1-2
「初っ端からバタバタでごめんね。日和くん」
玄関から入ってすぐの右手側。子どもがつくったと思しき「スタッフルーム」のプレートがかかったドアの向こうに広がっていたのは、小さな洋室だった。パソコンの置かれた横並びの机がふたつと、天井まで届きそうな高い本棚。
ひとまずおいでと通された部屋に入って、日和は慌てて頭を下げた。
「あ、いえ。その。改めまして、よろしくお願いします。K大学教育学部の三年で、日和といいます。ここのことは、塩見さんの紹介で知って……」
「あぁ、そういや、塩見さんの後輩なんだっけ。こちらこそ、今日はありがとう。お世話になります」
短く返された一礼はぴんとしていて、どこか体育会系の人間の匂いがした。
「それと、……あ、ごめん。まだ自己紹介してなかったね。
優しい言葉にほっとして、こくりと頷く。ついでに、学生ボランティアの人かもしれないとの疑念も晴れる。そうか。正職員だったのか。後半もしっかりと顔に出ていたのか、真木と名乗った青年が苦笑をこぼした。
「大学は数年前に卒業してます、これでも」
「あ、いや、……その、こういうところの正職員って、もっと年配の方が多いイメージだったので」
「それはそうかもね」
まったくの日和の勝手な推測だったのだが、真木はさらりと受け流した。
「そもそもとして、正規スタッフ自体があまりいない業種だし。運営できてるのは、日和くんたち学生ボランティアのおかげだな」
「はぁ」
「火曜日は特に人手が足りてなくて。だから、日和くんが来てくれて、本当に助かった。ありがとうね」
笑うと雰囲気が幼くなって、とっつきやすくなる。得なタイプだなぁと羨みながら、日和は曖昧にほほえんだ。第一印象ばかりが良く、中身を知れば知るほどマイナスと評される自分とは大違いである。
そんなことを考えていると、子どもたちの声が一段と大きくなった。なにか盛り上がることがあったのかと想像すると、ほほえましい気もする。よくわからないが。
声を追うようにドアのほうへ動いた彼の視線が、またこちらに戻ってくる。真木の身長が低いわけではないのだろうが、長身の日和と比べると頭半分ほど低い感じがした。
「ちなみに、さっき日和くんが捕まえてくれたのが、今のうちの最年少で、小学四年生。
「小四」
「年より幼く見えてたんでしょ。自分の学年を言いたがらない子もいるから、本人が言わない限りは聞かないほうがいいかもね」
無言のまま何度も頷く。聞いておいてよかった。そうでなければ、名前を聞いたあとに、会話のとっかかりとして尋ねていたに違いない。
「いつもだいたい十人くらい来るんだけど。昼からやってくる子もいるから、午前中から来てるのは六人くらいで、あきを除いたら、みんな中学生かな」
「はい」
「それで、午前中は、勉強会の名目で、各々のやりたい勉強をしてるんだけど。日和くん、任せてもいい?」
「はい?」
「だから、勉強。学校の教科書範囲から逸脱するようなことはしてないし、日和くんなら大丈夫な範囲だと思うんだけど」
なにか問題がありますかと言わんばかりに首を傾げられて、日和は盛大に焦った。塩見がどうだったのかは知らないが、同じ教育学部の後輩だからと過大に期待されても困る。
「あの、真木さん」
「ん? なに?」
「俺、その、本当にこういったボランティアははじめてで。学習支援のボランティアとかもいっさいしたことはなくて」
「あぁ。大丈夫、大丈夫」
軽く請け負われて、なんだ、そこまでの期待はされていなかったのかと日和はほっとした。そうだよな、まさか初日から俺ひとりでやれなんて言わないだろう。
「誰だって、最初ははじめてだからね」
微笑を浮かべた真木が、日和の肩をぽんと叩いてドアノブを回す。途端に子どもたちの声が大きくなった。高い笑い声。
「……え」
一歩遅れて、「はじめてだから、がんばろうね。俺は手伝わないけど」と言われたのではないかと気づく。真木さん、と呼び止めようと思ったときには、既に襖が引かれていた。
「勉強、始めるぞー」
十畳ほどの部屋の中心。大きな座卓を囲んでお喋りに興じていた子どもたちが、いっせいに真木のほうを見る。
「今日は日和くんが見てくれるから。ちゃんと自分のやるところは自己申告すること。俺のせいだけど、いつもより開始が十分くらい遅れてるから。早くおいで」
「まきちゃんは入らないの?」
ボブカットの女の子が発した問いかけに、日和は内心で大きく頷いた。そりゃ、そうだ。会ったばかりの学生ボランティアと取り残されたら、不安にも思うだろう。それなのに、真木はさも当然と首肯する。
「入らないよ。日和くんひとりで大丈夫だから」
「まきちゃんが言うなら、じゃあいいや」
できることなら、もう少し粘ってほしかった。そんな日和の願望と裏腹に、あっさり納得した様子で少女が立ち上がる。リュックから勉強道具を取り出して、足早に真木を追い越すと、続きの間の襖を開いた。六畳ほどの広さのそこには、座卓がひとつだけ置かれている。勉強部屋ということらしい。先駆けた少女に続いて、続々と子どもたちが机周りに着座していく。
「日和くん」
「あ、はい……」
真木に手招かれて、日和は固まっていた手足をぎこちなく動かした。集まった子どもたちの視線に晒されて、暑くもないのに手のひらがじんわりと汗ばんでいく。誤魔化すように後ろで手を組んで、日和は笑みを浮かべようと試みた。
「はじめまして、日和智咲です。今日から毎週火曜日につぼみにお邪魔させてもらうので、仲良くしてください」
面白みの欠片もない挨拶を終えた日和に対して、「はーい」とまばらな声が上がる。暁斗少年を入れて男の子が三人に、女の子がふたり。……いや、女の子が三人で男の子がふたりかもしれない。悩んでいることがバレないように日和は笑みを深くした。
――最近の子って、難しいなぁ。というか、それはさておいても、このあとどうやって授業に入ればいいんだ?
隣に立つ真木を窺ったのとほぼ同時に、彼が踵を返そうとする。
「よし、じゃあ、あとはよろしく」
「え?」
心の底から、うっかりそんな声が出た。いや、けれど、「は?」と言わなかっただけ褒めてほしいくらいだ。せめて、普段はどういうふうに指導しているのかを見せてほしい。ついでに言ってもいいのなら、日和と生徒たちのあいだの空気が順調に流れ出すまで同じ空間にいてほしい。
「日和くん、日和くん」
「え、あ、はい」
「なに、それ」
なに、と胡乱な声を出されて、おのれの手元に視線を落とす。そうして、「あ」と呟く。完全に無意識だったのだが、自分の手は去ろうとする真木の袖をしっかと握りしめていた。
心情そのままの行動に赤面しつつ、手を離す。行き場を失った指先をわきわきと動かしていると、高い笑い声が響いた。長い黒髪の少女だ。
「日和さんって、なんかひよこみたーい」
「その
「そういうわけでもないけど。でも、まきちゃんはひよこっていうより鶏だよね。怖いもん、顔。名前はかわいいのに」
「日和もひよこも似ててかわいいよね。ね、ね、日和さん。ぴよちゃんって呼んでいい?」
恵麻と呼ばれた少女の言葉を受けて、日和が少年だろうか少女だろうかと悩んでいた子どもが衒いなく笑う。声は少年だが、喋り方や服装は少女のそれである。
LGBTというやつだろうか。扱いの難しいタイプは、頼むから事前に情報を共有させてほしかった。恨みがましく思いながらも、いいよ、と頷く。
「わかった、わかった。俺もちょっとここに残るから。ほら、凛音たちも名前教えてあげて。なんて呼べばいいのか、日和くんもわからないだろ」
日和ひとりに場を任すことを諦めたらしい真木が音頭を取ってくれて、正直とてもほっとした。なにもできないな、こいつ、と。内心で呆れられていたとしても、構わない。
――いやだって、はじめてのところで、いきなりひとりって有り得ないだろ。それに……。
子どもたちととりとめもないことを話している真木の横顔を、ちらりと盗み見る。
この人、俺が変なこと言ったり、なにかしたりしたら、どうするつもりだったんだ?
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