第18号 猫を抱いて象と泳ぐ

 しばらく小説を読んでいなかったので、リハビリのつもりで小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』を読みました。非常に良かった。傑作。泣きました。。。


 チェスを指す少年の話。幼い日の体験から大きくなることを忌避するようになった少年は、11歳で成長することを止めます。チェス盤の下の小さな空間に自分の居場所を見出した少年は、そこから伝説のチェスマスターを模したからくり人形を操り、つぎつぎと素晴らし棋譜を残していく――という物語です。


 え、ヘンな小説だなって?


 そう、小川洋子さんの小説は、現実世界の法則とは少しズレた世界観・登場人物のなかで、展開することが多いと思います。幻想的ファンタジックというのかな。ただ、そうではあっても、というか、だからこそ一層、登場人物のリアリティが鮮やかに浮かび上がってくるという、どこか魔術的な筆致が小川洋子さんの小説の特徴であり魅力です。


 いくつか語りたいポイントのある『猫を抱いて象と泳ぐ』ですが、このエッセイでは物語の筋とは関係のないところ、でも、わたしが「おお」と思わず感心した箇所を取り上げたいと思います。


 それは、主人公の少年がチェスの対局者からチェスとの向き合い方について諭される場面――。



>そう、だからチェスを指す人間は余分なことを考える必要などないんです。自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持さえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する……。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう



>もしあそこでこうしていたら、しかしああしたのはこういう理由があったからで、だからこう指したのは結果から見て……などとくどくど自分のチェスに自分で意味をつけたがる。自分で解説を加える。全く愚かなことだ。口、などという余計なものがくっついているばっかりに


>口のある者が口を開けば自分のことばかり。自分、自分、自分。一番大事なのはいっだって自分だ。しかし、チェスに自分など必要ないのだよ。チェス盤に現れ出ることは、人間の言葉では説明不可能。愚かな口で自分について語るなんて、せっかくのチェス盤

に落書きするようなものだ


>だから私は、君がうらやましい。君には自分がない。目の前にあるチェス盤に、ただ腰掛けている。リトル・アリョーヒンという仮の名前をもらって、ひたすら黙ったまま



 この箇所、前半と後半とでは語り手が異なるのですが、言っていることはひとつ。自己表現、自己実現のためではなく、ただ無我夢中にチェスと向き合いなさいということ。


 ここではチェスについて書かかれていますが、チェスを小説に置き換えて読むと、これは小川洋子さんの考える作者と小説との向き合い方としか考えられないでしょう。なるほど、自己分析大好きなわが身を振り返ると恥ずかしい限り(苦笑)


 ますます小川洋子さんの作品が好きになりました。また、別の作品を読もうっと。


>自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当の小説は書けません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る