2-3
「ぴよちゃんは、夏のキャンプに参加するの?」
雪人に問いかけられて、日和はゆっくりと瞳を瞬かせた。午後の光の中で、いくつもの瞳が自分を見つめている。まだどこか緊張気味の香穂子を中心に据えて、女の子たちばかりで話をしていたのだ。
日和が気を遣うまでもなく、恵麻たちはやってきたばかりの香穂子に優しく接している。凛音が言ったとおりの「いまどきのかわいい女の子」だったが、彼女を弾くような空気が流れることはない。
その様子をテーブルの端で見守っているうちに、気が抜けてしまっていたらしい。反応の鈍い日和に、焦れたように雪人が唇を尖らせる。
「あー、ぴよちゃん、話、聞いてなかったでしょ」
「いや、ごめん。聞いてた、聞いてたよ」
苦笑いで日和は首を傾げる。
「ただ、キャンプってなにかなと思って」
同じく初耳だったらしい香穂子も、隣に座る恵麻を見やった。その視線に応じて、恵麻が「あのね」と説明を始める。
「毎年、八月にみんなでキャンプをするんだ。七月くらいから準備もみんなでしてね、すごく楽しいんだよ」
「そう、そう。みんなでカレーをつくったり、肝試ししたりね」
「へぇ、楽しそうだね。香穂子ちゃんも参加する?」
「え……と」
日和の問いかけに香穂子の瞳が揺れる。あれ、これ、もしかして、地雷を踏んだだろうか。固まりかけた日和を見つめて、香穂子はおずおずとはにかんだ。
「日和さんが行くなら、行こうかな」
冷や汗をかきそうになりながら、どうにか害のない笑みを刻む。すっかり忘れていた、としか言いようがない。
「みんな来るなら楽しいんじゃないかな。凛音ちゃんたちも、みんな来るんだよね」
わざとらしく話を逸らしすぎたかもしれないが、それが精いっぱいだ。笑顔だけは維持したまま、凛音に視線を向ける。無邪気な声が「うん」と応じてくれて、日和は心底ほっとした。
「今年はねー、あたしはごはんをつくる担当をしようと思うんだ」
「ごはんかぁ。いいね」
「あたしはね、今年も肝試し。香穂子ちゃんも一緒にする?」
続いた恵麻の声が自分に気を使っているとわかって、日和の自信は地に落ちた。この二ヶ月、自分なりにがんばっていたつもりだったが、結局のところ、なにも変わっていなかったのかもしれないと思う程度には。
不満そうな香穂子の視線に気がつかないふりを続けることしか、もはやできない。
――真木さん、早く帰って来ねぇかな。
ひさしぶりに顔を出した
少しのあいだなら自分ひとりでも大丈夫と高を括っていたが、撤回したい。無理だ。常に同じ空間にいてほしい。
「まきちゃんたち、遅いねぇ」
日和と同じことを考えていたのか、凛音が壁の時計を見上げた。もうそろそろ四時になる。
「本当だね。でも、もう帰って来るんじゃないかな」
願望たっぷりの日和の応えに、「どうだろうね」としたり顔の雪人が、もったいぶった間をつくった。
「だって、バスケでしょ。また学人が泣いてるんじゃない?」
「泣くって、学人くんが?」
通信制の高校にこの春から通い出したという少年は、どちらかと言えば気の強そうな顔をしていたのだが。首を傾げた日和に、雪人が嬉々として話し出す。この話をしたかったらしい。
「だって、前にも泣かされてたもん、まきちゃんに」
「三月にスポーツ大会があって。みんなでバスケをやったんだけど」
参加していなかった香穂子や日和にもわかるように、恵麻が注釈を入れる。
「そのときにね、まきちゃんが大人げなくワン・オン・ワンで学人にボロ勝ちして」
「学人も負けず嫌いなんだよね。何回やっても勝てないからって、最後には泣いちゃって」
「まぁ、まきちゃんがまったく手加減しなかったからだけどね」
「なんか、想像できた……」
居合わせてもいない場面がいとも容易く浮かんで、日和は小さく笑った。
「まきちゃんは、なんでもできるんだよ」
自分のことのように胸を張った凛音がかわいくて、目を細める。胸に詰まっていたしこりがひとつ落ちたような感覚だった。自分がなにをしたわけでもないのだが、笑顔は妙薬というやつなのかもしれない。
スポーツ大会の話題にはそこまで興味をそそられなかったのか、香穂子とのどかは本棚に少女漫画を探しに移動していた。ふたりで話している横顔は楽しそうで、先ほど感じた雰囲気は残っていない。
――俺がなにをしたわけではいっさいないけど、とりあえずよかった。
ほっと胸を撫で下ろして、日和は盛り上がる凛音たちの話に耳を傾けた。
「でも、結局、優海さんの例のあれで決着して」
「例のあれ?」
「そっか。ぴよちゃん、聞いたことないよね。優海さんとまきちゃんと一緒になるタイミングで入ってないから」
「じゃあ、きっと、キャンプで見れるよ!」
いつのまにか、自分がキャンプに参加することは決定事項になったらしい。
まぁいいかと苦笑する。本来の自分だったらば、なにかしらの理由をつけて断っていただろうが、うれしそうな瞳を向けられると悪い気はしなかった。
実際に自分が参加できるのかどうかは真木に聞いてみないとわからないが、今日にでも聞いてみようと思い決める。
「優海さんのあれっていうのはね、ちょっとすごいよ。優海さんがあの笑顔で、『
「真木さん、基生っていうんだ?」
「そう、そう。どっちが下の名前かわからないよねって言おうと思ったけど、ぴよちゃんも似たようなレベルだね。日和智咲」
「よく覚えてたね」
自己紹介のときに一度言ったきりのはずだ。感心した日和に、凛音が不思議そうな顔をする。なにを言っているのと言わんばかりだ。
「覚えてるよ。あたりまえでしょ」
一年以上同じゼミだった先輩の名前を覚えていなかった自分が極悪人に思えて、日和はひっそりと内省した。もう少し周囲を気にかけて生きてもいいのかもしれない。
「それでね、優海さん、普段はまきちゃんとか、まきくんって呼んでるんだけど。たまに下の名前で呼ぶと、ぜーったいお説教だから」
「左手一本しか使いませんから、もう一回やりましょうって言わされて、対戦させられてた。左手一本とかまりつきかよって言ってたけど、結局、まきちゃんの圧勝だったよね」
「すごい」
「優海さんがあとで言ってたんだけど。まきちゃん、高校生のときにバスケで全国大会に出てるんだって」
「それ、強くてあたりまえなんじゃ……」
それで手加減する気ないとか鬼かよ、との本音は呑み込んだ。いろんな意味で自分にはひっくり返っても真似のできない芸当である。
「でも、学人。次は負けないって言って、今、通信の高校のバスケ部に入ってるんだよ。練習嫌いだって言ってたくせに」
「へぇ」
「走り込み中心でつまらないって言ってたけど。でも、まだ続けてるみたい」
「それは、すごいね」
その子も、上手に発破をかけたあの人も。人に一歩を踏み出させることは、とてもパワーのいることだ。
玄関から響いた賑やかな声に、恵麻たちがぱっと視線を向ける。自分の口からも、ごく自然と「おかえり」という言葉が飛び出していて、それが少しくすぐったかった。なんだかすっかりこの空間に感化されている。これでは本当に家みたいだ。
だから、家主がいないと落ち着かないのかもしれない。耳に届いた「ただいま」という真木の声に、日和はほっと力を抜いた。
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