3-1
レモンティー、ピーチティー、カフェオレ、カフェラテ。
最寄り駅のコンビニエンスストアの棚の前で、日和は真顔のまま立ち尽くしていた。電車到着直後の大混雑の時間帯は外しているので、しばらく占拠していても邪魔にはならないはずだ。
――うーん、やっぱり、りんごジュースかな。
優柔不断は今に始まったことではない。欠伸を堪えて、迷いながらもひとつの商品に手を伸ばしかけた瞬間。
「眠そうな顔してるね、お兄さん」
「すみま――って、真木さん?」
予想外の声に、目的の物に届く手前で指先が空ぶる。振り返った先にいたのは、この二ヶ月ですっかり見慣れた顔だった。なぜか、いつもの服にプラスしてコンビニエンスストアのエプロンを身につけていたけれど。
「日和くん、第一声目で謝ること多いけど。俺、怖い?」
優海さんに言われたから気をつけてるんだけどな。ぼそりと続いた台詞に、日和は気苦労を察した。
「いや、怖くはないですけど。というか、バイト?」
「そう。バイト。朝だけだけどね」
この店舗を利用したことは何度かあったけれど、知らなかった。
「日和くんは、今から大学?」
「あ、そうです」
「朝早くから大変だね、がんばって」
終わりそうになった会話を引き留めるように質問を投げる。店内は混んでいないから、セーフのはずだ。
「あの、真木さんも」
「ん?」
「このあとは、もしかしてつぼみですか?」
「ううん。今日は、つぼみは午後から。午前はね、市に委託されてる訪問事業があるんだけど、そっちのほう」
「訪問事業?」
「そう。お家から出られない子のところにね」
引きこもっている子どもへの支援活動の一環ということだろうか。家から出ることができないという点で見れば、フリースクールに通っている子どもたちより根が深そうだ。
大変そうだなぁと思ったものの、その感想は呑み込む。この人はそんなふうに捉えていないだろう。そうなんですね、と相槌を打った日和に、真木が店内の時計に目を向けた。
「引き留めておいて俺が言うのもあれだけど、時間、大丈夫?」
「え……、あ。やば」
あと三分で電車が来る。もう買わなくてもいいやと慌ただしく頭を下げて、踵を返そうとした日和の手元に、紙パックが飛んできた。買おうか悩んでいたりんごジュース。
「あとで、会計しとくから」
「え、でも」
「本来だったらお休みの土曜日に来てもらうお駄賃代わり。安いけど」
キャンプ準備のためのスタッフ会議のことだと、すぐにわかった。けれど、参加は日和自身が望んだことだ。
戸惑い気味に瞳を泳がせていたものの、駄目押しのように手を振られて諦めがつく。
「行ってらっしゃい」
「行って、きます」
行ってきます、だなんて。口にするのは、ひどくひさしぶりだった。ひさしぶりすぎて、なんだかちょっと気恥ずかしい。ぺこりともう一度頭を下げて、店を飛び出す。改札を潜り抜けて階段を上がると、電車がちょうどやってきたところだった。
飛び乗って、握りしめたままだったジュースに視線を落とす。どうせだったら、もう少し大人っぽいものにしておけばよかったかもしれない。
いまさら格好をつけても、なんの意味もないのだろうが。そんなことを思ってしまった。
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