死神がやってきました。

浅野エミイ

一、最初の夜

 今夜は新月。街灯があっても、この付近は陰鬱な空気が漂っていた。

 長くて黒いフードのついたマントを羽織り、大鎌を持ったまま徘徊する。もちろん警察に捕まったら即アウト。通行人がいないのはありがたかった。傍から見たら確実に不審者だろうが、それでもなりふり構っていられなかった。

 ――今日、彼の家に向かう。

 死神は強く決心して、『彼』の住むマンションのエレベーターに乗り込む。

 インターフォンを一回。出てこないのは予想の範疇だった。何度も繰り返しボタンを押す。出てこないならばと、拳で扉を叩いた。時間は真夜中だ。

「川上英治! 出てこい! 出てくるまでドアを叩き続けるからな! マンション側からクレームが来たら、住処を失うぞ!」

 かなり手荒な真似だとは承知している。『人間』だったらそれこそ逮捕案件だ。それでも扉を開けさせないと、何も始まらない。彼との関係を始めるためには、この方法しかなかったのだ。

 しばらくして、がちゃりと音がした。隙間が空くと躊躇なく足を滑り込ませる。

「こんばんは。川上英治さんだよね?」

「なんだ、お前……。こんな夜更けに迷惑なんてもんじゃねぇよ。警察呼ぶぞ」

 英治はフードで顔の見えない男の姿を見るや否や、スマホを取り出し、緊急連絡番号を押した。

「すみません、警察――」

「ごめん、さすがに困るな。それ」

 スマホを奪うと、何度も繰り返し踏みつける。ガラス製だった画面は破損した。

「お前! 本当になんなんだ! 俺にどんな恨みがあって、こんなこと……」

「恨みなんてないよ。オレは仕事で来たの。この格好見れば、何かわかるよね」

 わざとらしく大鎌を目の前に持ってきても、英治はボサボサな頭をかくだけだ。

「変質者の嫌がらせか? 勘弁しろよ。付き合ってる暇は……」

「悪いね、説明はあと。とりあえず部屋に上がるよ」

「お、おいっ!」

 靴を脱ぐと、室内を見回す。淀んだ空気に満たされた部屋にいるだけで、心が重苦しくなっていくのがわかる。テーブルの上には汁の残ったカップ麺の容器。空になった大量のビール缶。シンクにも、洗っていない皿が積んであった。

 ――ある程度予想はついていたが、これは思ったよりも厄介な仕事になりそうだ。覚悟を決めると、マントの下に隠していたリュックサックを下ろした。

「荷物を置くな! 本当にお前は一体……」

「いや、さすがに気づいてくれない? オレ、死神のナツ。鈍いなぁ、英治さん。大鎌にマントだよ? どう見ても『死神』でしょ?」

「……は?」

 表情は見えないがどうも笑っているかのようなナツに、英治は不信感をあらわにする。当然、死神などいう存在は信じていない。バカにしていると判断し、追い出そうとも考えた。しかし……。

「死神が来たってことは、俺は死ぬのか? それはちょうどよかった」

 包丁を持ってくると、それを首に当ててにやりと笑う。酒が入っているせいもあるだろうが、いよいよ実行に移すときが来たのだ。

「今から死んでやる。お前も、これで仕事が終わるんだろ?」

「ちょ、ちょっと待ってよっ! なにしてんの!」

 ナツが急いで引き寄せる。手首をつかむと、その細さに胸を痛めつけられた。

 抱きしめられた英治は、クマのできた顔をフードの取れたナツに向ける。死神なんて名乗るものだからどんな顔をしているのかと思ったが、意外にもどこにでもいるようなさわやかな青年で驚いた。

 一瞬、ナツは悲しそうな顔をしたが、すぐにしかめ面に変わった。

「あのね、魂を回収するにも色々条件があるの! あんたが死ぬのは一週間後で、死因は心臓発作! だから、期日までに生きてもらわないとかえって迷惑! ったく……」

 包丁を奪うと、その場にへたり込んだ英治に目をやる。部屋から出てきたときから生気のない顔をしていたが、今はさらにひどくなっていた。瞳に輝きはなく、小刻みに身体も震えている。ナツは何も言わずに英治の前にしゃがむ。

「わかったら、オレがいる間は死なないでね。約束して」

「あと一週間も生きるのか? 冗談じゃねぇ、今死ぬ」

「へぇ、そんなこと言うんだ。だったら犯しても構わないってことだよね」

「……は」

 マントを脱ぐと、英治の唇に噛み付く。服の隙間から手を忍ばせると、肋骨の感触がした。

「いいの? 本当に抱くよ?」

「……好きにしろ」

「なんて人なの、あんた。自暴自棄にもほどがあるよ!」

 ナツは英治を抱くと、無精ひげの生えた頬に手を当てる。

「ずいぶん温かい手だな。死神のくせに。そもそも触れることができるのだって、おかしくねぇか?」

「そうだね、おかしいよね。おかしくても、もう少しこうさせて? 今手を離したらあんた、何するかわからないから」

 しばらく抱きしめていたら落ち着いたのか、肩口から寝息が聞こえてくる。ナツは大きくため息をつくと、自分より大きな英治の身体をベッドルームまで運ぶ。

 横にすると布団をかけて、その寝顔を見つめた。

「相変わらずどうしようもない人で、笑っちゃうなぁ……」

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