヶ月経っても妻が帰ってこない。まさか私の言った一週間でも二週間でもゆっくりしてきなさいという言葉を妻の両親も本気にしたのだろうか。
腹立たしく思っていたが妻の実家に確認するような真似はできない。自分の言った言葉を否定することになるからだ。イライラしながら妻が帰ってくるのを待った。
待ったが、実家に二週間滞在したとしても帰ってきていい時期はとっくに過ぎた。が、妻は帰ってこなかった。
妻の友人や実家に問い合わせるが、友人からは一泊、実家からは二泊しただけで帰ったとそれぞれ返事があった。
途中で何か事故があったのかと思い調べるが、妻が関係したと思われる事故はなかった。
何か手掛かりがないかと妻の部屋を調べた。机の上に妻が魔法をを込めたであろう握りこぶし大の浄化石が五つあったが、他に気になるものはなかった。机の鍵のかかった引き出し以外は。鍵が見当たらなかったので妻には悪いと思いつつも鍵を壊して中を確認した。
ノートが一冊あるだけだった。
ノートを見ると、それは領内の浄化の作業日誌のようなものだった。いつ領地のどこの地域をどれくらいの強さの魔法で浄化をしたか、どれくらいの大きさの石にどれくらいの魔法を込め何個浄化石を作ったか、などがきちんと書き込んであった。ところどころに「村長さんにごちそうになった昼食のスープがおいしかった」「村人の抱いていた赤ちゃんがかわいかった」などとその日に印象に残ったと思われることが書いてあった。
記入のある最後のページの日付は友人の子爵領へ出発する日だった。浄化石五つに魔法を込めたことが書いてある。それが机の上にあった石なのだろう。出かける前に私に渡すつもりだったが、慌ただしかったので忘れてしまったと思われる。
そのページの下の方に「クジラの国で会いましょう」と書いてあった。これは自分を探して欲しいという妻の願いなのか?
残されていた妻の言葉に私は途方に暮れてしまった。
「クジラの国 って一体いくつあるんだ」
複数あるのは知っていたが、調べてみると公式にはクジラの国は海に五つ、空に 十一あることがわかった。クジラとの会話は専門の通訳がいるので問題ないらしい。ただ、魔法が使える人ならば言葉ではなく魔法を通じて意思疎通ができる人もいるそうだ。
しかし公式以外に、人のいけないような海底や天空にもクジラの国は存在すると聞いた。そうするとクジラの国はいくつあるのかわからない。妻がどのクジラの国へ行ったのか見当もつかない。とにかくわかっているクジラの国へ妻の消息を問い合わせる手紙を書いたが、結果ははかばかしくない。
きた返事はどの国も全て回答拒否だった。どの返事にも、クジラの国で隠者になるために入国した者の詳細は明かせないと書いてあった。
妻が隠者に?
私は妻にできる限りのことをしたし、妻から不平不満など聞いたことがなかった。
クジラの国の隠者になるということは、外界との接触を断ちクジラの胃の中で暮らすことだ。クジラから魔力をわけてもらいそれを自分の生命エネルギーとして生きていくのだ。そのような生活で長生きはできない、そう聞いた。
私は全てのクジラの国へ再び手紙を書いた。妻を返して欲しいと。だがどこの国からも返事は来なかった。
半年後ある空のクジラの国から妻の遺品が届いた。
それは赤ちゃんくらいの大きさの特別な浄化石と妻からの手紙だった。クジラの魔力と彼女の浄化魔法が合わさった、彼女が命を削って作った浄化石だった。
手紙に書いてあったのは「私の名前をご存知ですか」それだけだった。
葬儀で妻の両親に会って話をして私は驚いた。妻の魔法が以前より弱くなったと感じていたと聞いたからだ。私は気づかなかった。気づかずに領地の浄化を頼んでいたし、浄化石の作成も頼んでいた。
最後の浄化石が赤ちゃんくらいの大きさなのは意味があるのだろうか。あの大きさなのはただの偶然なのか。
愛などない王命の結婚だったので私は親戚の子でも、弟が結婚して子が出来たらその子でも、王家の選んだ子を養子にしても問題ないと考えていたのだが、妻は子どもを望んでいたのだろうか。
墓石に彫られた「チョピラーナ」という珍しくもない妻の名前をなぞり墓を後にする。
学生時代の友人の妹に同じ名前の子がいたのを思い出した。その子のことは普通に名前で呼んでいたのも思い出した。
私の頬が濡れたのは降り始めた雨のせいだ。
葬儀から三年も経つと今まで何の口出しもしなかった別邸で暮らす母が、わざわざ会いに来て私の再婚を口にするようになった。
領地の瘴気は特別な浄化石のおかげで落ち着いていたので、結婚に影響なくなっていたからだ。
母は領地のためとはいえ子爵の娘を嫁に迎えるのをよく思っていなかったそうだ。私たち夫婦に会いに来なかったのは、嫁に会って余計なことを言うのを防ぐためだったらしい。
母の勧めもあって今までは欠席していた夜会にもいくようにした。夜会を楽しむ余裕ができた頃、ある夜会で行かなければよかったと後悔するようなことを聞いてしまった。
ある男がクジラの国の隠者になるために家も婚約間近の幼馴染も捨てた。しかし幼馴染は男を諦められずにクジラの国を訪問した。
何か国目かのクジラの国でやつれた彼女に同情したクジラの国の民が、いろいろなツテで男を探し出してくれた。そしてやっと男に会えたのは彼女が探し始めてから八年経っていた。
酒の席での話だった。知り合いから聞いた話、という真偽の明らかではない話だった。
私以外の人にはその場限りの話に過ぎないが、私は違った。
妻がこの話を知っていたかどうかは今となってはわからない。
私も領地のことは母や弟に任せて妻を探しに行くべきだったのだろうか。妻の最期に寄り添うべきだったのだろうか。今更考えても意味のないことを考える。
妻の墓へ行った。以前と同じように妻の名前をなぞる。
雨が降ってきた。妻の涙雨かもしれない。
あの日と同じように、雨が私の頬を濡らした。
妻の名を @mia
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