アスポデロスの贄姫
ぱんのみみ
〈編纂者〉の予言
第1話 〈編纂者〉の予言
かつて、〈編纂者〉と呼ばれる偉大なる魔法使いがいた。
彼女は神々の与える運命を翻訳し、神々の語る旧き神秘を編纂し、人々にその奇跡を与えた。彼女の言葉は未来と過去の全てを語り、彼女の魔法は世の全てを星海に刻み、彼女の栄光はやがて遠い未来に向けて輝く光となった。十三の神秘と七十七の奇跡をもって彼女の名は星に刻まれ、『不完全なるもの』『欠落した者』『持たざる者』は、〈編纂者〉或いは〈詩篇の魔女〉の名の下に生まれ変わった。
故に、〈編纂者〉は語る。
いずれ、遠くない未来の話。星海より来たる乙女が、人の世に裁定が下すでしょう。
白銀の髪をたなびかせ、花の色の瞳を持つ者。
名を、ユリシス。
其は天地の裁定者。贖いの救済の運命を歩む者。或いは遠い未来に〈
彼女は、人の世の全てを見届ける。悲劇も、喜劇も、ありとあらゆる全てを見届け、涙し、言祝ぐでしょう。そしてその巡霊の旅の果て、俗世の一切に裁きを下す。
悪逆なるものには滅びを。
最愛なるものには救いを。
それが星の定めた人の世の末路。
しかし、その裁定を前にして人類はただ一度だけ、チャンスを与えられるでしょう。裁定の行く末を決めるのはユリシス。であれば彼女の旅路に祝福を。彼女の行く末に導きを。
人の世がまこと、良いものであると彼女が認めれば良いだけのこと。
行く道に松明を。旅路に星屑を。
放浪に憐れみを。流離に導きを。
其は星海に流れ込んだ、人の滅びに抗う意思が形をとったもの。
魔法殺しの合金を扱い、神殺しの偉業をなす者。骨は琥珀で、血肉は黄昏で作られた星霊。彼女をもてなすため、はるか未来、いずれ生まれることを約束された人間の精神と肉体を模した男。
〈原星の竜〉にして〈聖剣の創造主〉が、汝らの宿業を救わん。
「二人の旅の果て。贖罪の救済の刻。それは罪の始まり。或いは、全ての過ちの始まり。人々はその日を人類最高の日だと讃えるでしょう。人々はその日を人類最悪の日だと謗るでしょう。彼らのうち片方が永遠に失われ、もう片方は永遠に悲運に身を投じるのです。しかし、我らは……我らだけはその全てを受け入れましょう。例え、取り返しのつかない悲劇の始まりとなり、我らの詩篇が業火を呼び、世界を焼き、全ての偉業が過去に落ちる暗い影になろうとも」
〈編纂者〉は盃を掲げる。
「我ら九人。悲劇のうちに死すことが定められた者。いずれ時の砂塵に埋もれることが約束された者。我らの今日に祝福あれ。我らの今日に喝采あれ」
喝采と祝福を浴びて〈編纂者〉は舞台をおりる。彼女の元に一人の青年が現れた。軽い挨拶を交わして、青年は尋ねる。
「……え? はい。なんでしょうか。その竜の名前が気になる……? 不思議なことを気にするのですね。いずれ我々は出会うというのに」
〈創星の龍〉の問いかけに、〈編纂者〉は少し考えてから答えた。
〈原星の竜〉と、彼の対となり並び立つ男の名を。
彼の名はゼロ。ゼロ・ライル。
星海より遣わされた、もう一人の星霊だ。
*****
――太陽が、落ちる。
必死に草原を駆け抜けるゼロの身体を眩い光が照らした。咄嗟に両手で顔を庇うように覆う。その腕の隙間に、それは確かに見えた。まるで太陽の光を束ねたような金髪が、風になびいている。それそのものが燃えたぎっているような、そんな破滅的な光を帯びた男が、空中に立っていた。その背に純白の翼を擁する生命体は緩やかに瞼を持ち上げる。空のように澄み渡った青い瞳が、次第に金色の光を帯びていく。男の手に握られている剣もそれに合わせて黄金の光を放つ。
「あ……ああ……」
男の向き合う前にあるのは小さな村だ。ゼロは崩れそうになりながら必死に足を動かす。ダメだ。ダメだ、やめるんだ。男は、光輝く剣を持ち上げた。光の柱がそびえ立つ。ありとあらゆる名誉と不名誉を裁く剣。それはより善い世界の為に使われるはずだったもの。はずだった、のだ。
「――――――――――――――。」
「あああああああ……………――――――!!」
男は何かを告げた。それと同時に光が押し寄せる。
ゼロは、もうほとんど咄嗟に叫んだ。伸ばした指先が光に飲み込まれるのに、時間など必要ではなかった。何故ならばそれは裁きの光だからだ。光は、人を待ってなどくれない。絶叫さえも白く焼き潰される。目の前に光が訪れ、満ちて、そして何もかもを焼いた。ゼロの慟哭さえも、焼き切れていく。
後に残ったのはただ、どこまでも白い、真っ白な、一面の光の濁流だけだった。
*****
「…………」
鉛よりも重たい瞼を開く。誰かの夢を、誰かの過去を、今、覗いていた。救われるべき過去だった。誰かが贖うべき過去だった。それは確かにその人物の罪で、しかし、その人物の罪ではなかった。無垢な夢が、世界に穢される。稚拙だが、純真な祈りが、最悪の罪を呼び覚ました。そんな過去。できることなら、この夢の持ち主を優しく抱いて、赦したいとさえ思った。
最も――今まさに息を引き取る寸前の、死に体も同然の少女には関係の無い話だったが。
腹部を短刀で刺された。危うく全身をバラバラの肉塊にされるところだったが、お生憎様。刺されたくらいで立ち止まるか弱い少女では無いのだ。刺してきた男を蹴飛ばして、崖から身を投げ、ドボンと流れて、川から這いずり出して、命からがら森の奥に逃げ込んだ自分を誰か褒めて欲しい。
だが今やその全てが悪い方へと作用しつつあった。そもそもそんな怪我をしたのに派手に動き回って、川に飛び込んで、挙句這い上がったせいで、全身がまるで泥のようだ。
血は流れすぎたし、末端は既に感覚はなくなってる。
死ぬのね。
少女はそう思った。
死ぬんだわ。
そして次の瞬間にはそれを受け入れていた。
何故ならそれは初めての死ではなかったから。もう何度も、数えるのも嫌になるくらい殺されて、殺されて、殺された。しかし不死身と言って過言では無い彼女にとって死とは眠りにさえならない、一瞬の意識の断絶に過ぎない。
また死ぬのね。そう。でも仕方ないわね。
次起きた時、またあの冷たくて暗くてジメジメした場所じゃないことを祈るわ。
石造りの、あの冷たくて湿気っててパンがすぐカビちゃうような場所で目を覚ますのはもう嫌。それに比べてここはいいわ。風が柔らかくて、そよいでいて、暖かくて、優しい匂いがする。土と木の匂い。私、好きよ。
「こっちよ、ゼロ」
不意に聞こえてきた声に、意識が揺さぶられる。近づいてくる足音はひとつだけだ。だと言うのに、声はふたつ聞こえる。
「そう焦るな、ジェイ。大体、俺じゃないと判別のつかないお客様ってなんだ。それがこんな所にいるのか?」
「勝手に連れ帰ってもアタシは良かったんだけどねえ。うーん、ううん、やっぱりあんたに見てもらった方がいいわ。アレはアタシの手に余るわ」
高い声の方がジェイ。低い声の方がゼロ。話している感じから察するに、歩いているのがゼロという男性だ。二人はそのまま繰り返し会話をしている。
手に余るって言うのはどういう意味なのか。
うまく説明できないが少なくとも自分の管轄ではない。
それってどういうことなのか。
少なくとも見ればわかる。
「この茂みの先よ」
ジェイの声がそう言った。ゼロは何も答えなかった。ただ茂みを掻き分ける音がすぐ近くで聞こえた。息を飲む音が、聞こえた。
「ゼロ?」
「…………何故、こんなところまで」
聞こえたのは小さな呟きだった。絶望したような、そんな声だった。何か、金属同士が擦れ合うような音が聞こえる。
「ゼロ、アンタ」
「黙ってくれ、ジェイ」
少女は、僅かに目を開いた。朦朧とした視界に見えたのは、青い瞳の青年が、自分に向かってナイフを振り上げたままかたまっている姿だった。
その青年は、先の夢に出てきた青年によく似ていた。
もしかしたらこの青年こそがあの、無邪気な祈りを持っていた青年なのかもしれないと、漠然とそう考えた。あの稚拙で、愚鈍で、無垢で純粋なばかりの祈り。彼女は、嫌いではなかった。むしろいっとう尊いものであるように思えた。
彼は息を止めてこちらを見下ろしていた。ナイフを握る手が震えている。殺気と、憐憫と、それから恐怖が混ざりあった表情をしていた。彼は本気で自分を殺そうとし、そして殺害という罪に手を染めることに恐怖し、その上で、正しく、少女に憐憫の念を抱いていた。
少女にとってそれは初めて見る光景だった。
死なぬから殺してみるかと、愉悦半分で、興味ばかりで、優越感で、快楽目的で、殺されることはあっても、正しく殺されたことなど一度もなかったから。
だから、なんて言うか、魔が差したのよ。
少女は後にそんな言い訳を口にした。
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