空の鯨、海の鯨

春渡夏歩(はるとなほ)

くじらの国で会いましょう

 この村に来たら行くことにしている馴染みの店は、最近、美味しいと評判になり、あいにくほぼ満席だった。


「相席でもいいかしら?」


 女将おかみがふたりがけの卓にひとりで座っているお客に、声をかけてくれたらしい。どうにか席を確保することができた。


「こんばんは。ひとりでくつろいでるところをすまない」


「こんばんは。かまいませんよ。どうぞ」


 歳の頃はオレより少し下か。旅の汚れはあるが、上質な布地の服を身につけて、言葉の中にかすかに異国のアクセントを感じた。

 旅は道連れ、というけれど、彼は気持ち良く会話ができる相手だった。


「リンと呼んでください」

「オレはカイト」

「カイト? 私の国の古い言葉では、『かい』という意味になりますね」

「ヘぇ〜。オレがガキの頃、暮らしていた所では、新年にカイトをあげる風習があってさ。凧みたいに、高く上がっていけるようにって、親が付けたらしい。まぁ、今は糸の切れた凧みたく、あちこち旅してるんだけど」


 オレは最近、聞いた話を披露した。


 

 —— スカイホエール

 その巨大な船の姿は、さながら空に浮かぶ鯨のようだという。


 だが、実際に目にした者は、ほとんどいない。


 星をて、巨大な船を操るのは、いにしえわざ。自由の国。

 そこで暮らす人々は、自らを「くじらの国の星のたみ」と称する。


 この広い空の雲の中、今もどこかにその船はいる。



「オレは機械屋だからさ。そんなでかい船を空に浮かべる方法があるなら、その仕組みを知りたいんだ。夢物語かもしれないけど、空のどこかに飛んでいるんじゃないかと思うと、ワクワクする」


「それは不思議な話ですね。カイトは鯨を見たことあるんですか」


「鯨って、大きな魚のことだろう?」


 リンはくすりと笑った。

「鯨は魚じゃありませんよ。私たちと同じく、子を産んで乳で育てる生き物です」


「そうなんだ。挿し絵でしか知らないな。この辺りの海は、先のいくさですっかり汚れちまったから、魚も住めないって聞くけど」


「残念ながら、そうですね」

 リンはこんな話をした。



 —— 大昔、海で生まれた生き物は、やがて陸に上がった。

 さまざまな生き物の中で、もう一度、海に戻ることを選んだ者達がいる。

 それが、鯨だ。

 鯨達は言葉を交わし、群れで暮らす。彼らは争いを好まない。そんな鯨達が多く暮らす鯨の楽園「くじらの国」が、この広大な海のどこか遠くにあると言われている。


 リンはその調査船団に乗るのだという。



「面白いですね。カイトは空の鯨、私は海の鯨に関心がある」

「鯨つながりってわけだ」


 そのあとも話は尽きなかった。


 食事代を払う時になって、リンが困っていた。

「お客さん、このお金はここじゃ通用しないんで」

「しまった。両替商に行くのをすっかり忘れてた」


「あー、いいよ。オレがふたり分、払うから」

「毎度ありがとうございます!」


 店を出たあと、

「カイト、すみません。どうしましょう。私は明朝、早い出発なので、お金を返すことができません」

「楽しかったから、それでいいよ」


「そういうわけにはいきません」

 やけにキッパリと、そう言って、

「そうだ、これを」

 リンは耳飾りの片方を外して、差し出した。

「私が戻ってくるのは一年後になります。それまで、約束がわりにこれを持っていて下さい」


「まぁ、それでリンの気が済むなら」

 オレはしぶしぶ手を出した。


「そして、一年後、またこの同じ場所で会いませんか? お互いの旅の話をしましょう」


「あ、それはいいな。でも、そのときわかるかな。オレ、ヒトの顔を覚えるのが苦手で」


「それじゃ、合言葉を決めましょう。こんなのはどうです?」


 そう言って、リンが口にした合言葉は

 ……『くじらの国で会いましょう』



 ◇


 彼と別れたあとで、オレは耳飾りを片耳に付けてみた。

 きっと、また会える。


 そして、また、旅は続く。


 *** 終 ***
















 


 

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空の鯨、海の鯨 春渡夏歩(はるとなほ) @harutonaho

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