フォーエバーヤング?(短編)

みつぼし

第1話

夜中1時。使用時間終了10分前を知らせる電話が鳴り響く。大きな音の中でも聞こえるように設定されているはずのコール音に気づくものは電話の近くに座っていた入社2年目の男性社員だけだった。立ち上がり、片耳を抑えながら受話器を取る。

「福永さん、あと10分ですがどうしますか?」

マイクを持つ康介は、目を閉じて、身体を左右に大きく揺らしながら気持ちよさそうに歌っている。気づかない康介に、席に座っていたもう一人が立ち上がり、近くまで寄り耳打ちのような形で話しかける。

「え、もうそんな時間?延長延長、みんなまだまだ歌い足りないでしょ!」

康介はマイクを使って、左手を大きく挙げながら叫んだ。同じように右手を大きく挙げて、おー!と皆が叫ぶ。

電話を受けた後輩は、1時間延長の旨を伝え、ついでに6人分飲み物を注文した。

3軒目になるカラオケ店には、入社1~3年目の若手社員5人と、10年目になる康介の6人が集まった。康介は、最近の流行りの曲ばかりを選んで歌った。

「福永さんよく知ってますねー。今歌ってた、最近SNSでバズッたやつですよ。俺もサビしかわかんないですもん。」

入社3年目の西は歌い終わった康介の隣で、溶けた氷しか入っていないグラスを傾ける。

「スマホで適当に聞いてたら流れてきたんだよ。」

康介は胸を突き出し、両肘をソファの背にもたれさせている。

「本当若いですよねー。福永さん経由で知る流行り結構ありますよ自分。あ、次俺だ。」

西はそう言うと意気揚々とマイクを握った。


2時過ぎまで会は続き、眠気とアルコールを十分に吸い込んだ身体は、みなの足を重くさせた。帰ってもあと2時間くらいしか寝られないですねと嬉しそうに言う西に、康介はこれくらいいつものことだろと、軽く返した。


「おはようございまぁす。」

気だるそうに挨拶をする康介を、康介よりも歳が上の社員はまたかという顔で見る。本社ビルの4階フロアは3つに区切られており、康介のいる営業部には10人ほどしかいない。康介はその中でも3番目に若かった。あとは30代後半から、一番上は50歳を超えていた。康介よりも下の二人は昨日の飲み会にも参加している。他部署と合同飲み会で大所帯での飲み会となった昨日は、このフロアのほとんどが参加していた。そんな中、事務所に入ってくる康介を見て、先に出勤していた西がにやついた顔で近づいてくる。

「福永さん、おはようございます。昨日はありがとうございました。いやー、さすがに眠いっすね。学生の時はオールしても全然余裕だったのに、歳ですかね。」

そう言う西の顔は溌溂として、肌ツヤ、血色ともによく、活力にあふれていた。朝、康介は自分の顔を見てひどいむくみと目の充血を確認したが、酒をあれほど飲んだ上に寝不足だし仕方がないと納得したばかりだった。

「情けないなぁ。ほんとだったら今日は車移動もないし、もう一軒くらい行きたかったのによ。」

軽く西の腹を小突く。小突かれた西は大げさに痛がりながら体をくねらせた。

「いやいや、福永さん若すぎますって。今度は週末にやりましょう。次の日休みだったらどこまでも付き合いますよ。でも俺だけじゃなくて高木も死にそうな顔で出勤してましたよ。ほら、あそこ。」

高木と呼ばれる社員は西の一つ下の入社二年目だった。自分の名前が出たことに気づき、軽く立ち上がり康介を見て会釈をする。確かに、この距離からでも顔が青白いのがわかった。

「ったく。俺より若いやつらがそろって情けない。まあまた近々集まろうや。」

言いながら康介は自席に向かう。西はペコっと頭を下げて席に戻った。康介は席に着きほっとした。二日酔いがひどく、身体もだるい。30歳を超えてから無理が効かなくなってきた気がする。20代中ごろまでは、朝まで飲んでそのまま職場に来たこともあった。その時もきついとは思っていたが、今は全く次元が違った。当時は眠気だけとの闘いだったが、それもピークを越えれば会社にいる間はむしろ覚醒していたように思う。34歳になる今、眠気とともに頭痛や気だるさがひどい。頭がよく回らない。午前中は少し遠目の客先に顔を出しに電車で行こう。電車で寝れば少しは回復するだろう。昼は戻ってきて会社の近くにあるそば屋でも行くか。そう思いながら、パソコンを開きメールをチェックした。


昼までには戻ってきますよね?会社の近くに新しく豚骨ラーメン屋ができたらしんですが、知ってます?昼飯で行きませんか!」

 

出先からの帰りの電車、西からのメッセージを見て悩む。結局適当な見積もりを持って20分ほど客先と話しただけだった。豚骨らーめんか。今の身体には少し重たい。しかし、後輩に誘われた以上、断るわけにもいかない。

「知ってる。俺も気になってた。行こう!あと10分くらいでそっちに着く。」

返信すると、残りの時間少しでも身体を回復させるために両手を組み目を瞑った。またおごりだろう。昨日の三次会のカラオケも全額支払っている。結婚していない康介にとって、この程度の出費が痛いわけではないが、毎度のことで少々うんざりする。ふとスマホの振動を感じて見てみると、西から了解と脇に書かれたなにかのアニメキャラのスタンプが送られてきていた。


会社の最寄り駅を降りて目的地に向かう。西が康介を見つけて手を振っていた。

「おつかれさまです。高木も連れてきちゃいました。」

西の横には、朝青白い顔をしていた高木が立っている。勝手にすいません、と言う高木は今朝の気だるそうな雰囲気はなく、今から食べるラーメンにわくわくしているような、そんな面持ちだった。

 客の入れ替えが速いのか、思ったよりも待ち時間は短かった。待っている間、西と高木はただただスマホを見つめ、親指を上に下に動かしていた。店に入ると、豚骨ラーメンの独特のにおいが充満している。換気扇は回っているが、空気はひどくこもっていて油っぽい。とても食欲をそそられる環境じゃないと思っていても、康介以外の二人はいい感じっすね、といいながら案内されたテーブル席に着く。着くやいなや、スマホをいじりだす。康介もそれに合わせてスマホを取り出す。二人がすぐにスマホを取り出し足を組む姿を見て、多少違和感はあるものの自分が20代前半の頃だって同じだったような、そんな気もする。

 いわゆるゆとり世代と呼ばれていた康介の時代は、根性がないとか、目上の人に対する礼儀がないとか、非常識だとか様々なことを言われた。そう揶揄してくる目上の人間を軽蔑していたし、自分は後輩に対して、そんな偉そうで器が小さいことを言う先輩には絶対にならないと思った。だから何も言わない。西が上座に座ろうが、高木が言われるまで自分の手元にまとめて置いてあるおしぼりを渡してこなかろうが、それをいちいち指摘するのはうざい先輩になってしまうから。

「あれ、あそこにいるの山本さんじゃないですか。カウンターに座っている。」

ふと手元から顔を上げた西が小さく言う。

「あ、ほんとだ。」

康介は一瞬振り向き山本の方を向いたものの、すぐに向き直る。

「いんすか、福永さん同期ですよねたしか。」

「ああ、別に同期ってだけでそんなに仲がいいわけでもないしな。あいつ変わってんだよ。」

山本は総務部に属しており、交流はほぼゼロに等しかった。総務部に用があるときも、わざわざ山本には声をかけなかった。頭頂部は頭皮が透けて見えるほど薄くなっているのに、襟足がだらしなく伸びている。いつも顔は脂っぽく、全体的に清潔感はない。そんな姿はとても康介には信じられなかった。美容にも気を使い、ジムにも通っていた。毎朝時間をかけて髪を整えている。脱毛し、高い化粧水を使っている。しかし、あまりにもあからさまにやると逆にイタいことも知っている。あくまでも自然な清潔感と、身だしなみを心がけている。

「たしかに、タイプ全然違いますもんね。でも福永さんの本社にいる同期って、山本さんだけって言ってませんでしたっけ。」

同期入社は10人いたが、3人退職し残っているのは7人だけだった。そのうち5人は地方勤務になっている。

「そうだな。でもほとんど会話することないな。すれ違えば軽く挨拶するくらいだな。新入社員研修の時も他のメンバーとは毎晩飲んでたんだけど、あいつだけほとんど来なかったんだよ。1ヶ月あったのに2、3回だけだよ来たの。そんときもほとんどしゃべらなかったし。」

言ったタイミングでラーメンが机に運ばれた。西はもう山本のことなど興味なさそうにテーブルに置かれたラーメンを前に両手をこすり合わせる。一つしか来ていないラーメンを康介にゆずることなく、せっせとスマホで写真を撮っている。遅れて来たラーメンを最後に受け取った。高木もスマホを向けた。康介は二人が準備ができるのを待っていたが、二人ともスマホをしまうとそのまま食べ始めた。


「ごちそうさまでした!」

声を揃えて言う二人に、いいよ別にと軽く手を挙げて制す。一杯850円。三人で2550円。昼飯にしてはなかなかの出費だ。週に2~3回、自分から誘う時もある。必要経費、と自分に言い聞かせる。

康介を先頭に、二人は後ろを並んで会社までの道を歩く。

「そういやさ、高木あんときの女どうなったの?ほら、相席屋で捕まえた子。」

知らない話題だが、西の軽率な声が康介の耳に入る。

「え、ああ。あの子とは一回きりですよ。向こうだってそのつもりだったろうし。」

「まじ?もったいな。普通に遊びでキープしとけばいいのに。福永さんどう思います?」

先頭を歩く康介に声をかける。

「お前そりゃ、西の言う通りだろ。俺だったら絶対キープしてたね。」

いやあ。と頭を掻く仕草をする高木振り返るように見る。この話題をまんざらでもないと思っているのがわかる。自分が知らないところでこの二人が出会いの場に行っていること。自分はそれに誘われていないこと。その事実をあっけらかんと話す二人に、寂寥感が募る。

「ほら、福永さんもこう言ってんじゃん。福永さん、若い頃めちゃくちゃ遊んでそうですもんね。」

嬉しそうに話しかける西を見る。若い頃、という言葉がどうしても引っかかってしまう。西や高木と同じような価値観でいるつもりだし、自分ではまだまだ若者のつもりだった。そのつもりで、この二人や他の後輩たちとも関わってきた。この二人からしたら自分はもうおじさんで、いわゆる「遊び」は卒業したと思われているのがなんともいえない気持ちになった。

「まあな。それなりだよそれなり。」

自慢話や、昔話、自分の武勇伝などが後輩にとってどれだけ無意味で不快感を与えるものか、よく知っている。かつての自分がそうだったから。

「福永さん全然昔のこと教えてくれないですよね。」

高木が不思議そうな顔をして言う。

「そうか?俺の昔話なんて別に面白くないから。自慢話みたいになるのも嫌だしな。」

自慢話をして引かれたくない、すごいですねと言わせる先輩になりたくない。しかし、やはりかっこつけたいし後輩にはよく見られたい。実際、大学生の頃はモテた。男女問わず後輩から好かれ、サッカーサークルの中心だった自負がある。後輩から告白されたこともあり、なんでも頼りにされていた。自分一人と女子の後輩二人の三人でよくご飯に行ったりもしていた。店はわざと大学の近くにして、同じ学部の男子に会わないものかと周りを常に気にしていた。四年生の時に、相談に乗ってほしいと言ってきた一年生の女子が積極的に誘ってきたこともあった。それだけ自分は後輩から好かれるんだという自信があった。

「えー、余計気になるじゃないですか。」

身体をくねらせて聞く西を見て思う。こうやって自分に興味を示してくれるのは、自慢話と説教をしないからこそだと。嫌な上司の愚痴も聞いてやるから、飲み会でも遅くまでみんな付き合ってくれる。康介はそういった思いで過去の話に口を紡ぐことが多かった。

「また今度飲みの場で。近々やろうや、週末にな。二人で周りに声かけといて。」

また若手を集めた飲み会をする口実ができたと思いながら、軽く手を振る。


”おつかれさまです!前回の全体の飲み会に来られなかった経理部の新入社員の女の子がいるんですが、ぜひ福永さんのいる飲み会に参加したいとのことでした!来週の金曜とかどうっすか?あと何人かに声かけますよ。”


土曜日。西からのメッセージに気持ちが浮き立つ。独身で、地方の大学から東京に就職した康介には休日に気軽に遊べる友達もいない。就職したての頃は大学の時の友人とよく集まって飲み会やらバーベキューやらを繰り返していた。就職地がみなバラバラでも、集合するのは全く苦にならなかった。時が経つにつれ、周りは結婚し家庭を持つ者が増えた。誘いもなくなり、誘っても断れることが多くなった。休日は特にすることもなく、歳を重ねるに連れてだらだらとスマホを眺めることが多くなっている。そんな康介にとって、会社の若手たちに好かれ、頼りにされているという事実は、正気を保たさせた。同世代や、上司と個人的に飲むことはほとんどなかった。


”おつかれ。金曜ね、今んとこは大丈夫。経理の子、全然顔分かんないわ。しゃべったことほとんどないけど俺のこと知ってんだね笑 声かけよろしく。”


”了解です!知ってましたよ笑 若手の間で人気者ですから福永さんは。店も探しときますね!”


「ありがとう」と書かれた、アニメのキャラクターのスタンプを送る。最近流行っているアニメで、SNSでOPがばずったものだった。その後、西からの返信はもうなかった。


経理の新入社員のことはよく知っていた。美人で有名だったし、飲み会にもなかなか参加しないことで、プライベートのことが分からず周りの男性陣をやきもちさせいてるとのことも聞いていた。そんな子が、自分がいる飲み会に参加したいと言っていた。という事実に心が泡立つ。相変わらずすることのない休日だが、居酒屋にでも行ってみるかと思い立った。いいところがあれば西に伝えることもできる。

 会社の最寄まで行き、ぶらつく。土曜日の夜。カップル。若い男性の集団。若い女性の集団。大学生の集まりだろうと思われる集団。皆、週末を存分に楽しんでいるという顔をしている。自分だけがひどく疎外されているような気になる。周りはこんな自分をどう見るのだろう。一人でこんなところに来て寂しいやつだなと思うだろうか。いや、待ち合わせに向かっているところかもしれないと思われるかもしれない。視界に入るものが少なくなるように、待ち合わせの店を探してると見えるように、スマホを取り出す。

 目について足を踏み入れた店は構えこそ立派だったが、酒も料理も特筆するところはなかった。焼き鳥を推しているポップが目立つわりに見た目がモダン風な様相だったので興味を持ったが拍子抜けだった。カウンターに案内されると、一人で飲んでいる人が多くて安心する。自分だけじゃない。

「あ、福永。」

名前を呼ばれ、ハッとし振り返る。振り向いた先には、無地の黒いTシャツにジーンズ姿の男が立っている。まるで、ごみ捨てに家を出てきた帰りといったような簡素な姿だった。

「・・・山本?」

軽くうなずいた後、指で康介の隣の空の席を指す。会社ではお互い声をかけることもなければ、ほとんどしゃべることもない。最後に話したのは、いつだったか。康介は自分でも不思議だった。土曜の夜に一人で飲んでいるところなど、誰にも見られたくなかったし、それが同期だったらなおさらだ。しかし、気づけば席を引いて山本を迎え入れた。

「すいません、ビールを一つ。あと、いかの塩辛。」

山本は康介がビールを飲んでいるのを見て注文した。

「悪いな、隣座らせてもらって。知っている顔みたら嬉しくなってな。」

予想外の言葉にだじろぎ、別に、と小さく言うのみだった。大学生であろうと見受けられるアルバイトがビールとお通しの小さな器に入った冷ややっこを持ってきた。

「乾杯していいか?」

山本から差し出されたグラスを自分のグラスと合わせる。康介のグラスには半分ほど残っている。乾杯と同時に一口だけ飲む。

山本を見やると、中身が全て流れ落ちてしまうのではないかと思われるほどグラスを傾ける。半分ほど一気に飲み干すと、飲み込んだ分大きく息を吐く。

「ここにはよく来るのか?」

康介は話題を探るように尋ねる。

「そうだな。頻度で言ったら、月1回とかかな。他にもいくつか行く店があって、今日はここの気分だった。ここは焼き鳥より、漬物とか塩辛とかの一品料理がうまいんだよ。」

嬉しそうに話す山本の姿は、康介の頭の中にいる山本と一致しなかった。

「いつも一人で来てこういう店で飲んでんのか?」

「一人で。友達もいないし、彼女もいないし。というか、福永も一人じゃん。あ、でも珍しいのか。いつも誰かと一緒にいるもんな。」

自嘲気味に言う山本に、悲壮感や焦燥感は一切ない。康介は自分の場合とはちがう、と思う。週末に外に出て、飲みに行くなどほとんどしない。浮かれていたのと、西たちが知らないであろう店を会社の近くで見つけたかったからだ。

「まあ、俺もたまには一人になりたいっていうかさ。みんなで飲むのも、しっぽり一人でいるのも好きなんだよ。」

「なるほどな。そんなところを邪魔して悪かった。これ飲んだら次のとこ行くよ。」

言いながら顔を大きくのけぞらせ、グラスをあおる。

「まだ来たばっかりだろ。せっかくだ、もう少し飲んでこうや。」

なぜ引き留めたのか。康介は自分でも不思議だった。普段は軽蔑に近い感情で見ている相手なのに。単純に山本ともう少し話したい。そう思ったのだった。

「そうか。別に俺なんかに気を使わなくていいんだけどな。そう言うならあと何杯か飲んでいこうかな。」

山本は康介の分と合わせて二杯のビールと軟骨の唐揚げを頼んだ。その後は特に話すこともなく、もくもくとビールを飲み、つまみの手を伸ばした。不思議と居心地がよかった。


「じゃあ、そろそろ行こうかな。」

何杯目かのビールを飲んだあと、山本はそう行って立ち上がった。頬は紅潮し、目も少しトロンと焦点がぼやいでいる。酒量自体はそこまで多くなかったはずだ。

「次って言ってたけど、どこ行くんだ?」

名残惜しそうに康介は聞く。

「ん?カラオケ。」

財布を取り出し、中をまさぐりながら答える。

「カラオケって、一人でか?」

「そうだよ。一人で。もしあれだったら福永も来るか?」

あまりにも自然に誘われて一瞬固まる。一人カラオケなるものが流行ってから久しいが、34歳の薄毛のおじさんが土曜の夜、繁華街でカラオケに行くなど康介の常識からすれば考えられなかった。周りからどんな目で見られることやら。自分より年下の若者たち全員が自分を見つめて陰口こそこそと言っているようなシーンが想像された。

「ああ、行こうかな。」

気づいたら承諾していた。

「おう、じゃあお会計な。」

店員は山本の顔を見るだけで、察知し会計伝票を持ってきた。

「なぜか会計一緒にされてるわ。えーっと、一人3550円だな。ちょうどあるか?」

「あ、いやちょうどはないや。俺先に飲んでたし、4000円でいいよ。」

康介が差し出した千円札四枚は山本の財布へ、しまわれたが、変わりに100円玉4枚と10円5枚が帰ってきた。

「細かくて悪いけど。」

山本はそれだけ言うと、店の外に出た。


ああ。そういうことか。康介は納得した。

「小畑さん、経理部の飲み会にも参加してないんでしょ?飲み会嫌いなの?」

経理部の新入社員は小畑と言った。綺麗にまとまっている、短く切りそろえられた髪からは、隙のなさをうかがわせた。綺麗なラインを描く鼻筋。少しだけ吊り上がった目。整えられた眉。見た目は若いのに、そこから醸し出される雰囲気は新入社員のそれではなかった。

「いえ、そういうわけでは。お酒自体があまり得意ではないのと、実家が遠いので・・・。」

見た目とは裏腹な、しおらしいリアクションに西は口角を上げる。康介が店に着いた時には席が決まっていた。上座と言う名の端の席。西は自分は来たもの渡すんで、と一番下座側に座っている小畑さんの横に座っていた。

「そうなんだ。まあでも今日参加してくれてよかったよ、若手の飲み会だったら参加しやすいもんね。歳近い人多いしなんでも相談してよ。」

そう言うと、ビールのグラスをもち、乾杯を誘うようなポーズをとる。気まずそうにグラスを上げる小畑だが、まんざらでもない。

小畑は康介のことなど知らなかった。最初に会った時の反応と、西の表情を見ればわかった。ようするに康介をだしに使った。営業部の福永さんって人が若手を集めて飲み会を開いている。みんなそこで仲良くなるし、福永さんが誘ってたからこれは行った方がいい。大方そんなようなことを言ったに違いない。直接的に自分からは誘ってない体だったのだろう。

 康介はもう話題の外にいた。始まった最初こそ酒を注がれたり、会社の裏話など聞かれたりもした。しかし、もう誰も康介に興味を示さない。康介を除いた5人はみな20代前半~半ばだった。若者が若者同士、気兼ねなく話している。申し訳なさ程度に話題を振られるが、ピントが合わず会話もすぐに終わってしまう。西や高木の表情は普段と違う。今までこんなことなかった。これまで、若手を集めて飲み会は何回もしてきた。極力後輩の話を聞き、共感する。上司の愚痴も聞いてやる。自分だったらこうすると、恩着せがましくない程度にアドバイスもする。そんな自分のことを後輩たちはみんな頼りにしているはずだった。今日は席が悪かった、また、社内でも注目の的の新入社員がいるからしょうがない。普段腰を低くしている西は、小畑を前に頬杖をつき、顔を覗き込むような形で彼女の話を聞いていた。


「福永さーん、お会計です。」

小畑の終電の時刻とともに会は終了した。西は店員から渡された会計を、康介に向けてひらひらとかざした。

「おう。」

短く言ったあと、手を伸ばす何人かを経由して康介のもとに届く。二万九千円。6人にしては少し高い。財布から2万円取り出して、会計と一緒に西まで回す。

「残りはみんなで割って。」

「え、こんなにいいんですか!ごちそうさまでーす!」

西の言葉の後に、皆がまばらにごちそうさまですと言う。全員が財布を取り出す。財布を出そうとする小畑を西が制する。小畑は西にすいません、ありがとうございます。とにこやかに言い、財布をしまった。

 店を出た後、西が寄ってくる。

「福永さん、自分小畑さんと途中まで同じ方向なんで送ってきます。なんで、今日は二次会なしってことで。ありがとうございました。」

康介の返答を待たず、駅に向けて歩き出しながら言う西に康介は手だけ振った。西と小畑がいなくなり、皆まばらに話し出す。康介に話かけてくる者はいなかった。そんな時間が数分続いたあとに、じゃあ今日は解散ってことで。と高木が康介に向けて言った。残っているメンバーはまだスマホをいじりながら話している。

「そうか、じゃあ俺先行くな。おつかれ。」

康介が言うと、おつかれっしたーと声をそろえた。誰も康介と一緒に歩き出す者はいなかった。康介は振り返らず、駅までの道を歩いた。21:35スマホを取り出し時間を確認した。

(こんなもんか。)

康介は手元の電子機器から発せられる機械的な光を避けるように、空を見つめた。視界が闇だけに染まることはない。顔を上げたところで、別の人工的な光に視界が独占されるだけだった。街はまだまだにぎやかで、明るい店内から漏れる光に照らされた顔はみなほんのり赤かった。自分は今どんな顔をしているのだろう。康介はぼんやりとそんなことを考えながら、もう一度顔を下ろし電車の時間を調べた。


「小畑さんとどうなったんですか?」

「」昼休み。康介は聞こえてくる声に、身を構える。トイレの個室の外側で行われている会話に、なんとなく出にくくなる。

「気になる?とりあえず連絡先はゲットした。印象はそんな悪くないと思うんだよなー。今毎日連絡取ってるし。」

「まじっすか。いいなー。ずるいっすよ自分だけ。」

高木のすねたような声が聞こえる。

「まあまあ。あの後どこも行かなかったのか?他にも女の子いんじゃん。」

にやにやと話す西の姿が透けて見える。

「三次会でカラオケまで行きましたよ。でもそんだけです。みんなタクシーやら歩いてやらで帰って、なんもないっす。」

「そこまで行ったんなら一人くらいどうにかしろよー。で、福永さんは?」

突然自分の名前が出て、思わず体が硬直する。客先のとこに行くと言ったあとだ。もう外に出てると思っているのだろう。

「え、ああ。西さんが帰ったあとすぐ帰りましたよ。みんな福永さんがいるんで次行こうかって言い出せない雰囲気だったんですけど、自分で帰るって。西さんいてくれないと扱いわかんないっすよ。」

ドクっと心臓が大きく脈打つような音が聞こえた気がした。

「別に連れてけばよかったじゃん。金出してもらえれるし。」

心臓の音がみるみる大きくなっていく。

「いやー、そうなんすけど気使うんすよね。自分らと同じテンションで来ようとするじゃないですか。それがきついっていうか。逆にこっちがそれに合わせてんだよってわかってほしいですよね。」

「まあわかるよ。俺若いっしょ感と、年下の後輩の気持ちわかってる俺、な。そもそも10も下の後輩の飲み会に毎回一人で参加してるの痛いよな。でも金出してくれるし害はないじゃん。うちの部署の禿上司と比べたら全然ましだよ。」

「うわ、西さんそれが一番ひどいっすよ。」

二人の笑い声が聞こえる。あまりにもさわやかで、濁った感情は見えない。康介はしばらく個室でうずくまる。だんだん声が遠くなり、聞こえなくなっても立つことはできなかった。

ふーっと息を吐き天を仰ぐ。薄々分かっていたことではあった。自分の存在意義、自己肯定感、承認欲求のため、それらのためだけに今までいい先輩を演じてきた。しかし、ピントの合わない会話。同年代からの冷たい目。時より見える疎外感。それらを、自分は後輩に頼りにされている、周りの同年代のやつらはそんな自分に嫉妬しているだけ。そう思うことで自らを保ってきた。目の前の現実に、眩暈がしそうになるが、なぜだかすっと肩の力が抜けた気もする。個室を出て鏡の前に立つ。皺も増え、肌のツヤもなくなってきてはいるが、健康的な顔色に潤んだ瞳、まだまだ若さを失ったわけではない。人が入ってくるのと同時に鏡から顔を背け、トイレを出る。事務所に戻ることなく、そのまま会社を発つ。


康介は自分をごまかし続けてきた。自分の感性は若く、20代前半の後輩ともなんの違和感なく過ごすことができる。自分が嫌っていた先輩たちのようにはならない。自分だけは特別な年上なんだ、そう思って生きてきた。

 駅のホームには、さまざまな年齢の人たちがいる。上司と部下の関係だろう、一歩後ろに下がり不自然なうなずきを繰り返している若者がいる。同い年くらいの若者だろう、髪を整え、スマホをいじりながら談笑している。康介は結局何になりたかったのか。承認欲求のためだけに生きてきたのか。自分が今まで目指してきた、目指してきたと思っていたものが崩れてこれからの先の人生が灰色に染まっていくのを感じた。

「あ、福永」

聞き覚えのある声に振り返る。

「山本か。」

「なんだ、ひどい顔だぞ。これから外勤?大変だな。」

 山本は扇子でパタパタと顔を仰ぐ。汗をかいている顔は脂っぽく、前髪は額に張り付いている。

「そうだけど、お前も外行くのか?総務なのに珍しいな。」

 康介は誰かと喋りたかった。気持ちを紛らわせたいし、もう考えたくなかった。

「いや、俺は午後休だ。これからビアガーデン行くんだよ。」

 ニヤッとしながら言う。

「俺が行きたいところは夕方になるといつも満席だからな、思い切って昼から行こうと思ったわけよ。」

 もちろん上司にはそんなこと言ってないけど。と付け加えていたずらな笑顔を見せる。

「そうか。いいな、ビアガーデン。あんまり一人で行ってるやつは見ないけど。」

 一人で行くのだろうと勝手に思ったが、余計なことを聞いたなと、少し後悔する。

「まぁな。でも別に誰も俺のことなんて気にしちゃいないし、気にしてたって俺が楽しむ分には関係ないよ。」

 

一瞬、康介は言葉に詰まる。自分は誰かの目ばかり気にして生きてきた。いや、自分だけではないはずだ。誰しも少なからず人の目を気にして生きているはずで、それが良く働く時もあるし悪く働く時もある。「自由」なんて言葉はまやかしだ。社会に生きている以上、完全な自由なんてない。誰かから見られ、評価され、価値づけられる。だから康介は、後輩たちから評価されることを選び、自分を殺してきた。揺らぐ。山本のような人間はこれまでも周りにいたはずだ。なぜ今になってこんなにも響くのだろう。

「それ、めっちゃいい考え方だな。俺も行こうかな、ビアガーデン。」

山本はきょとん。という効果音がぴったり合う顔を見せる。

「これから仕事なんだろ?大丈夫なのか?」

「仕事は行くよ。ただ、今日は直帰にしてるから途中から合流してもいいか?」

一瞬、考えるそぶりを見せると、いいよ別に、と少しだけ笑った。

「席取れたらまた連絡するわ。」


出先からの帰りの電車、スマホにメッセージが届く。

 お疲れ様です!小畑さん、前回の飲み会すごい楽しかったって言ってます!また福永さんと飲みたいそうなんですが、急ですが今日とかどうですか?直帰にしてますよね?


今日は予定があって行けないんだ。俺のことは気にせず二人で行ってこいよ!


もう一つ、届いていたメッセージを開き返信する。

「今から向かうわ。」

 すぐに、りょーかいと書かれた康介が子供の頃に見ていたアニメのスタンプが送られてきた。

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