大ケヤキの街
浅野エミイ
大ケヤキの街
――朝。
今日も埼玉の小さな駅に、高校生が殺到する。県内でもそこそこの大きさの高校。その最寄り駅がここなんだ。
駅から出ると、そこには大きなケヤキの木がある。なんでも樹齢300年は超えるとか。この街が『街』になる前からある、高さも幹回りもかなりのもの。まるでこのケヤキが空を支えているようだ。
枝葉の間からのぞく青い空。そこから落ちてくる光の粒が頬に当たり、心地いい。
「おはよう、タツ」
「おーっす」
クラスや部活の友達が自然と集まってくる。このケヤキを通り過ぎて、高校までは一本道。
朝はみんなでくだらない話をしながら。帰りは途中にある焼き鳥の店で、こっそり買い食いして。平穏な毎日だが、俺は気に入っていた。
そんなある日――
「なぁ、最近鳥の鳴き声すごくね?」
「ああ。近くの駅に街路樹があっただろ? そこ、鳥のフンが多いからって切り倒したんだって。だからこのケヤキに集まってるんじゃねーの?」
大きなこの木は、今じゃ鳥の住処ってことか。街路樹伐採の話は前に耳にしていた。どうやら台風の日に大木が折れたとか。この辺の鳥も大変だな。引っ越しの繰り返しなんだから。
だけど、このケヤキなら大丈夫。大きいし、簡単に折れたり倒れたりしないだろう。俺が大人になっても、きっとこの木はずっと存在し続ける。
それにしても、いつ見ても圧巻だな……。俺は木の下を通ったとき、思わず見上げた。
こんなデカい木が街の入口、しかも駅前にあるんだぜ? まるで俺たちの守り神みたいで、それがちょっとした自慢だった。
高校に入学して、3年間。雨の日も、風の日も、僕が卒業する日も、ケヤキの木はずっと見守っていてくれたんだ。
§
高校を卒業した俺は、東京の大学に進学。元々高校は地元じゃなかったし、あの駅に下りたところで高校以外に何もない。いつの間にかケヤキのことなんてすっかり忘れて、俺はつまらない大人になっていった。
「狩谷、仕事だ。道路の改装工事なんだけど、ちょっと特殊っていうか……」
「はぁ?」
社会人になった僕は、役所の道路補修課に勤めていた。もらった資料書かれていたのは……。
「県道25号線? これって確か……」
「通称・ケヤキ道だったか。お前、ここの近くの高校に通ってたんだろ? なら、わかるよな?」
「場所はわかりますけど……どういうことですか! 『大ケヤキ伐採計画』って!」
思わず先輩に詰め寄り、大声をあげる。
普段大人しい俺が血相を変えているのを見た周りの職員が、咄嗟に先輩と俺を引き離した。
「しょうがないだろ。樹木医の話だと、腐食が進んでるっていうし。こんなバカデカい木が倒れたら、下を通る人や車が被害に遭うんだぞ? いつ爆発するかわからない爆弾みたいなもんだ」
「だからって……大ケヤキはあの街のシンボルですっ!」
「諦めろ。それに苦情だって来てたんだ。木が大きくて、視界が悪い。右折しづらいって。実際事故も多発している」
「…………」
俺は閉口した。永遠にこの木は、街を見守ってくれるんだと勝手に思っていた。俺がこの街を離れても、戻ってきたときにまたケヤキが迎えてくれるって。
……ははっ、そんなわけないのにな。300年以上も突っ立ってたら、そりゃあ身体にガタもくる。俺のわがままで、このじいさんをずっと立たせておくのもかわいそうなのかもしれない。
5月19日、深夜――
俺や工事に携わる人々は、ケヤキ前で手を合わせた。
「今までありがとな」
たった3年間しかない思い出なのに、ダイヤモンドのようにきらきら光って胸を熱くする。
ケヤキへの気持ちなのか、ただ単に俺の想いが暴走してしまったのか。自然と涙が溢れる。
俺だけじゃない。黄色いヘルメットをかぶったおっちゃんたちも、目からこぼれる汗をぬぐっている。地元の人たちなんだろう。俺なんかより、もっと思い入れがあるはずだ。
「くそ、大ケヤキの最期の日なのによ……」
「情けねぇな! 笑って過ごさねぇと、笑われるぜ?」
「そうだ! ケヤキのじいちゃん、ありがとな!」
おっちゃんたちは、隠して持ってきた日本酒をそっと幹にかける。
作業は一晩中かかり、朝日が昇る頃に大ケヤキはマジックのように姿を消した。
§
「お父さん、大ケヤキがなくなった、そのあとは?」
息子の樹が俺にたずねる。
「お前の目の前にいるの、気づいてないのか?」
「あ~っ!!」
樹は目を丸くする。高校の最寄り駅。そこには今も大ケヤキの一部が保管されているのだ。彼への敬意を表して。
俺は大ケヤキを伐採したあと、この街に引っ越してきた。木がなくなっても、この街にはまだ魂が存在している。
大ケヤキは形を変えても、この街を守ってくれているのだ――
大ケヤキの街 浅野エミイ @e31_asano
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