不透明な糸屑

紫水柚音

1.高校三年生、秋

 運命の人とは、生まれた時から赤い糸で繋がっている。


 子どもの戯言、ジンクスにもならない夢物語──おぼろげな幻想。


 甘い綿菓子みたいな幸せ。それを手に入れるための心もとない拠りどころを、私は幼い頃から信じていた。信じて、信じて、信じ抜いた。

 本当なんだって、信じて疑いたくなかったんだ。


 少女漫画の世界みたいに、ヒロインの勝利が約束されたストーリーをなぞるために。


 解れた糸でしかない未来を手繰り寄せようとして──だた、ずっとずっと。


 曖昧で不透明な軌跡を描いて、そうして、夢物語を創った。

 


。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。



隆生りゅうせいくん、文化祭楽しかったね」


「だね。高校3年生のこの時期にしちゃ、準備が大変だったけど」


 普段は立ち入りが禁止されている学校の屋上。今日は文化祭だからと、後にグラウンドで行われるフォークダンスの写真撮影用に限定的に解放されている。

 それを良いことに、私は風にあたりたいと言って一人で教室を抜け出していた。


 けれど、先客がいた。姿が見えないと思っていたクラスメイト──志摩隆生くん。

 フェンスにもたれかかり、フォークダンスの準備を進めている生徒たちの様子を眺めている。私がふと隣へ視線を向けると、斜陽に照らされた端正な横顔が映り、静かに心臓が鼓動を始めるのを感じる。


「女装メイドカフェとか、どの漫画の世界だよ……うちのクラス、ちょっと変わり者が多いんじゃない?」


「でも隆生くんの女装、好評だったね。元の顔立ちが良いだけあるよ」


「なんか褒められた気がしないな、それ」


 呆れたように苦笑するりゅーくん……隆生くん。


 彼とは幼馴染だった。同じ幼稚園の出身で、小学校では6年間同じクラスで……中学校は離れてしまったけれど、私はりゅーくんを追いかけてこの高校へ来た。


 高校でも3年間、同じクラスだったんだよ。まるで小学生の時を思い出すみたいで……でも、以前とは違って、彼はりゅーくんじゃなくなっていた。


 そこにいたのは隆生くんだった。私が知っているりゅーくんのはずだったのに、まともに会えなかった三年間のうちに、分からなくなってしまった。


 ただ、この高校では隆生くんにしか会えないことだけは理解できた。

 まだ幼かったあの頃と同じように接することはできないんだと。


未來みくるちゃんが作ったお菓子も美味しかったよ。流石、生粋の甘いもの好きだね」


「ありがとう……試食の時すっごくドキドキしたよ。美味しいって言ってもらえてよかったな、ほんとに」


 ……私の記憶の中にあるりゅーくんと、目の前にいる隆生くんは同じ。でも、決定的に、私が彼の特別になれることは無いんだと感じてしまう。


 まだ幼かった私を満たしていた淡い恋心は、きっと、りゅーくんには伝わらない。


 18歳になった私を燻っている澹い恋心は、隆生くんには届かない。


 好きだった。頭が良くて、優しくて、私を特別扱いしてくれているような気がして。

 大好きだった。中性的で綺麗な顔立ちも、寡黙にでクールに見えて、実は友達思いなところも。


 だから、酷く怖かった。誰にでも好かれる性格の、とても魅力的な貴方が、私の知らない時に誰かが惹かれてしまうのではないかと。


 誰かに、貴方が惹かれてしまって、私のことなんて視界にも入らなくしまうのではないかと。


 ──それが杞憂だったとしても、見えない故の不安に駆られて、私は壊れかけの糸を懸命に繋ぎ合わせてきたつもりだよ。

 そんなこと、本人には打ち明けられるはずもないけれど。


「そうだ、未來ちゃん」


 独り物思いに耽っていた最中、りゅーくんはくるりとこちらに顔を向ける。


 色紙の薄い、ヘーゼルの瞳。小学生の時の記憶から全く変わっていない純粋な眼差し。


 夕陽に照らされた神秘的なその様を、ただ綺麗だと思った。


「小学校の時も6年間、同じクラスだったね。高校も」


「そう……だね。すごい、偶然だよね」


 覚えていてくれたんだ、という嬉しさの中に、今まで思い出せられなかったのかなという落胆が入り交じる。絞り出すように返した言葉は、僅かに震えてしまった。


 それに気づく様子もなく、りゅーくんは微笑みながら続ける。


「一緒の高校って知って、嬉しかったよ、すごく。でも未來ちゃんの中学も一貫校だったし、ずっと気にかかっててさ……本当に内進しなくて良かったの?」


「それは……」


 親の勧めで入学した中学校は中高一貫だった。エスカレーター式に進学すれば、死に物狂いで高校受験をする必要は無い。


 けれど私は、その選択肢を蹴って、りゅーくんのいる高校に進学を決めた。


 貴方を追いかけてきた、なんて言えるわけが無い。そんなの……気持ち悪いに決まってる。


 小学生の時に抱いた恋心を、10年近く信じ続けて……6年間、同じクラスで、幼稚園も一緒だったからって、運命じみたものを勝手に感じていたのは私だ。


 ……私なんだ。誰よりも長く貴方のことを好きだったのは、私なんだよ。


 口をついて出そうになる声を誤魔化そうと、嘘がすり替わって言葉を紡ぐ。


「第一志望の大学が中三くらいで決まって……でも、私の中学はあまり進学した先輩がいなかったから、それで」


 その場しのぎの嘘を並べて、私はそれを隠すように俯く。


 少しだけ本当の話。進学者に前例が無いわけじゃなかったから……でも、今の高校の方が進学率が高いのも本当だった。


「そうなんだ。早いね、決めるの」


「あはは……でも、りゅーくんとは違う大学だから、もうクラスは一緒になれないね」


「まあ、同じ大学に行く人なんてあまりいないからね。お互い一般入試、頑張ろう」


 ぐっと片腕でガッツポーズをしてくれる。私も頷いて、ガッツポーズを返した。


「うん、絶対受かろうね、第一志望」


「もちろん。絶対合格しよう」


 高校を卒業したら離れ離れになる。私は地方の私立で、りゅーくんは都内の私立大学が第一志望。


 二人とも一般入試組で、願書を出すのも、受験勉強もなにもかも……一番大変な時期に差し掛かる。


 ……だから、私が今想いを伝えたとしても、ただのノイズにしかならない。高校を卒業するまでまだ時間はあるから、焦らなくてもいいんだ、と何度も自分に言い聞かせた。


 なのに、どうしてなんだろう。今言わなくちゃ、って思ってしまうんだ。


 焦らなくていいよ、なんて。今じゃなくてもいいよ、なんて。


 ずっとずっと、何度も何度も──目が回ってしまうくらい唱え続けて、気持ちを抑えていたのに。


 胸の高鳴りが、熱を帯びた頬が、彼を映す私の瞳が、今伝えろと訴えかける。


「……ね、りゅーくん」


「……うん?」


 『りゅーくん』なんて久しぶりに呼んだからか、少し反応の遅れたりゅーくんは、不思議そうに小首を傾げながら、私を見据える。

 ふわりとりゅーくんの髪を揺らした風が、後を押すように優しく私の長い髪を撫ぜた。


 

 高校に入った時、誰も『りゅーくん』と呼ばないことが違和感だった。

 私の知ってるりゅーくんは『りゅーくん』で、『隆生くん』じゃなかったから。


 でも、貴方は変わるどころか、思っていたよりずっと素敵になってしまっていた。不相応も甚だしいと、私の気持ちにストッパーがかかってしまうくらいに。


 りゅーくんの周りにいる女の子達のことが好きになれなかった。自分の容姿も性格も、全てを呪った。


 けど、それを振り切ってしまうくらい、もう自分の中に抑えられないほどに膨れ上がったものがあった。


 ……大丈夫。大丈夫。


 だって誰にも負けない自信があるから。押し潰しそうな不安に打ち勝てる想いがあるから。



 ──私はずっと、りゅーくんのことが、大好きだったんだよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る